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15/3/14

激動のウクライナを、侍の衣装を着て歩いてみた

Image by Olia Gozha

 マイダン広場の決闘~キエフ




1.

ベラルーシ~ウクライナの国境を通過したのは夜中の3時。

当然深い眠りについている時刻だが、容赦なくたたき起こされる。

いや、不穏な雰囲気で嫌でも目が覚めてしまう。

私のコンパートメントにも係官が乗り込んできて、パスポートをチェックする。

同室の他の人はみんなベラルーシ人かウクライナ人。

IDカードをさっと見るだけで手続きはあっさり終わったのに対して、なぜか私だけ時間がかかった。

端末機になにか打ち込み、パスポートをパラパラめくってすみからすみまで眺めている。

なんだか落ち着かない気分だ。

まだ夜明け前であたりは真っ暗。

隣のコンパートメントからは女性の声が聞こえてくる。

なにを言ってるのかわからないが、大声で抗弁しているようだ。

彼女の子供だろうか。

小さな子供が大きな声で泣きわめいている。

真夜中に叩き起こされて、無骨な審査官の検閲を受けるのは気分のいいものじゃない。

子供じゃなくても泣きたくなる。

なんだか自分が強制収容所行きの列車に乗り込んでしまったかのような錯覚をおぼえた。

朝8時、列車はウクライナのキエフに到着した。

ここでも係官が乗り込んできて、パスポートをチェックする。

そしてまたしても私だけ時間がかかった。

他の乗客はみんな列車を降りてしまっているというのに、私ひとりだけが取り残されている。

係官が私になにか聞いてくる。

だが、なにを言っているのかわからない。

なんだ? なにか問題でもあるのか?

これは国際列車なんだから、係官も英語くらい話せよ。

係官はしきりと無線で他の誰かと交信しては、私に質問をしてくる。

だが、彼の話す言葉は英語ではないので、私には答えようがない。

これではラチがあかないと判断したのか、係官は「ついてこい」という仕草をして歩き出した。

私のパスポートを持ったまま。

ウクライナは今、準戦時下にある。

少しでも怪しいと感じた人間は、即座に連行して詳しく取り調べるのかもしれない。

それにしても、いったいなにが引っかかったのだろう。

なにか不審な点でもあったのだろうか。

やましいことはないが、やはり緊張する。

それに、アナトリーが駅まで迎えに来てくれているはずだ。

彼を長時間待たせるのも心苦しい。

プラットフォームの端まで来たところで、係官が指差す。

その先には、見覚えのある顔が私に向けて手を降っている。

アナトリーだ。

「お前の友達か?」

おそらく係官はそう言ったのだろう。

「そうだ、俺の友達だ」

と答えると、係官はどこかへ行ってしまった。

いったいなんだったんだ?

なんであんなに時間がかかったんだ?

脅かしやがって。

さっさとパスポートを返せよボケっ!

キエフ駅周辺ではやたらと軍人の姿が目に付いた。

だが、もう不安はない。

キエフ市民が一緒にいてくれるという安堵感が、心の余裕をもたらしてくれている。

アナトリーは車で迎えに来てくれていた。

重い荷物を持っている身にはとてもありがたい。


さっそく彼の車に乗り込み、ウクライナ国旗のカラーをしたトラムを眺めながら、キエフ市内を快適にドライブ!


と言いたいところだが、いったいどこを走ってるんだ、アナトリー?


彼の車はトラムの間を縫うように走っている。


ウクライナではこんな所を走っても違法じゃないのか?


なんだか少し不安になってきた。




「マサト、私の家に寄る前に、君に見せたい場所がたくさんあるんだ。ここはひとつ、小旅行と洒落込もうじゃないか」


とのアナトリーの提案で、キエフ市内を散策することになった。


いったいどんな素敵な場所に連れて行ってくれるんだろう。


なんだかわくわくする。




私の期待に反し、アナトリーが連れて行ってくれたのは、なんだかよくわからない場所ばかり。


ガイドブックには載ってないので、おそらくかなりマイナーな場所だと思われる。


キエフでの貴重な3日間。


一秒だって無駄にはしたくない。


アナトリー、はやく有名な観光地に連れて行ってくれー。


アンドレイ坂の上にはエレガントなアンドレイ教会が見えているというのに、なんだかとても遠い存在に感じる。




「マサト、腹はへってないか?」


とアナトリーが聞いてくれたおかげで、食事にありつくことができた。


アナトリーが連れて来てくれたのは、「プザタ・ハタ」というウクライナ料理のレストラン。


値段も安く、キエフ市内に何店舗もあるチェーン店なので、けっこう重宝しそうだ。


このレストランからもアンドレイ教会が見える。


いったいいつになったらあそこに行けるのだろう。





食事の後は外貨の両替のために銀行に連れて行ってもらった。


ポーランドのお金は交換してもらえたのだが、リトアニアのお金は受け取ってくれないらしい。


なんだか不便だ。




ここで私は重大なことに気づいた。


ウクライナで外貨を両替するにはパスポートの提示が必要なのだが、パスポートと一緒に保管しておくべき入出国カードが見当たらないのだ。


地球の歩き方にはこう書いてある。




「・・・カードは、ウクライナを出国する際に提出しなければならない。これがないとトラブルとなり、出国できなくなることもあるので、なくしてしまわないように細心の注意を払って保管しておくこと」




出国できないって、いったいどういうことなんだろう・・・


そんな大事な物を、いきなり失くしてしまった。


これは大変なことになったぞ。




きっと寝台列車の中だ。


係官に連行された際、あわてて列車から降りたものだから忘れ物がないか十分にチェックする時間がなかった。


きっとベッドの上に置き忘れてきたに違いない。




「アナトリー、急いで駅に戻ってくれないか? イミグレーションカードを失くしちゃったよ」


「はあ? なんだそれは。今すぐじゃなきゃダメなのか?」


「そうだ。今すぐだ。あれがないと厄介なことになる」




私がそう説明しても、アナトリーはなんだか気乗りしない顔。




「そんな紙切れ1枚、失くしたってどうだっていいじゃないか。


それに今更駅に戻ったって遅いぞ。列車はとうの昔に出発してしまっている。」


「でも、もしかしたら誰かが発見して、駅の遺失物拾得係りに届けてくれたかもしれないじゃないか。


とにかく駅に行って確かめてみたいんだ」




私が必死に説得しても、アナトリーは大きく頭を振ってため息をつくばかり。




「いいか、マサト。


お前はウクライナに到着したばかりじゃないか。


イミグレカードが必要なのは出国の時だろ? いったい何日後の話だ?


そんな先のことを心配するよりも、今を楽しめ。


お前は今キエフにいる。


だったら今この瞬間はキエフをエンジョイすることに専念すればいい。」




アナトリー、他人事だと思ってないかい?


時間が経てば問題が解決するとでもいうのか?


事態はあんたが思っているよりもはるかに深刻なんだ。


たとえ手遅れだろうが、俺は今できる手はすべて打っておきたいんだよ。


じゃないと後で後悔する。




しばらく二人で言い合いをしていたのだが、どうしてもアナトリーは駅まで行ってくれなかった。


なんて頑固なオヤジだ。




彼が不親切だというわけではない。


リヴネ行きのチケットを買うために、売り場まで連れて行ってくれたのだから。


しかし、チケット売り場からは車ですぐそこのキエフ駅には、どういうわけか行ってくれない。




「出入国カードがなかったら、いったいどうなるんだろう?」


俺はそんな不安を抱えながら、ウクライナ出国の日まで過ごさなければならないのだろうか。


いや、明日の朝一番で駅まで行こう。


それでもし見つからなければ日本大使館に行って相談しよう。




私のそんな不安をよそに、アナトリーのツアーはなおも続く。


もちろん、ガイドブックには載っていない超マイナーな場所ばかり・・・




ああ、こんなことしてるヒマがあったら、駅に行ってイミグレーションカードの行方を確かめたい。




キエフには大学や教会が無数にある。


それら一つ一つについてアナトリーは丁寧に解説してくれる。


が、はっきり言って私はそんなものには興味がない。


キエフには他にもっと観光客向けの見どころがたくさんあるので、短い滞在期間を有効に使いたい。


それに、アナトリーの英語はわかりづらい。


彼の解説を聞いていても、ちっとも理解できない。




さらに困ったことに、彼は私の体をベタベタ触ってくるのだ。


肩を組むだけならまだしも、腕を組んだり手をつないだり。


私の体をくまなくさすっては抱きしめる。


ぞ・ぞ・ぞ・ぞーっ。


鳥肌が立ってきたぞ。




最初のうちこそ「これがウクライナ式の歓迎方法なのかな」などと思っていたのだが、こう何度も繰り返されると、だんだんと気持ち悪くなってきた。




「このおっさん、もしかしてホモじゃねえだろうな」




さらに困ったことには、アナトリーは私のカメラを奪ったきり、返してくれないのだ。


「マサト、お前の写真を撮ってやろう。そこに立て」




きっと彼は善意でやってくれているのだろう。


でも、せっかくウクライナまで観光に来ているのだから、自分でたくさん写真を撮りたい。


それなのにずーっとアナトリーは私のカメラを手放さない。




なんとか返してもらっても、すぐにまた


「ほら、ここなんて写真撮影にはピッタリだぞ。


カメラをよこせ、マサト。 俺がお前の写真を撮ってやるから」


そう言ってまた私のカメラを奪ってしまう。


これでは自分のペースで観光ができない!




「ガイドブックには載っていない」(超マイナーな)教会めぐりにもうんざりしてきたころ、アナトリーは市場に連れていってくれた。


しかし、あいにく今日は休みの模様。


ほとんどの店は閉まっていて、市場の中はガランとしている。


なんだかシラけた空気が漂う。




ここでもアナトリーは丁寧に解説をしてくれる。




「マサト、これを見ろ。これはだな・・・」


「もしかして、サーロー?」


「そうだ。よく知ってるな」




ベラルーシでサンダルイクから、


「マサト、ウクライナに行ったら絶対にサーローを食べなきゃダメだぞ」


と言われていたのを思い出した。


アナトリーはそのサーローを大量に買おうとしている。


「これがなきゃウクライナの夜は始まらないのさ」




地球の歩き方には載っていないこの「サーロー」。


アナトリーがいなければ、自力でこの珍味にたどりつくことはできなかっただろう。


ちょっとふてくされていた私だが、これで一気に機嫌がなおってしまった。






次にアナトリーが連れてきてくれたのは、なんだか高そうなレストラン。


高級そうなワインがずらりと並んでいる。


「アナトリー、ここは俺には高級すぎるよ。


それにまだそんなにお腹は減っていない」


「心配するなマサト。 ここは私の友人の経営するレストランだ。


君に紹介しようと思って連れてきただけだ」




このレストランのオーナー・シェフだというアナトリーの友人は、料理の世界ではかなり有名らしい。


実際、本を何冊も出していて、彼のことを知らない人はいないという。


その本にはたしかに、このレストランのオーナー・シェフの写真が載っていた。


そしてその隣にはひげをはやしたいかつい顔の男も一緒に写っている。




「俺の息子だ」


えっ!


アナトリー、あんた息子がいたのか。


ホモじゃなかったんだ。




オーナー・シェフは私に向かって、


「どれ、一緒に写真を撮ってやろう」


という。


「なんて高飛車なんだ!」と思ったが、きっと彼はそれだけ有名人なのだろう。




ご丁寧にも彼は自分の著書に直筆のサインまで書いて私にプレゼントしてくれた。


ここまでしてくれるということは、やはり彼は本物の有名人だったのだろうか。


私が「ありがとう」と御礼を言うと、彼は大笑いしながらワインを一杯プレゼントしてくれた。


クリミア産の「アリガタヤ」という名のワインだそうだ。







レストランはドニエプル川沿いにあり、ビーチで泳げるらしい。




「マサト、アンドレイ教会を眺めながらひと泳ぎと洒落込もうじゃないか」


とのアナトリーの提案。


キエフで泳ぐなんてことはまったく私の計画にはなかった。


しかし、もちろん異論はない。


ウクライナ美人の水着が拝めるのだから。






2.






首都にあるにもかかわらず、そのビーチはなかなかのどかな雰囲気に包まれていた。


対岸にはアンドレイ教会が見える。


砂浜にはところどころに簡易更衣室が点在している。


かなりちゃちな造りで、その気になれば簡単に中をのぞけてしまいそうだが、きっとウクライナにはそんな無粋なことをする奴はいないのだろう。




ひょっとしてヌーディストビーチなのでは?


と淡い期待を抱いていたのだが、みんなしっかりと水着を着こんでいる。


まあ当然か。


かりにもここはウクライナの首都なのだから。




ウクライナ美人の水着姿目当てにやってきたのだが、あまり若い女の子の姿は見えない。


ちょっとがっかりだ。


目の保養よりも、他人の視線の方が気になった。


というのも、我々ふたりははたから見たらホモ・カップルのように見られそうで怖かったからだ。


年配のウクライナ人男性とアジア人の男。


ヨーロッパのホモ・カップルにありそうな組み合わせだ。







ビーチでしばらくのんびりした後、アナトリーは軍事博物館に連れてきてくれた。


相変わらずマイナーなスポットが好きなおじさんだ。




キエフで軍事博物館に寄る予定などなかった。


というより、そんな物があることすら知らなかった。


日本では東側の兵器を見る機会なんてあまりないから、こういう経験もまあいいか。




ここでもアナトリーはひとつひとつの兵器について詳しく解説してくれる。


やけに詳しいなあ、と思っていたら、それもそのはず、彼は元軍人だったそうだ。


国境守備隊にいたと言っていた。


うん。そういえば、彼の顔はそんな顔つきをしている。




軍事博物館のすぐそばに大祖国戦争歴史博物館がある。


高さ100メートルはあろうかというこの彫像は、モスクワの方向を向いている。


手には剣と盾を持って。


ロシアに対するウクライナの断固たる姿勢の表れなのだろうか。




ここからはペチェールスカ大修道院がすぐ近くに見える。


でもやっぱりアナトリーはそこに行く気はないようだ。


あくまでもマイナー路線をひた走るつもりだな。




夕方まで車で市内を走り回り、ようやくアナトリーの家へと帰ってきた。


まる一日車でキエフ市内を走り回ったというのに、けっきょくガイドブックに載っているような場所には一つも行かなかった。


まあいい。明日がある。




「なにか軽くつまむとするか」とのアナトリーのありがたいお言葉。


彼が食事の準備をしている間、私はテラスで待つように言われた。


アナトリーの家は広く、庭を見渡すことのできるテラスで食事をとるのだ。




彼がふるまってくれたのは、今日市場で買ったサーロー。


実は私もサーローがなにかよくわかっていない。


おそらく、ウシか豚の脂肪、または内臓だと思う。




このサーローを生で食べるのだ。


もちろん、そのまま食べても味気ないので、たまねぎやにんにく、または黒パンと一緒にボリボリ食べる。


こんなものを毎日食ってるウクライナ人はきっと精力絶倫に違いない。




そしてこのサーロー、ウォッカによくあう。


私は普段、お酒はあまりたしなまないのだが、サーローと一緒ならウォッカがまたうまいのだ。


ついつい飲みすぎてしまう。


ウクライナ人に酒豪が多いのは、このサーローのせいかもしれない。




食事の後は再び出かけるらしい。


いったいどこに行くんだい、アナトリー?




「いいところに連れていってやろう、マサト」


「いいとこってどこ?」


「ヌーディストビーチ」




え?


首都のキエフにヌーディストビーチ?


そもそもキエフには海すらないというのに?




ヌーディストビーチは車ですぐのところにあるらしい。


「毎日夕方にそこでひと泳ぎするのがわしらの日課じゃ」


アナトリーの奥さんも準備をしている。


まさか、彼女も一緒に行くのか?


ヌーディストビーチなのに!




車が停まったのは森の奥だった。


本当にこんなところにヌーディストビーチが存在するのだろうか。




そのヌーディストビーチは森の中にある湖にあった。


この湖の周りには背の高い草が生い茂っており、さらにビーチは一段低いところにある。


なので外からは容易に見ることができない。


というわけでここがヌーディストビーチたりうるということらしい。




せっかくなのでヌーディストビーチなるものを体験してみたかったのだが、私には無理だった。


ここは森の中。しかも日が暮れかかっている。


とても寒いのだ。


パンツどころか、服を脱ぐ気にすらならない。


いや、服を着ていても寒い。


ウクライナの夏は寒いのだ。


彼らが泳いでいる間、私は毛布にくるまって一人震えていた。




湖からあがってきたアナトリーの奥さんが、おもしろがって私のことを見ている。


「マサト、あなたは泳がないの? 


あら、毛布になんかくるまっちゃって。


ほんとに変な人ねえ。」




変なのはそっちの方だ。


こんなに寒いのにバシャバシャ泳ぐなんてどうかしてる。


ウクライナ人の神経はいったいどうなってるんだ?


あれ?


奥さん水着着てる。


ここはヌーディストビーチじゃなかったのか?


ひょっとしてアナトリー、外から見えないことをいいことに、あんたが勝手に脱いでるだけじゃないのか?


おまわりさん、ここに露出狂がいますよ!






家に帰ると、アナトリーの奥さんが一枚のパンフレットをくれた。


アナトリーが自慢そうに言う。


「表紙の女性が誰だかわかるか?」


「えっ!ひょっとして奥さん?!」




彼女はウクライナの民族舞踊の団体を主宰しているのだとか。


日本にも何度か公演に来たことがあるという。




その時に覚えたのか、日本語の歌を何曲か歌ってくれた。


「しあわせなら手をたたこ、しあわせなら態度でしめそうよ、・・・」


彼女は日本語ができないはずなのに、なかなかうまく歌っている。


きっと音楽的センスがすぐれているのだろう。


それにしても、まさかキエフでウクライナ人から日本の歌を聞かされるとは思ってもみなかった。







「真ん中の女の子が誰かわかるか?」


アナトリーが再び自慢そうに言う。




「えっ! まさか、まさかあんたの娘さんなのか!?」


写真の中央に写っているのはアナトリーたちの娘さん。アーニャというらしい。


腰に手をあて、くるっと回ったひょうしに民族衣装のスカートがふわっと舞い上がっている。


ほえええ、ウクライナの民族舞踊ってせくしぃだなあ。







このパンフレットには、他にもきれいな女の子がいっぱい写っている。


みんなアナトリーの奥さんの主宰するダンス教室の生徒さんなのだそうだ。


その教室はここから近く、彼女は毎日そこで教えている。




「明日、ぜひ見学させてくださいっ!」


何度も彼女に頼んでみたのだが、私の英語が通じないのか、彼女は私がなにを言いたいのかわからない様子。


もしかしたら、やんわりと断られていたのかもしれない。


やはり下心が見え見えだったか。




彼女は生徒さんたちのコーラスが収録されたCDもくれた。




あの、できたらDVDの方がいいんですけど・・・


それも、なるべく過激なやつお願いします。








サーローを肴にウォッカを飲む。


もっともぜいたくなウクライナの夜の過ごし方だ。




アナトリーは地図を広げながら、明日の予定を説明する。


彼は仕事があるので、明日は一緒に来れない。


そのために、私が一人でも歩けるようにレクチャーしてくれているのだ。




親切はありがたいのだが、私には私の、行きたい場所というものがある。


アナトリーの意見は大いに参考にさせてもらうが、やはり自分のスケジュールは自分で決めたい。




だが、そんなことにはおかまいなしに、アナトリーは話し続ける。


地図に大きく番号までふって、訪れる順番や道順を細かく書き込んでいく。


所要時間や費用、見どころなど、まさに頼りになるガイドだ。




彼の話を聞いているうちに、今日の彼の行動の意味がわかったような気がした。


今日彼が連れていってくれたのはどこもわかりにくい場所にあり、交通の便が悪く、公共交通機関では訪れるのが難しいと思われる場所ばかりだ。


ガイドブックに載っているような有名観光スポット周辺には標識などもあり、自力で訪れることはそう難しいことではないから、彼に案内してもらう必要なんてないのだ。




そして目印となる場所では車を停め、私の記憶に残りやすいように配慮をしてくれた。


そんな調子でまる一日、車でキエフの街を走り回ったのだから、私の頭の中には市内の様子がしっかりと刷り込まれている。


この街に来てまだ一日目だが、私はもうすでに自由自在に歩き回ることができるようになっていた。


アナトリーのおかげだ。




「マサト、明日は何時に起きる?」


と聞かれたので、


「そうだなあ、8時くらいかな。今日は疲れたからゆっくり寝たいよ」


と答えたらアナトリーは失望していた。




彼は毎朝夜明けとともに起床してトレーニングにはげむ。


きっと私にも同じことを期待していたのだろう。




私は侍の衣装を着てヨーロッパを旅している。


「日本の侍はきっとストイックで勤勉に違いない」


アナトリーはそう解釈して、私を彼の家に招待してくれたのかもしれない。


そんな彼の期待を裏切ってしまった。


侍は朝遅くまで惰眠をむさぼったりはしないのだ。




「いや、アナトリー、違うんだ、聞いてくれ。


昨日は夜中の3時に国境通過の審査があったりして、夜行列車ではよく眠れなかったんだ。


だから明日の朝は遅くまで寝ていたいんだよ。




俺だって日本にいるときは朝早くに起きるし、トレーニングだって欠かさない」


と、のどまででかかったが、やめておいた。


日本人は、侍は言い訳なんてしてはいけないのだ。


これ以上アナトリーを失望させるわけにはいかない。




ただ黙って夜明け前に起き、アナトリーと一緒にトレーニングすればいいだけの話だ。


俺にだって意地がある。






3.






朝起きて下に降りていくと、すでにアナトリーがいた。


パンツ一枚でダンベルを持ち上げている。


裸の上半身からは湯気がたっている。


もうすでにかなり長い間トレーニングをしていたようだ。




「よう、遅かったじゃないか」


遅いもんか。


夜明けの時刻にあわせて、目覚まし時計のタイマーをセットしておいたんだから。


そっちが早すぎるんだよ。




「マサト、いいものを見せてやろう」


そう言ってアナトリーが持ってきてくれたのは、銃だった。


カラシニコフを散弾銃に改造したものだ。




元・国境守備隊員のアナトリーに、銃の扱い方を教わった。


それはズシリと重く、「これで人が殺せるんだ」と思うと手が震える。












トレーニングを終えた後、一緒に朝食をとる。


これはなんだろう?


ひまわりの種のようなものがテーブルの上に置かれていた。


コーンフレークみたいなものなのかな。


いったいどうやって食べるんだ?


勝手がわからない私のために、アナトリーが実演して見せてくれた。


カップにいれてお湯を注ぎ、ふたをしてしばらく置いてから食べるらしい。




激しいトレーニングの後だから、朝からがっつりと食べる。


肉、野菜、フルーツ、ヨーグルト。


今日は一日動き回る予定だから、食える時に食っておく。




昨日はまる一日、私のために仕事を休んでくれたアナトリーだが、さすがに今日は働かなくてはいけない。


でも大丈夫。


アナトリーのおかげで、昨日のうちにしっかりとキエフの地理を把握することができた。


今日は朝からガンガン観光するぞ。




まず向かったのはマイダン(独立広場)。


どこへ行くにしても、ここが拠点となる。




昨日はずっとアナトリーの車に乗りっぱなしだったので、今日は歩こうと思う。


ウクライナは今、国境地帯で戦争をしている。


他の国とは少し違う。


せっかくこの時期にウクライナを訪れたのだから、特殊な状況下にあるこの国の「今」を肌で直接感じたい。


そのためには自分の足で歩くのが一番だ。




途中でキエフ大学やウラジーミル聖堂に立ち寄りながら、キエフ駅へと向かう。


失った入出国カードの行方を探さなくてはならない。




インフォメーションの女性は若い女性だったが、英語がほとんど通じない。


ベラルーシからの夜行列車のチケットを見せながら、


「昨日この電車でキエフまでやってきたんだけど、車内にイミグレーションカードの忘れ物はなかったですか?」


と聞いても通じない。


列車のチケットを眺めながら、時刻表を確認したりしている。


いやいや、そのチケットは昨日のだから。


俺が聞きたいのはイミグレーションカードのことなんだけど・・・




けっきょくここではらちがあかず、別の窓口へ行けと言われた。


別の窓口の女性はかなりの年配だったが、少し英語が通じる。


外国人担当なのかもしれない。


少しほっとするも、やはり私の言わんとしていることが理解できないようだ。


「地球の歩き方」に載っている入出国カードの写真を見せても、反応はイマイチ。




「イミグレーション・オフィスはどこだ?」


と聞いても知らないという。


そんなはずはない。


昨日、夜行列車が到着したとき、確かに係官が乗り込んできて、私のパスポートをチェックした。


この駅のどこかにイミグレーション・オフィスがあるはずなのだ。


そう詰め寄っても女性は首をすくめるばかり。




駅構内を探してみたが、それらしい場所は見つからない。


途方に暮れていたところに、一人の男が現れた。




「私なら君の力になれるよ」




なんだ、この男は?


英語はそこそこ話すようだが、見るからにうさんくさい。


体中から、ある種の怪しいにおいを発している。


絶対に信用してはならない。




だが、この男の力を借りるしかないのが現状だ。


ダメもとで彼に状況を説明してみた。




「それは大問題だ! 今すぐ手を打たねば手遅れになる!」




男は大げさな表現で、私の不安を煽り立てる。


詐欺師の常套手段だ。


たとえそうだとわかっていても、その効果は絶大。


私はとても不安な気持ちになり、大いに焦る。


今にもこの男にすがりつきそうになる。




男は近くを通りかかった警官を捕まえて、なにか話している。


話し終えた後、


「こっちだ。ついてこい」


そう言って歩き出す。


ひょっとして、イミグレーション・オフィスに連れていってくれるのか?




しばらく歩いた後、今度は軍服を着た兵士数名となにやら話し込む。


男と兵士たちは煙草に火をつけ、一服する。


その間私はなにもせずに待っている。




いったい彼らは何をしているのだろう?


誰かを待っているのだろうか。


その誰かとは、私の窮地を救ってくれる人物なのだろうか。




彼らはなにもしてはいなかった。


ただ煙草を吸っていただけだった。




ふざけるなこの野郎!


こっちは急いでるんだ。




煙草を吸い終わった彼は言う。


「ここではあんたの抱えている問題は解決しない。


あんたは大使館に行かなければだめだ。


パスポートは持ってるか?


俺の車で外務省まで連れていってやる。」




男は私に「パスポートを見せろ」、と言う。


なんでお前に見せなきゃならないんだよ。


そもそもお前は誰だ?


それに彼に報酬も支払わなければならないらしい。




もともと大使館には行くつもりだった。


場所も確認済みだ。


彼の力を借りずとも、自分一人で行ける。


報酬を払うつもりもない。




立ち去ろうとする私の背中を、男の声が追いかけてくる。




「もたもたしてると取り返しのつかないことになるぞ!」




詐欺師のくせに、人を脅かすことだけは超一流だな。








キエフ駅の構内で外貨の交換所を見つけたので、リトアニアの通貨の両替を試みる。


だが、ここでもやはり受け付けてもらえなかった。


リトアニアのお金というのは、よほど需要がないらしい。




窓口を離れると、すぐに女性が駆け寄ってきた。


闇両替商だ。




「闇」といっても、ここはウクライナの首都、キエフの鉄道駅構内。


あたりには制服を着た警官や軍人がウロウロしている。


女性には不釣り合いな大きなカバンをたすきがけにして、外貨交換所の周りにたむろしている彼女たちは、どこからどう見ても「闇両替商」なのだが、誰も取り締まる気配がない。




ガイドブックには、


「闇両替商は絶対に相手にしてはいけない」


と書いてある。




だが、せっかく外国に来ているのだから、いろんなことを体験してみたい。


日本で闇両替商と出会う機会なんて今までなかった。


それに、「闇」という言葉の響きもどこかかっこよかった。


実はアングラな世界にちょびっとあこがれてたりする。




なので少額だけ交換してもらうことにした。


レートを確認してみると、思った以上に良いレート。


街中に店を構えている正規の両替商よりもよかったりする。


それがまた怪しい。




ガイドブックには、


「手品のようにお金を抜き取られる」


とか書いてあったので、精神を集中して凝視していたのだが、彼女の行動に不審な点はなかった。




ほんの少し両替しただけなのに、闇両替商の女性はとても喜んでくれた。


感じのよいおばさんで、何度も「ありがとう、ありがとう」を連発。


そのまましばらく立ち話までしちゃいましたよ。




ダメもとで、


「ポーランドやリトアニアの硬貨も両替してくれないか?」


と頼んでみたところ、あっさりOKしてくれた。




銀行や正規の両替商では紙幣のみを取り扱っていて、硬貨の両替には応じてくれない。


だが、この女性は硬貨も交換してくれるという。


硬貨の場合はレートは少し悪くなるのだが、もともとは無駄になる運命だった金だ。


たとえ少額でもウクライナの現金に交換できたことをラッキーと思うべきなのだろう。




闇両替商のおばさんはまたしてもうれしそうに「ありがとう、ありがとう」を連発。


あまりに喜ぶものだから、


「もしかして俺、大損させられてるのかなー」


なんて不安になって、もう一度為替相場を確認してみたのだが、やはり間違いはない。




お互いいい気分になって、おばさんともずいぶん仲良くなれたと思い、


「一緒に写真を撮ろう」


と言ったら、ものすごい剣幕で怒られた。




え! なんで?


さっきまであんなに和気あいあいのムードだったのに・・・




やはり闇両替商は闇両替商でしかなかったのか。


一気に現実に引き戻され、キエフ駅を後にした。






黄金の門で写真を撮っていると、突然日本語で話しかけられた。


「日本人ですか?」


「は、はい」




思わず日本語で答えてしまったのだが、相手の顔はどう見ても日本人には見えない。


おそらくウクライナ人なのだろうが、あまりにも日本語がペラペラなので面食らってしまった。




彼は日本の大学に通っているらしい。


もう東京に住んで5年以上にもなるそうだ。


だからこんなにも流ちょうな日本語を話すのか。




今は夏休みなので、故郷であるキエフに帰省しているという。


となりには彼のお父さんがいて、英語も日本語も話せないが、とても感じのいい人だった。




「どうしてこんな大変な時期にウクライナへやってきたの?」




彼にそう尋ねられた。


だが、私はそんなに「大変」だと感じたことはない。


たしかに東部では激しい戦闘が繰り広げられているが、ここキエフは平和そのもの。


戦争の影はどこにも見えなかったからだ。




「キエフにはいつまでいる? なにか困ったことがあったら、いつでも僕に連絡して。 きっと力になれると思う」




そう言って彼は電話番号とメールアドレスを教えてくれた。


見ず知らずの人間に、どうしてそこまで親切にしてくれるのだろう? 


これがウクライナ人の気性なのか。




と思っていたのだが、実は彼も東京でいろんな人に親切にしてもらったそうだ。


日本にやってきたての頃はそれこそ右も左もわからず、毎日不安で仕方がなかったのだとか。


そんな時にたくさんの日本人に優しくしてもらい、大変感激したと彼は言う。




私が日本で彼に親切にしたわけではない。


でも、こういう好意の連鎖っていいな、と思う。


私もこの輪を断ち切らないようにしなければ。







ようやくキエフ観光の目玉のひとつ、ソフィア大聖堂にたどりつくことができた。


「バスや電車は使わない」と決めたものの、キエフの街は予想外に大きい。




侍の衣装を着て写真を撮っていると、




「ひとつ聞いていい? いったいなにやってるの?」




と聞かれてしまった。


このウクライナ人の少年はとてもはきはきとした英語をしゃべり、頭もよさそうだ。


ウクライナ人がみんなこの男の子のようだったら、この国を旅するのも楽なのにな。









ソフィア大聖堂を歩いていると、一人の女性が私のことを見つめているのに気付いた。


うるうるした瞳で、ため息までついている。


もちろん、彼女がうっとりとした表情で見つめているのは私ではなく、私の来ている侍の衣装だ。


馬子にも衣裳とはよく言ったもので、侍の衣装を着た私は千倍いい男に見えるらしい。


彼女は私に抱きついて離れなかった(嘘ですよ)。




「一緒に写真を撮ろう」と言うと彼女はおおはしゃぎ。


「本当? うれしいっ!


あなたフェイスブックやってる? この写真を送って。 絶対よ!」




そう言って彼女はアドレスを教えてくれたのだが、それはキリル文字(?)で書かれていた。


私のキーボードでは入力することはできないし、そもそもなんて書いてあるのか読めない。


彼女には悪いが、いまだに写真を送るという約束ははたせていない。







ソフィア大聖堂の次に向かったのは聖ミハイルの黄金ドーム修道院。


長ったらしい名前がついているが、ただ単純に「青の教会」と呼ぶ方がいいと思う。


ここは世界遺産にこそ指定されていないが、私の中ではキエフでもっとも美しい教会だ。


アナトリーに引きずり回されて、ガイドブックに載っていないキエフ中の教会を見てきた私が言うのだから間違いない。




ソフィア広場からはけっこう距離があるはずなのに、光り輝いて見える。


なんて美しいんだ。


本当に私はこの教会が気に入ってしまった。


青色にもいろいろあるが、この教会の青は私のツボにぴったりはまってしまったらしい。


青空ともよくあう。


青い建物の上に載っている金色の屋根も光り輝いている。


この教会だけで、何十枚もカメラのメモリーを消費してしまった。




青の教会で夢中になって写真を撮っていると、一人の僧侶が私の方をジッと見ているのに気付いた。


「ひょっとして、神聖なる教会の中で刀を腰に差している侍が気に入らないのだろうか」


とヒヤヒヤしたのだが、私をとがめようとする気配はなさそうだ。




「修道女にカメラを向けてはいけない」という話をどこかで聞いたことがあるので、


きっと僧侶も写真撮影はNGなんだろうな、とは思った。




だが、青の教会のあまりの美しさにハイになっていた私は、果敢にも彼に写真撮影を申し込んでしまった。


僧侶は英語が話せないようだったが、私の言わんとしていることは理解できているようだ。


カメラを向けても立ち去ろうとはしない。




写真を撮った後、僧侶に「ありがとう」と言うと、彼がひとこと。




「で、いくらくれるんだい?」




え? もしかしてこの坊さん、金を要求してるのか?


私は耳を疑った。




ローマなどの観光地では、古代ローマ軍の兵士の衣装を着た人がいて、一緒に記念撮影をするとお金を請求される。


だが、教会の僧侶にも同じことを要求されるとは思ってもみなかった。




ヨーロッパを侍の衣装を着て旅行していると、たくさんの人から「写真を一緒に撮ってほしい」とせがまれる。


私は今までそれらの要請を断ったことがない。


ましてやお金を請求しようなんて考えたこともない。




日本のお坊さんにだって、金に汚い人はいる。


僧侶はみな聖人君子たれ、なんて言うつもりもない。




でも、私の大好きな青の教会の住人の口から金を要求されたのはショックだった。


こんなにも美しい建物の中にいる人が、その程度の人間だったなんて信じたくなかった。




僧侶さんよ、あんたの唯一知っている英語が


「金をよこせ」


なのかい?


いくら払うかって?


答えはNOだ! ゼロだっ! お前なんかに1円も払うもんか。




思わず語気を荒くして怒鳴ってしまったが、今では大人げないことしたと後悔している。


ほんの気持ち程度でもいいから、あの僧侶にもお金を支払えばよかったのだ。


これからはお金を要求されたら、いくらかは支払うようにしようと思う。


もちろん不当に高額な要求は断るし、私の方からお金を請求したりはしないが。








不快な思いはしたものの、やはりこの「青の教会」は美しい。


さらに、美しい女性と一緒に写真を撮ることもできた。


おかげで、少し気分がましになった気がする。








昨日はおあずけを食らっていたアンドレイ教会を堪能したら、いよいよペチェールスカ大修道院だ。


が、このアンドレイ坂からはかなりの距離がある。




「地下鉄とバスを使うか?」


一瞬悩んだが、やはり当初の予定通り徒歩で行くことに決定した。




ヨーロッパの昼は長い。


日没までにはまだまだたっぷり時間がある。


急ぐ必要はない。


キエフは今回の旅のハイライトの一つ。


じっくりとこの目で見て、ゆっくりと歩いてみたい。




ようやくたどり着いたペチェールスカ大修道院。


しかし、メインイベントであるはずの大鐘楼は工事中のため、中には入れなかった。


「周囲360度のすばらしいパノラマが楽しめる」と聞いていたので、がっかりだ。


その埋め合わせというわけでもないだろうが、大鐘楼のふもとでは美しいウクライナ女性がきれいな衣装を着て、これまた美しい歌声を披露してくれていた。







ウクライナは美女大国だ。


どこに行ってもきれいな女性に遭遇する。


ここでも3人組の女の子たちと話す機会があった。




彼女たちはおそるおそる




「チャイ?」(あなたは中国人なの?)




と聞いてくる。


「いや、日本人だ」


と答えると、ホッとした様子で




「チャイ(中国人)、NO!


ジャパン、GOOD!」




と言っていた。


どうやら中国人はかなり嫌われているようだ。


「日本人は好き!」と言われてうれしくなったが、同時に複雑な気持ちにもなった。




ヨーロッパ人にとっては、日本人も中国人も見た目は変わらない。


私たちは日本語と中国語の区別がつくが、欧米人には難しい。


つまり、彼らにとっては日本人も中国人も一緒なのだ。


中国人が世界中で嫌われているということは、日本人もそのとばっちりを食うということにほかならない。







帰りは素直にバスを利用した。


今日のミッションをすべてクリアした安堵感からか、バスの中で居眠りしまった。


どうやら降りるべき場所を乗り過ごしてしまったようだ。


目が覚めた時には、自分が今どこにいるのかわからなくなってしまっていた。




でもまあきっとキエフ市内のどこかなのだろう。


地下鉄の駅のマークが見えた瞬間、バスを飛び下りた。


駅名を確認すると、当初乗る予定だった路線とはまた別の地下鉄だ。


独立広場まで戻るためには一度乗り換えなくてはならず、ややこしい。




でもまあこうやって迷うことで、より旅の記憶は鮮明なものとなる。


こうして鍛えられることによって、キエフの交通機関を自在に使いこなせるようになるのだ。


自分にそう言い聞かせることにした。






独立広場では一人のウクライナ人青年と出会い、ついつい話し込んでしまった。


彼の英語はとても早口で、ついていくのが厳しい。


きっと頭の回転が速いのだろう。




話の内容も多岐にわたり、アニメやゲームの話から世界情勢まで、常に頭をフル稼働させなければおいていかれてしまう。


それはそれでとても有意義な時間なのだが、私は日が暮れる前にアナトリーの家に帰りたい。


あたりが暗くなると、道に迷う可能性が高くなるからだ。


それに、明るいうちに独立広場で侍の衣装を着て写真も撮りたい。




しかし彼の話はエンドレス。


気が付くと、太陽が地平線に隠れようとしているではないか。


ヤバい、限界だ。




まだまだしゃべり足りなそうな彼の話を強引にさえぎり、引き取ってもらった。


さあ、急いで写真を撮って引き揚げよう。








そう思っていた矢先、今度は3人組の男が話しかけてきた。


サムライは忙しいのだな。




「あんた、そんな格好してるけど、腕の方は確かなのかい?」




なんか挑発的な言動。


と思っていたら、




「ちょうど俺たちは腕のたつ男を探していたんだ。


あんたは探してた条件に合いそうだ。


どうだい、俺たちと一戦交えないかい?」




ほんとに戦いを申し込まれてしまった。






彼らはインターネット上で動画を配信する番組を制作していて、今回のテーマは「道行く人と枕で殴り合う」というなんともおバカなテーマ。


なんだかおもしろそう!


もちろん喜んで参加させてもらうことにした。




「番組のためのたんなるおふざけ」


だと思って甘く見ていたのだが、この男、本気で殴ってくる。


しっかり体重を乗せて。




しかも、枕だってけっこう重い。


顔面にヒットしたら失神しかねないレベルだ。




彼と戦っているうちに、だんだんと本気になってきた。


いや、本気でやらないとボッコボコにされてしまう。


あれ?


俺、はるばるウクライナまでやってきて、いったいなにやってるんだろ?









だんだんとあたりが暗くなってきた。


夜の独立広場は昼間とはまた異なる趣がある。


そして、昼間には気づかなかったことにも気づかされる。




独立広場には、目立たないところに若者たちの写真が何枚も並んでいた。


親ロ派との戦いで犠牲となった人たちだ。


一見平穏に見えるキエフだが、戦争の影は確実に忍び寄ってきている。




ひと段落ついて、かなりお腹が減っていることに気がついた。


もうあたりはすでに暗くなってしまっているので、今さら急いだって仕方がない。


アナトリーの家の周辺には食べ物屋はなさそうだった。




もしかしたら彼らの家で夕食にありつけるかもしれないが、それを期待して帰るのはあまりにも図々しい。


アナトリーに「帰るのは遅くなる」旨の連絡を入れてから、夕食にした。




しかし、問題はこれからだ。


アナトリーの家まで自力で帰り着かなければならないのだが、困ったことに、彼の家は実にわかりにくい場所にあるのだ。


もちろん朝出発する前に、目印となるポイントはしっかりと把握しておいた。




が、昼と夜とでは景色の見え方がまるで違う。


バスの窓から見る眺めには、まったく見覚えがなかった。


バスの停留所には停留所名を示すプレートもなく、どこで降りればよいのかわからない。




「あれー、おかしいなー。こんなに時間かかったっけ?」




と思っているうちに、バスはストップ。


どうやら終点まで来てしまったようだ。




バスの運転手に目的地を告げると、その停留所はとっくの昔に通過してしまったとのこと。


「なんでもっと早く降りなかったんだ?」


と呆れられてしまった。




幸い、このバスは終着駅から再び同じルートを折り返し運行するそうだ。


追加料金もとられなかった。


今度は運転手が降りる場所を教えてくれた。


「ここだ! ここがお前の降りる場所だ」




ああ、情けない。


旅人初心者か、俺は。




バスを降りた後も私の迷走は続いた。


「たしか二つ目の路地だったよなー。」


などと思いつつ記憶を頼りに歩いてみたものの、まったく見覚えのない場所に出てしまう。




あたりは真っ暗。


人通りだってほとんどない。


だんだん不安になってくる。




「落ち着け、落ち着け。こういう時はあせらず振り出しに戻った方がけっきょくは近道なんだ」


そう言い聞かせてまた元のバス停からスタートするのだが、何度やってもアナトリーの家にたどり着けない。




アナトリーの家はこのすぐ近くのはずなので、電話して迎えに来てもらうことは可能だ。


だが、それではあまりにも情けない。


なんとか自力で帰り着きたい。




さっきから何度も同じところを堂々巡りしていたので、今度は違うルートを試してみることにする。




「でも、どう考えてもこっちじゃないんだよなー」




と思いつつ歩いていると、なんだか見覚えのある場所に出た。


実は、バスの運転手は私を別の場所で降ろしていたのだ。




なぜだ?


アナトリーに書いてもらったメモをそのまま見せたのだから、絶対に間違うはずなんてないのに・・・




けっきょく家にたどり着いたのは夜の11時。


アナトリーはかなり不機嫌そう。


無理もない。


彼には仕事があるのだから。


明日も朝早く起きなければならないのだ。




「メシは食ったのか?」




それでも私のことを気遣ってくれるアナトリーの目をまともに見ることはできなかった。




いつの日か、彼らに恩返しできる時がやってくるのだろうか。


ぜひとも日本に来てほしい。


夫婦そろって。









恋人たちの愛のトンネル~リヴネ、ウクライナ







車掌の女性は一応起こしに来てくれたが、あいかわらず英語はまったく通じない。


深夜の2時、列車は静かに停車する。


駅名の表示は見あたらない。


どこまでも旅行者に不便にできている。




けっこうたくさんの人がリヴネで降りた。


こんな深夜に到着して、いったいどうするつもりだろう。


みんな地元の人なのだろうか。




「タクシー?」


何人かの運転手が声をかけてくる。




さっきからずっと、荷物を預ける場所を探しているのだが、英語がまったく通じない。


年配の人はだめだ。


やはり若い人を探さないと。


どうせならきれいな女の人がいい。


ちょうどそこへウクライナ美女が通りかかった。


彼女に聞いてみよう。




残念ながら、彼女は英語がほとんどできないようだ。


「ちょっと待って」


彼女がどこかに電話する。


きっと英語のわかる友人に連絡をとってくれているのだろう。




と思っていたら、警官が二人やってきた。


えっ!


この女の人、警察に通報したのか?


俺は不審者かよ。




「パスポートを見せろ」


俺はただ荷物を預けたいだけなのに、なんだか話がややこしくなってきたぞ。


もちろん警官たちも英語は話せない。


この国の教育はいったいどうなってるんだ?


よく「日本人の英語は下手だ」と言われるが、下には下がいる。




若い方の警官と、携帯電話の翻訳機能越しにコミュニケーションを試みる。


といっても、所詮はグーグル翻訳だからなかなか意思疎通をはかることができない。


ちょっとずつ表現を変え、翻訳の精度を高めていく。


だんだん私の言いたいことがわかってきたようだ。




「ああ、荷物を預けたいんだな。だったらそう言えばいいのに。よし、案内してやる。ついてこい」


だからさっきから何度もリュックを指差してるじゃないかよ。


ほんとに勘のにぶい奴らだ。




荷物預かり所はホームの端っこの、とてもわかりにくい所にあった。


なんで駅構内に置かないんだ?




警官たちは荷物預け所の係員をたたき起こし、ようやく私は荷物を預けることができた。


時刻は3:30。


ここまでくるのに一時間半もかかった。


ウクライナ、ほんとにお前は旅行者泣かせだな。




荷物を預けて一段落ついても、警官と例の女性は私を放してはくれなかった。


「まあそこに座れよ」




深夜勤務で暇なのだろう。


私を肴に、彼らは何か話している。


ときおり私に話しかけてくるが、何を言ってるのかサッパリわからない。


私が何を言っても、やはりまったく通じない。




警官たちが去った後も、その女性は私から離れようとしない。


いや、逆に距離が近くなっている。




彼女はウクライナ語で一方的に話し続け、私がまったく理解していないと見るや、


「ぷぅー」


と、口をとんがらせる。


なんだかかわいい。


だんだんこの女性のことが好きになってきた。




ブロンドで長身の典型的なウクライナ女性とは少し違うが、彼女はかなりの美形で日本人好みの体型をしている。


彼女もまた始発のバスを待っているようだ。


夢にまで見たウクライナ美女と朝まで一緒に過ごせるのか。


俺はなんてツイてるんだ。




彼女は私の隣に腰をおろし、さらに話しかけてくる。


お互いに何を言ってるのかまったく理解していないから不毛なはずなのに、なぜか楽しい。


ipadの写真を見せたら興味がありそうだったので、今回のヨーロッパ旅行で撮った写真を彼女に見せた。


サムライのコスチュームで撮った写真を見せたら喜ぶかと思ったのだが、反応はない。


どうやら日本の写真が見たいようだ。




だが、あいにく日本の写真は持ち合わせていない。


今回の旅行に備え、ipadやiphoneに入っていた写真はすべて別の場所に移してしまったからだ。


リヴネの駅にwifiはない。


インターネットが使えたら彼女に日本の写真を見せることができたのに、残念だ。




日本の写真がないとわかると、彼女はとたんに私への興味が失せたようだ。


ぷい、とどこかへ行ってしまった。


急に寂しくなったがしかたがない。


彼女はこの街に住んでいて、私はほんのつかの間、リヴネに立ち寄った旅行者にすぎない。


もともと接点などなかったのだ。




クレヴァン行のバスの時刻を確認しよう。


それからこの街をブラブラしてみるか。


荷物をまとめて外へ出た。


バス停はどこだ?




ウロウロしていると、例の女性が飛び出してきた。


なにかわめいているが、もちろん何を言ってるのかはわからない。




「バスの時刻(タイムテーブル)を確認しようと思うんだけど・・・」


「テーブル? テーブルなら待合室の中にあるわ。


さあ、はやく中に戻って。あなたは私と一緒にいなくちゃだめなのよ」


「いや、そのテーブルじゃなくて・・・」


私の言うことなど聞かず、彼女は私の腕をつかんで待合室の中に連れ戻す。




「さあ、ここに座って」


彼女はそう言いながら、私の弁当の包みを勝手にほどきだす。


「それは昼に食べようと思っていたんだけどな」


なりゆき上しかたなく、早朝4時に昼食をとるはめになってしまった。




彼女はどこからかお皿を持ってきてくれた。


「さあ、これを使って」


さらに彼女はりんごもくれた。


彼女のくれたりんごは硬くてすっぱくて、お世辞にもおいしいとは言えなかった。


でも、この味を忘れることはないだろう。




私が食事している間、彼女は隣の席に腰を降ろし、あいかわらずしゃべり続けている。


なにひとつわかっちゃいないのに、


「うん、うん」


と相槌をうつ私。




彼女は英語よりもロシア語の方がいいらしい。


「地球の歩き方」には簡単なロシア語の単語が載っていたので、


それを頼りに彼女とのコミュニケーションを試みる。




一時間かけてやっとお互いの名前を教えあった。


「日本語ではどう書くの?」


と聞いてきたので、カタカナで彼女の名前を書いてあげたら、うれしそうに何度もノートに書いて練習していた。




彼女の名前は、


もう忘れた。




意思疎通なんてほとんどとれないのに、なぜか彼女といると楽しかった。


お互いになんて言ってるのかまったくわからないのに、それぞれが自分の言いたいことを勝手にしゃべり、二人で声をあげて笑った。




なにがそんなにおかしいのだろう。


わからない。




でも、彼女と一緒にいるととにかく楽しかった。


言葉なんていらなかった。


ずっとこのまま朝なんてこなければいいのに・・・




さっきまで大きな声でまくしたてていた彼女が急に声をひそめる。


肩を寄せ、唇が触れそうな距離まで顔を近づけて何かをささやく。




「 You and Me, Boy and Girl 」




そう言って彼女は両腕で肩を抱きしめるしぐさをした。




私と彼女は数時間前に出会ったばかり。


お互いの素性はおろか、意思疎通もままならない。




でも、そんなの関係ない。




東の空がうっすらと明るくなってきた。


もうすぐ始発のバスが動き出す。




もともと予定になかったリヴネを無理やりスケジュールに組み込んだため、日程に余裕はない。


私は今日中にリヴィウに着かなくてはならないのだ。


ここリヴネで過ごせる時間は限られている。


「恋のトンネル」か彼女、どちらかを選ばなくてはいけない。




隣にはウクライナ美女がぴったりと私に体を寄り添わせている。


その誘惑にはあらがえない。




だが、リヴネには「愛のトンネル」を訪れるためにやってきたのだ。


神秘的な風景をぜひともこの目で見てみたい。




クレヴァン村行きのバスがやってきた。


彼女の家へと向かうバスとは違う方向だ。




「愛のトンネル」か彼女。


俺は「愛のトンネル」の方を選んだ。




「じゃあ行くよ」




そう言っても彼女は返事をしない。


ぷい、と横を向いてしまった。




最後に彼女の声をもう一度聞きたかった。


どう話しかけようかと考えていると、例の二人組の警官が私のことを迎えに来た。


「おい、なにをぐずぐずしてるんだ。バスがもうすぐ出るぞ」


「わかってる。すぐ行くよ」




彼女は相変わらず横を向いたままだ。


最後に目ぐらい合わせてくれよ。








バスが出発するまでの数分間が、とてつもなく長く思えた。


もしかして俺は、とんでもない過ちを犯してしまったのだろうか?


今すぐバスを降りて、彼女のいる駅へと戻るべきなんじゃないだろうか?




バスが出発する直前、後ろから誰かが俺の肩をつつく。


振り返ると彼女がいた。




彼女か「恋のトンネル」か。


両方とればいいんだ。


もしもリヴィウ行きのバスに乗り遅れたら、このリヴネに泊まればいいだけの話だ。








手をつないで歩くと願いが叶うという「愛のトンネル」。


彼女はいったい何を願ったのだろう。




彼女の名前は、


もう忘れた。




でも、かたくてすっぱいリンゴのにおいはずっと消えずに残っている。


今でも。




森の中には妖精が住むという。


リヴネ。


二度とこの地を訪れることはないだろう。






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