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(仮)わたしがバンコクでスタートアップにインタビューしている理由。

Image by Olia Gozha

2014年8月3日。

遂にバンコクに来てしまった。

もう、引き返せない。

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2011年3月、三流大学を卒業したわたしは、千葉県の田舎にある小さい会社に新卒で入社をした。食品容器を取り扱う専門商社で、希望した職種は営業だった。

「社会人になりたくないなぁ」

「ずっと学生でいたいよねー」

という友だちとは逆に、大学生という中途半端さに嫌気がさしていたわたしはいよいよ社会に認められた気がして、社会人になることがとても楽しみだったし、希望に満ちあふれていた。


しかし、現実は自分が思い描いていた社会人生活とはかなりかけ離れていた。


新入社員は上司の言うことにすべて「はい」を言わなければならない

どんな暴言を吐かれたり、どんなに理解できなくてもお客様は「お客様」

会社は個性なんて望んでいない。「個性は潰せ」まずは上司に好かれることこそがこの小さな社会で生きる道だ。

お前の意見なんか聞いてない、顧客が望むならそれをなんとかしろ。わからなくても理解しろ、顧客が悪いんじゃない「お前が悪いんだ」

同期は味方じゃない、全員ライバルだ。ライバル同志で親睦なんて深める必要はない。仕事終わりの「飲み会、打ち上げなんてするな」


きっと地方の小さい会社ならではだったと思う。

これが都内のスタートアップや大手企業だったらこんな昭和みたいなルールまかり通らないだろう。


でも現実に、わたしはそういう会社に新卒で入社した。

おまけに、その当時はまだ社会の渡り歩き方を知らなかった。

本当に青かったとおもう。


営業はまずはじめに営業アシスタントとして社内のワークフローを学ぶことから始める。

最初はとにかく仕事を覚えるのに一生懸命で、冷静に考える時間なんてなかった。

でも、業務をこなしていったある時におかしな点に気づく。

会社自体の考え方が古く、新しいものを取り入れようとしなかった結果、目の前には膨大な量の事務を手動で処理する異常な光景が広がっていたからだ。

パソコンがあるようで無い、

あまりに無駄が多すぎる、

と率直に思った。

だから、こういうやり方を導入してみるのは?なんでこの業務が必要なのか?納得できないこと、どう考えても理解できないことは先輩にきちんとした答えを求めた。

でも、そんなことにいちいち対応しているほど時間が取れるわけでもない。

なぜなら、一人の手が休まることで仕事は溜まっていき、顧客からの理不尽なクレーム、人手が足りない現状を理解しようとしない上司からの圧力が無くなるわけではないからだ。

上司だけでなく周囲とのコミュニケーションを取れる時間もない、信頼関係も築けない、3人しかいない同期は全員敵だとプレッシャーを永遠とかけ続けてくる上司がいる。


気づいたらわたしは誰も信じられず、また誰からも信じられず社内で孤立していった。

会社からの帰り道は、仕事でのストレスから自分に対する嫌悪感。そして周囲からの評価に対する恐怖で眠れない日々、そんなのばっかりだった。

でも、帰り道だけが唯一自分の感情を爆発させることができる時間だった。

こんな中途半端な姿で両親に顔をあわせることなんて出来ない、

親孝行ができない自分はなんて親不孝者なんだとまたそれで自己嫌悪に陥った。


今だからこそわかるけど、あの時は精神的に本当に不安定だった。

それが身体にも現れていた。

辛いけど、朝になる。

出社の時間がくる。行くしかない。

休めば休んだ分だけ、周囲の評価も下がるし、同期との差がつく……


精神的にも身体的にも限界にきていた。

そんなある時、女の上司2人に呼び出され、4時間ほど「話し合い」という名目でわたしの仕事上でのちょっとしたミスを理由に、人格を否定された日があった。


もう限界だった。

その日、初めて泣きながらお母さんとお父さんに電話をかけた。

「死にたい、辛い。」

いまそんなことをしようものなら、なんてバカなことを言ってるの!って自分の頭をスパーンと叩くだろうけど、もうその時ばかりは本当に本当に、もう、限界を超えてしまっていた。


でも、幸いなことに、自分の居場所はここに無いんだ、とその日から完璧に感情を殺せるようになった。

会社にいる自分は喜びも怒りも悲しみもしない。ただ与えられたことをこなせばいい、と考えた。

それがきっと自分を守るための方法だった。


その日から、仕事の仕方を変えた。

余計な仕事はしない。感情をいれなければ仕事はうまくいくということを学んだ。


上司からの評価よりも、会社以外での自分のことを充実させようと考えた。



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