日本支社には当時3人の社員がいたのですが、
その2人が辞めることになりました。
一応支社長に任命していたので辞めるにしても引き継ぎをしてもらい
抑えるところは抑えてほしかったのですが、そんな気持ちも届かず・・・
当然この時期はうつ病も治っていなくて、
さすがにもう駄目だと思いました。
この時はさすがに会社がなくなると思って涙が出てきました。
でも不思議なものでそんな時に大事な言葉を思い出すんですね。
デールカーネギーの言葉で
「絶対にダメと思ったときに、それをやり遂げたものこそが成功する」
という言葉を思い出しました。
でもどうやってやり遂げようか・・・
と考えたのですが、まさに
「そうだ、日本に行こう!」
ということでアメリカのアパートも解約する間も惜しんで
日本に帰ることにしました。
今思うとあの時はびっくりするくらい意志判断が早かったなぁと思います。
いきなり明日から違う国で仕事をしようなんてなかなか思わないですからね。
そんなこんなで日本に戻ってきてから10年ひたすら走り続けています。
最終話にもかかわらず特に盛り上がる話もなくすみません。
ただこれこそが私の人生ですから・・・
それにしても経営することがこんなに大変とは思いもよりませんでした。
やはりものごとは外からみるのとやってみるのは大違いですね。
そんな感じでこの話は終わりです。
P.S.この話には親との関係の後日談があります。10歳のときに母親がフランスに行ってから会う回数は数えるほどでしたが、40歳になったときに仲直りをする決心をしました。場所は10歳の時にフランスに行くといわれた同じ場所、同じレストランで。お互い30年の時がたちましたが、やっぱり親子なのだなと思いました。
いろいろあったとは思いますが、それでも自分の母親ですし
「今までいろいろあったと思うけどやっぱり母親だし感謝しています」
と伝えました。本人もなかなか言い出すことができなかったようで、今までの思いを目を熱くして伝えてくれました。うちらの親子も少しは人間として成長できたのかな・・・
おしまい。