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オーストラリアで自分がアジア人だと自覚したこと

Image by Olia Gozha

オーストラリアで自分がアジア人だと自覚したこと

メルボルン(オーストラリアでシドニーの次に大きい都市)に住むようになって、10年が過ぎた。


日本で暮らしていた時は、人種の優劣なんか考えたことがなかった。黒人差別とか、アパルトヘイト、なんて話を聞いても、「ふーん、過去にはそんなことがあったのか」ぐらいしか考えたことがなかった。

アメリカに交換留学したとき、南部の州にホームステイしながら高校に通った時、全校生徒が2000人程の学校で、白人と黒人のグループははっきりと分かれていた。アジア人は私自身を含めて5人ぐらいしかいなかったと思う。アジア人は少なすぎて差別されることもなく、ただ珍しがられた。

日本は中国の一部だと思っている人がいたし、侍や刀や忍者についていろいろ聞かれた。

住んでいた街では、日本食を食べられるレストランが一つしかなくて、そこでは醤油味で胡麻のかかったごはんと、甘ったるいソースで炒められた肉と野菜が出された。…それが彼らにとっての日本食。

でも個人的には楽しい時間だった。始めは友達が一人もいなかったけど、帰る頃には白人の友達が数人いて、白人の男の子と淡い恋をしたり。日本では誰にも褒められないこと(数学とピアノ)が特技になり、アジア人好きな人から綺麗だと褒められ、アニメ好きな人たちから優遇され、(英語が話せないこと以外は)なんだかんだ楽しい日々だった。

学校では白人のグループと黒人のグループがはっきりと分かれていて、町の貧乏そうなエリアには黒人ばっかりが住んでいて、夜になると貧乏そうな黒人がマクドナルドで夕飯を食べていたけど、そういうものなんだと受け入れていて、何とも思わなかった。白人の熱心なキリスト教(宗派は何か忘れた)の女友達が、「黒人は白人よりも劣った人間(むしろ人間じゃない?)だから、わたしは黒人とは一切関わり合いたくない」と言ったときも、「へ〜…??」って程度の反応だった。


アメリカへの交換留学後、オーストラリアの高校に通うようになって、気がついたことがあった。なんか、周りの人が冷たい。オーストラリア人はフレンドリーだって言われているのに、全然そんなことは思わなかった。今思えば、わたしのアメリカ訛りの英語が悪かったのかもしれない。メルボルンで会った人たちは、アメリカ人が嫌いな人が多かったから。

高校の生徒は白人とアジア系留学生のグループにはっきり分かれていて、わたしはその留学生グループの一人だった。日本人はその学校ではわたし一人しかいなかったけど、アジア人留学生以外にわたしに興味を持ってくれる人なんていなかった。そして、アジア系留学生のグループはすごくダサかった。

見た目がまずかわいくない。背が低くて、鼻がつぶれていて、頭の形が絶壁で、スタイルも悪く、センスもない。よくわからない、変なキャラクターの小物を持っていたり、眉毛がボーボーだったり、変な髪型だったり、ひどいオレンジ色の髪だったりした。英語も変な訛りのある英語。そのくせ、やたらお金持ちだったりした。

学校のイベント(体育祭とか合唱コンクールみたいな)で活躍するのは決まって白人の生徒だった。生徒会みたいなのも白人ばっかりだったし。

今思えば、それは英語力の問題だったのかもしれない。でも、その高校に通ったことで、「アジア人はダサイ。そしてわたしもアジア人」という意識ができてしまった。英語が出来ない自分が嫌で、必死で勉強した。というか、友達がいなくて他にやることがないので勉強した。


家族で買い物に言ったら、無視されたので、そのまま店を出たことがあった。

レストランに行ったら無視されたこともあった。

外を歩いていたら、車から「yellow(なんとか)!」(聞き取れないところがさらに虚しい)と罵られたことがあった。












日本ではよくあると思うのだけど、彫りが深くて、ぱっちりした目とか、長い脚とか、白い肌とか、そういうのが美しい容姿なんだと思っていた。


アメリカに交換留学に行った時、



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