サムライ・バックパッカーのすすめ
私は侍の衣装を着て東ヨーロッパを旅してきました。
「なにを馬鹿なことをやってるんだ」
と呆れられそうですね。
しかし、侍の衣装を着てヨーロッパを歩くと、あなたの旅が劇的に変わります。
まず、侍の衣装を着てヨーロッパを歩くと、
女の子にモテるんです!
サラエボで出会った、トルコ人の女の子たち。
ムスリムの女の子(セルビア)
エキゾチックなイスラム教徒の女性(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
モデルをやっているという女の子(ドブロブニク、クロアチア)
コソヴォの女子高生。色っぽいでしょー。
怖いくらいに美しい女性でした。ノヴィ・パザル(セルビア)
妖精のような美少女ともお近づきになれます(ルーマニア)
日本にいる時は、美女とはまるで縁のない私ですが、侍の衣装を着てヨーロッパの街を歩けば、
なんと、美女の方から私にすり寄ってくるのです!
こんなことがあっていいのでしょうか。
それだけではありません。
侍の衣装を着てヨーロッパを歩くと、
民族衣装とよく似合うんです。
アーチェリーを構えたお姉さん(エストニア)
フォークダンスを披露してくれた美男美女たち(エストニア)
伝統衣装を身にまとった女性たち(エストニア)
甲冑に身を包んだ騎士たち(ベラルーシ)
中世の衣装を身にまとった飴売りの少女(ウクライナ)
リヴィウの街は、まるで時間が止まってしまったかのようでした(ウクライナ)
マラムレシュ地方では、毎週日曜日の礼拝に、村人たちが民族衣装を着て教会にやってきます(ルーマニア)
古き良き時代の面影を残すルーマニア。
ボスニア・ヘルツェゴビナの民族衣装を来た女の子たち(モスタル)
コスプレと寿司の組み合わせ、SUSHI CAT(エストニア)
それだけではありません。
侍の衣装を着てヨーロッパを歩くと、
普通ではできないような経験をすることもできてしまいます。
馬車にだって乗せてもらえます(ルーマニア)
アフリカの元大統領との記念撮影。
ナイジェリアの元大統領だと言っていました。
クリントン元大統領や日本の天皇陛下と一緒に写っている写真を見せてくれましたが、
真偽のほどは不明。
軍事施設は撮影禁止なことがほとんどなのですが、なんと、NATO軍の兵士に記念撮影を頼まれてしまいました(コソヴォ)
ヒッチハイクだって楽勝です。
車がバンバン停まってくれます(スロヴァキア)
本来ならカメラを向けることすらNGのはずの神父さんでさえ、快く撮影に応じてくれます(キエフ、ウクライナ)
このように、侍の衣装を着ていると、普通に旅をしていてはなかなかできないようなことまでできてしまうのです。
しかし、デメリットもあります。
困ったことに、侍の衣装を着てヨーロッパを歩いていると、
よく戦いを挑まれます。
激動のウクライナの中心地、マイダン広場での決闘(キエフ)
私の刀はおもちゃだったのに、相手は真剣を持ち出してきました(ルーマニア)
チンピラに囲まれることも、まあ、たまにはあります(アルバニア)
ラリってそうなお兄さんたちにからまれることも、まあ、たまにはあります(アルバニア)
普通に旅行しているだけでは、なかなか出会いがないと思います。
旅行中、ホテルやレストランの従業員、タクシーの運転手としか話さなかった、という人も多いのではないのでしょうか。
しかし、それではあまりにももったいない。
せっかく異国の地に来ているのですから、その土地に住む人との交流を深めたいものです。
でも、シャイな日本人にはなかなかできませんよね。
そこで侍の衣装の登場です。
この衣装を着て歩いているだけで、向こうの方から話しかけてくれます。
女性でしたら、浴衣や着物という手があります。
男の私ですら大きな反響を呼んだのです。
着物を着た女性がヨーロッパの街を歩いたりしたら、それはもう大変なことになるでしょう。
せっかく日本人として生まれてきたのですから、そのメリットを最大限に利用しない手はありません。
なんだか写真ばかりになってしまいましたが、今回はほんのさわりにすぎません。
次回から本格的なストーリーが始まります。
侍の衣装を着てヨーロッパを歩くといったいどんなことが起こるのか。
それをあますところなくお伝えしていこうと思います。
どうぞよろしくお付き合いください。
空飛ぶ戦車~ティラスポリ、沿ドニエストル共和国
世界中のどの国からも独立国家として認められていない国、沿ドニエストル共和国。
当然、観光インフラなぞ望むべくもない。
そんな孤立無援の国の中で、さらに孤立無援となっていた私を救ってくれたのがイリャーナだった。
異国で出会う女性というのは、どうしてこんなにも魅力的なのだろう。
1.
モルドバに興味があったわけではない。
ただ、せっかく遠くまで行くのだから、この機会に東ヨーロッパの国を全部まわってやろうと思っただけだ。
キシナウには2泊する計画をたてていたのだが、早くも後悔しはじめていた。
この街には見どころらしきものがほとんどない。
さて、どうやって暇をつぶそうか。
ネットでモルドバの情報を集めていたところ、見慣れない言葉が目に飛び込んできた。
「沿ドニエストル共和国」
なんだそりゃ?
25年前、ソ連崩壊とともに、モルドバが分離独立を宣言。
だが、ソヴィエト連邦にとどまっていたいロシア系住民が、さらにモルドバからの独立を宣言した。
両者の溝は埋まらず、ついには戦争にまで発展。
現在のウクライナ東部と同じ構造だ。
事実、ウクライナ情勢を受けて、いったんは収まっていた戦火がまたくすぶり始めているらしい。
外務省も危険情報を発令している。
モルドバ、見るべきところがなにもないなんて言ってすまなかった。
なかなか面白そうな国じゃないか。
モルドバの街には、はっきり言って良い印象は持てなかった。
旧ソ連に属していた名残なのか、街を歩く人々の表情は無機質で、どこか冷たい。
東洋人は珍しいはずなのに、誰も私に関心を払おうとしない。
差別こそ感じなかったが、まるで私の存在そのものが否定されているように感じる街だった。
孤独に包まれながら歩いていると、ふいに声をかけられた。
若い女の子ふたり組だ。
二人ともなかなかかわいい。
(もしかして逆ナンか? キシナウで、ついに俺のモテ期が到来したか!)
二人の美少女は笑顔を絶やさず、常に柔和な表情を浮かべている。
おっとりとした性格のようで、一緒にいるとどこかホッとする。
彼女たちは英語が堪能だったので、会話を楽しむことができた。
(異国の地でこんなにかわいい子たちと知り合えるなんて、俺はツイてる!)
と喜んだのも束の間、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
「人生の意味ってなんだと思う?」
「あなたが苦しんでいるのは神様のせいなのかしら?」
「死んだら、いったいどんな世界が待っていると思う?」
えーっと・・・・
お姉さん、もっと色気のあるお話をしません?
「その答えは、すべてここに書かれているのですっ!」
そのかわいらしいバッグから彼女たちが取り出したのは、聖書だった。
キシナウのバスターミナルは市場に隣接している。
なかなか活気があっておもしろそうだったので、バスに乗る前にちょっと冷かしてみることにした。
市場のあちこちでぶどうが売られている。
昨夜飲んだワインのことを思い出してしまった。
私はアルコールのことはよくわからないし、それほどおいしいと思ったこともない。
だが、モルドバ・ワインだけは別格だ。
酒を飲んで「うまい!」とうなったのはこれが初めてだ。
ファミレスの安いワインですらこれなのだ。
もっと本格的なモルドバ・ワインを飲んだら、いったいどうなってしまうんだろう。
そう思うと市場に並んでいるぶどうも、ただのぶどうとは思えなくなってくる。
一緒に写真を撮ろうと三脚をセットしていたら、市場の責任者みたいな男がやってきた。
英語ではなかったので、なんと言っているのかわからなかったが、おそらく
「こんなところで写真なんか撮るな。仕事の邪魔だから、さっさと出ていけ」
と言っているのだと思う。
といっても、本気で怒っているわけではなく、商店の主人たちと笑いあいながら
「サムライ! サムライ!」
と騒いでいる。
市場の中はキシナウの街とは雰囲気が違う。
人々の表情は明るく、活気にあふれている。
それになにより、異邦人である私に対する興味を隠そうともしない。
チラチラとこちらを見てくる。
なかなかいい兆候だ。
だが、彼らはけっして私に近づいてこようとはしない。
モルドバ人というのはシャイなのだろうか?
それでも、さすがにおばちゃんたちは陽気だった。
英語なんてまったく通じなかったが、にぎやかに私に話しかけてくる。
「写真を撮れ!撮れ!」とうるさい。
私の肩にがっしりと腕をまわしてくる。
ああ、これが若い女の子だったらなあ。
ん?
一人の女の子と目があった。
侍の衣装を着ている私のことを、興味深そうに見ている。
「これは脈あり!」と思ったので、話しかけてみようと近づいていったら、彼女はきゃーきゃー言いながら逃げだした。
あれ? もしかして俺、変質者あつかいされてる?
これは困ったことになったぞ。
と思っていたら、どこからか「ぬっ」と太い腕が伸びてきて、その女の子を捕まえた。
「ほれほれ、せっかくだからサムライに写真撮ってもらいな」
太い腕の主はどうやら女の子の母親のようだ。
がっしりとつかまれて身動きできない彼女は、ついに観念したらしい。
私のカメラに向かってにっこりとほほ笑んでくれた。
協力に感謝します、お母さん。
市場を歩いていると、強い視線を感じたので振り返ったら、そこには少女がいた。
他のモルドバ人とは異なる、独特の雰囲気を醸し出している女の子だ。
服装も他の人とまったく違う。
真っ赤なドレスは、民族衣装なのだろうか。
私と目があってもたじろぐところが少しもなく、その少女はじっと私の事を見つめている。
なにかへんだ。
首から下はどう見ても子供の体格なのに、顔は大人の女性そのもの。
ものすごくアンバランスな印象をうける。
ヨーロッパの子供はおとなびた顔つきをしているものだが、この少女はそんなレベルではない。
もしかしたらこの女性はなんらかの奇病を患っていて、体の成長が止まったまま大人になってしまったのだろうか。
英語がわかるようだったので少し話してみたが、奇異な印象はますます強くなるばかりだ。
彼女の物腰は堂々としていて、やはりどう見ても大人の女性そのもの。
なのに体は幼女体型。
着ている服は年代を感じさせる古風なドレス。
ひょっとしてこの娘は中世からタイムスリップしてきたのだろうか、と思ったほどだ。
なにより印象的だったのは彼女の目。
どう見てもそれは幼い女の子のものではなかった。
ぞっとするほど冷たく、底なし沼のように深い。
何十年も人生を経験した者でなければ、絶対にあんな目にはならない。
この女の子はその若さで、我々の想像を絶する世界を見てきたのだろうか。
少女と別れてすぐに、今度は若い男に声をかけられた。
「おねがいします! ぜひうちの道場に来て、稽古をつけてくださいっ!」
と頭を下げられた。
どうやらこの男は、侍の衣装を着ている私の事を合気道の達人と勘違いしたようだ。
そういえばシュテファン・チェル・マレ通りで合気道の道場を見かけた。
彼はそこの生徒らしい。
まずいことになったな。
「いや、私はこれからティラスポリに行かなきゃならないんで、そんな時間はない」
と断っても、
「だったら夜でもいいです。 あなたの電話番号を教えてください。迎えに行きますから。日本の先生に稽古をつけてもらえる機会なんてないんです。道場のみんなもきっと大喜びします。どうかお願します!」
と、なおも食い下がってくる。
だが、私には合気道の心得はない。
正直に話して、ひきとってもらった。
今回のようなことは初めてではない。
空手や柔道に比べて、合気道はマイナーな武道だと思っていた。
だが、海外での人気には根強いものがあるようだ。
私たちの知らないところで、日本文化というのは栄えているものらしい。
男が立ち去った後、今度は小さな女の子が私を待ち受けていた。
じーっと私のことを見上げている。
話しかけてみたのだが、どうやら彼女は英語が理解できないらしい。
ちょこんと首をかしげるばかり。
カメラを持っている手を軽く降ると、女の子は「こくん」とうなずいたので、写真を撮らせてもらうことにした。
が、こちらを向いてくれない。
恥ずかしそうにうつむいてしまう。
うーん、まいったなあ。
下を向いてちゃ写真が撮れないじゃないか。
顔をこちらに向けてくれないかなあ。
女の子はなおもモジモジしたままだ。
これではまるで、私がいたいけな少女をいじめているみたいではないか。
まずいぞ。
このままでは警察に通報されてしまう。
するとそこへ、若い女性がさっと現れて、女の子の肩を抱きしめた。
「もう恥ずかしくないわよ。私が一緒にいてあげるからね」
女の子は顔をあげ、カメラの方を向いてくれた。
助かった。
それにしてもこの女性は、女の子とどんな関係なのだろう?
「この子は君の妹なのかい?」
「ううん。全然知らない子よ」
なんと、まったく見ず知らずの者同士でも肩を組んだりするものなのか。
モルドバの人というのは、意外とオープンなんだな。
少し市場に長居しすぎた。
そろそろ沿ドニエストル共和国に向かわないと時間がなくなってしまう。
明日には私はモルドバを出国しなくてはならないのだ。
バスターミナルは市場のすぐ隣にある。
だが問題は、どれが沿ドニエストル共和国行きのバスかだ。
沿ドニエストル共和国はモルドバから分離独立する形で自らを国家と名乗るようになった。
その過程では多くの血が流れている。
現在でも準戦争状態にあると言っても過言ではないだろう。
そんな状況にある国に行くバスが、首都のターミナルから堂々と出発するものだろうか。
人に聞くのもためらわれた。
もしも私が沿ドニエストル共和国に行くことをこの国の人たちが知ったら、
「なにっ? お前はあいつらの国に行くのか! 許せんっ」
とか言われて怒られるんじゃなかろうか。
それにそもそも私はどこに行きたいんだろう?
沿ドニエストル共和国のことはつい最近知ったばかりで、十分な情報取集をしていない。
あてもなくバスターミナル内をうろうろしていると、一人の男が声をかけてきた。
私は侍の衣装を着ているのだから、人目を引くのは当然だ。
50歳くらいに見えるその男からは、どこか暴力的な臭いがした。
日本の文化に興味がありそうにしていたので話を聞いてみたら、なんとその男は日本に行ったことがあるらしい。
いったい何の用で?
この男が観光目的で外国を訪れるようには見えない。
仕事でバリバリ世界中を飛び回っているビジネスマンにはもっと見えない。
沿ドニエストル共和国は微妙な立場にある。
いちおう独立を宣言してはいるが、ほとんどの国はその存在を認めていない。
しかし独自の政府や軍隊を持っているものだから、うかつに立ち入ることもできない。
国際社会の目が行き届きにくいのをいいことに、この国は違法な薬物や武器、人身売買の流通ルートになっているとも聞く。
大量のアングラマネーが流れ込み、実はこの国は豊かなのだ、という人もいる。
今、私の目の前にいるこの男も、ひょっとしたらそういう世界の住人なのかもしれない。
少しこわかったが、なかなか彼は親切だった。
「なにを探してるんだ?」
「沿ドニエプル共和国に行きたいんだ」
「ティラスポリか?」
「そうだ」
本当はティラスポリなんていう地名は知らなかったが、まっさきにこの男の口から出てきたところをみると、きっと沿ドニエストル共和国を代表する有名な街なのだろう。
「こっちだ。ついてこい」
男はそう言って私の前を歩き出す。
何人かの運転手と話をした後、一台の車を指さした。
「あの車に乗れ」
「いくらだ?」
バスの値段を聞くと、男はチケット売り場らしき建物に連れていってくれた。
この男から法外な金品を要求されるのかと思っていたのだが、彼はそんなそぶりはみじんも見せない。
まったくの善意から私に親切にしてくれたようだ。
どう見てもカタギには見えない男の意外なやさしさに、私はとまどってしまった。
男は別れ際に、ポケットからライターを取り出して私に見せる。
そこには
「SAMURAI 」
と書いてあった。
多くの日本人は「キシナウ」と聞いても、その都市の正確な位置を思い浮かべることはできないだろう。
そんな街の市場のかたすみに、「SAMURAI」と書かれたライターを持つヤクザがいる。
日本って実はすごい国なのかもしれない。
彼にはいろいろと世話になったので、礼を言って握手をしようとしたら拒まれた。
「つい最近友人が死んだんだ。
だから今俺は喪に服している。
悪いが握手はできない」
その友人とやらがどんな死に方をしたのか、やはり聞かない方がいいんだろうな。
2.
いよいよ沿ドニエストル共和国へ向けて出発だ。
キシナウを出発する時点ですでにバスは満席だった。
ティラスポリまでは2時間ほどかかるそうなので、席を確保できないとけっこうきつい。
実はこの沿ドニエストル共和国、バックパッカーの間ではかなり評判が悪い。
国境を超える際、日本人は別室に呼ばれ、不当な賄賂を要求されるのだとか。
もちろんそんなものは支払う必要ないのだが、払わないといつまでも通してくれないらしい。
特に日本人に対しては厳しい態度ででてくるので、日本人バックパッカーはまず例外なく
「賄賂部屋」
に連行されると思っておいた方がいい、というような情報をネット上で見ることができる。
なんだかめんどくさそうな国だ。
また、外務省の渡航情報(危険情報)によれば、この沿ドニエストル地域(トランスニストリア)は
「十分注意してください。」
となっている。
なんだ、その程度のレベルか。
イラクやシリア並みの危険レベルかと思っていたから、拍子抜けしてしまった。
正直、ちょっとびびっていたのだが、どうやらそれほど心配する必要はなさそうだ。
と思っていたのだが、私が沿ドニエストル共和国に行くことを地元の人間に告げると
「あそこはヤバい。 やめといたほうがいい」
とさんざん脅されてしまった。
もしもモルドバ国民が沿ドニエストル共和国に入ろうものなら、まず無事には帰ってこれないのだとか。
おいおい。そんなにヤバい状況なのかよ。
やっぱり行くのやめとこうかな。
しかし毎日定期的にバスは出ているわけだし、じっさいバスの中にはたくさんの乗客がいる。
そんなに危ない場所に行くバスが満席になるはずないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、萎えそうになる気分を無理やり高める努力をした。
バスは途中、何度か停車して、新たな乗客を乗せる。
空いている席はすでになく、通路は人でいっぱいになってしまった。
まだ他にもバスに乗りたい人はいたようだが、もうスペースはない。
ティラスポリ行きのバスは頻繁に出ているということなので、モルドバ~沿ドニエストル共和国間の人の往来はかなり多いようだ。
かの国は鎖国しているようなイメージがあったので、これは意外だった。
私の座席は真ん中なので、窓からの景色は見えない。
通路には立っている人が大勢いるので、運転席の窓から外を見ることもできなかった。
せっかく珍しい国に向かっているというのに、何も見ることができない。
退屈な時間が続く。
1時間ほど走ったところで、バスが停まる。
いよいよ国境通過か。
心がギュッと引き締まる。
運転手が振り返りなにかわめいているが、もちろんなんと言っているのかは私にはわからない。
乗客たちがわらわらと車を降り始めたので、きっと「国境通過の手続きは各自でやれ」ということなのだろう。
だが、すべての乗客が降りたわけではない。
席に座ったままじっとしている人間も半分くらいにのぼる。
「俺も行かなきゃだめか?」
運転手に身振りでそう聞いてみると、
「当然だろ。さっさと行って手続してこい」
と車を追い出されてしまった。
小さな小屋の中には係官が二人いて、乗客たちのパスポートをチェックしている。
他の人の手続きを見ている限り、けっこう簡単に通過できそうにも見える。
しかし、私は日本人。
他の人たちとは毛色が違う。
きっと特別待遇が待っているに違いない。
悪名高き「賄賂部屋」というのはどこにあるのだろう。
あたりをキョロキョロしているうちに、私の順番がやってきた。
係官は私のことをめんどくさそうに見ている。
どうやら彼は英語が話せないらしい。
隣にいたもう一人の係官になにか話しかけ、その人と席を交代した。
もう一人の係官はどうやら英語ができるようだ。
「今からだとあと数時間しか滞在できないが、それでもいいか?」
といったありきたりの質問をいくつかされただけで、すぐにパスポートを返してくれた。
私の名前とパスポートナンバーが印刷された紙切れももらった。
きっとこの紙は出国するときに必要なのだろう。
なくさないようにパスポートにしっかりはさみこむ。
荷物の検査はされなかったし、賄賂の要求も一切なかった。
えっ! これだけ?
あっさりと国境を通過できてしまった。
沿ドニエストル共和国について書かれているブログを読むと、必ずといっていいほど国境通過の際の苦労話、あるいは武勇伝が「これでもか」とばかりにつづられている。
そういうのを読んで覚悟を決めていった私としては、なんだか肩透かしを食らわされたような気分だ。
内心びくびくしながらも、国境審査官との攻防を密かに心待ちにしていた自分に気づく。
簡単すぎる。
これじゃあ他の国の国境審査となんら変わらんじゃないか。
沿ドニエストル共和国、実は見かけ倒しなのか。
それからしばらくして、バスはティラスポリに到着した。
乗客たちはさっさと降りてしまうが、私はバスから出ていくのをためらっていた。
ほんとにここが首都なのか?
静かすぎる。
バスターミナルは鉄道駅と隣接しているようだ。
ということは、ここはこの国で一番の繁華街のはず。
それなのになにもない。
高層ビルも複合商業施設もスクランブル交差点もない。
人通りもほとんどない。
これはまいったな。
ティラスポリに着いたらなんとかなるだろうと思っていたのだが甘かった。
当然のごとく、WiFiは飛んでない。
観光案内図なんてものがあるわけないし、もちろん地球の歩き方にだって沿ドニエストル共和国のことは載っていない。
いや、厳密にいうと載っている。それによると、
「自称・沿ドニエストル共和国は治安状況が悪いので、訪れるべきではない」らしい。
なにもない駅前でじっとしていてもしかたがない。
この国の滞在許可はとってないので、今日中にモルドバに戻らなければならないのだ。
でも、移動する前にせっかくだから駅の写真を撮っておこう。
そう思ってカメラを取り出したその瞬間、駅を警備していた兵士が私の方へと歩いてきた。
なにもない駅前のくせに、警備の兵士だけはちゃっかり配置しているのだ。
さすが沿ドニエストル。
兵士はまっすぐ私の方へ向かってくる。
彼が言いたいことはわかっている。
「ここは重要拠点だから写真は撮るな」
だが、まだ彼はなにも言っていない。
なんのジェスチャーもしていない。
だからシャッターを押すことは可能だ。
そしてその瞬間、兵士が私に向けて引き鉄を引くことも可能だ。
ここは沿ドニエストル。
国際社会から隔離された未承認国家。
そんな場所で、兵士を無視して写真撮影を続行するだけの度胸は私にはない。
沿ドニエストル共和国での記念すべき第一枚目の写真撮影は、兵士によって制止されてしまった。
なかなか幸先の悪いスタートだ。
あの兵士は英語が話せなかったからよく理解できなかったが、彼が「撮るな」と言ったのは駅の写真のことだけだったのだろうか。
それとも、この国では外国人は写真を撮ること自体を許されていないのだろうか。
だとしたらやっかいなことになったぞ。
ここまできて一枚も写真を撮らずに帰るなんてことができるか。
情報の少ない国だからこそ、いつもよりも多く写真を撮りたい。
だが、兵士の目を盗みながら写真撮影なんてできるのだろうか。
いつまでも駅前で立ち往生しているわけにはいかないから、兵士からは死角になる場所で侍の衣装に着替えた。
腰に刀を差した侍の格好を見咎められでもしたら、兵士になにを言われるかわかったものではない。
「いきなり後ろから撃たないでくれよ」
そう願いながらティラスポリの駅前を後にした。
沿ドニエストル共和国について書かれたブログはいくつか読んだ。
そのどれもが、この国についてはあまり良いことは書いていない。
「まるで珍しい動物でも見るかのような目つきでジロジロ見られた」
「今までに味わったことのない、なんとも言えない嫌な雰囲気が町中を覆っていた」
「国境で賄賂を要求され、拒否したら長時間別室に拘束された」
ほとんどがネガティブな感想。
「ティラスポリの人たちサイコー! みんなと仲良くなっちゃいました」
などと書かれたブログは、私の見る限りひとつもなかった。
それでも私は楽観視していた。
俺はこれまでに何百人もの外国人と交流してきた。
きっとこの国でも、地元の人々との素敵な出会いが待っているに違いない。
そう思っていた。
だがこの沿ドニエストル、確かになにかが違う。
街全体を重い空気が覆っている。
建物はたくさんあるのに、まったく人の住んでいる気配がしない。
ゴーストタウンか、ここは?
メインストリートを歩いても人通りはほとんどなし。
やけに静かだな、と思っていたら、それもそのはずで、道路を走る車がほとんどないのだ。
たまにすれ違う人々も、なんだかよそよそしい。
とても話しかけられる雰囲気ではない。
あきらかに異邦人である私の存在を拒んでいる。
こんなに閉鎖的な空気を醸し出している国は初めてだ。
ティラスポリの独特な空気に圧倒され、思いっきり萎縮してしまった。
なんかいやだ、この国。
はやく帰りたい。
すっかり弱気になってしまった私だが、もちろんこのまま帰るわけにはいかない。
でも、どこに行けばいいのかもわからない。
前から一人の女の子が歩いてきた。
若い子だからきっと英語も話せるだろう。
そうだ、あの娘に聞いてみよう。
勇気をだしてその女の子に声をかけてみた。
彼女は私のことを、まるで害のない低級な悪霊でも見るかのような目つきで一瞥しただけで、足も止めずに歩き去ってしまった。
一言も発しなかった。
こんな態度をとられたのは初めてだ。
すっかりティラスポリの人に対して人間不信になってしまった。
もう誰にも話しかけたくない。
グーグルマップはよくできた地図だが、観光案内としての利用価値は低い。
どちらへ行けば面白そうな場所に出るかはわからなかったが、とりあえずバスが通ってきた道を歩いて戻ってみることにした。
しばらく歩いているうちに、だんだんと人通りが多くなってきた。
おそらくこのあたりが街の中心部なのだろう。
そしてついに、初めて声をかけられた。
彼らは少し英語もできるらしい。
ほっとする瞬間。
ティラスポリの人間みんながみんな外国人に対して冷たいわけではないのだということがわかって、ほんとに安堵した。
せっかく捕まえた現地人だから、彼らにはいろいろと聞きたいことが山ほどあったのだが、彼らはどこかへ向かう途中らしく、あまり長時間引き止めるのも気がひけた。
かろうじて郵便局の場所だけ聞き出し、彼らと別れた。
教えてもらった建物の前には、10代と思しき若者たちが何人かたむろしていた。
現地の人と話すことに成功したおかげで、私の士気はほんの少しだが上昇している。
彼らに話しかけてみた。
「英語はできるかい?」
若者たちはお互い顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人が胸を張って答える。
「ああ、できるよ。当然だろ」
それは心強い。
彼らならどこか面白そうな場所を教えてくれるかもしれない。
ヒマを持て余しているみたいだから、ひょっとしたら私と一緒に遊んでくれるかもしれない。
そう思って彼らとのコミュニケーションを試みたのだが、どうも話がかみあわない。
どうやら彼は仲間の手前、「俺は英語ができるんだぜ」と言いたかっただけで、実はほとんど英語を知らないようだ。
こいつはまいったな。
この沿ドニエストル共和国では、英語を学校で教えていないのだろうか。
鎖国状態のこの国は、ほとんどの国から独立を承認されていない。
アメリカやEU諸国を敵視しているとも聞く。
そんな国では英語ではなく、ロシア語を学校で教えるのだろう。
とにかく彼らとはこれ以上仲良くなれそうにない。
また振り出しに戻ってしまった。
と、その時、一人の女性が声をかけてきてくれた。
「どうしたの?
何か困ってる?
私に手伝えることはあるかしら」
孤立無援状態に陥っていた私を救う女神。
彼女の登場により、私の沿ドニエストル共和国旅行は劇的な変化を遂げることになる。
3
せっかく珍しい国に来たのだから、記念に絵葉書を買って送ろうと思っていたのだが、「観光」という概念が希薄なこの国では、絵葉書を買うことすら一仕事だ。
「絵葉書を買いたいんだけど、どこに売ってるか知ってる?」
私がそうたずねると、その女性は「ああ」と言って私についてくるように促した。
いくら探しても見つからなかった絵葉書だが、彼女が売店の女性に一言言うと、店の奥から持ってきてくれた。
単体では売ってくれず、20枚くらいのセットで買わなければならないらしい。
その絵葉書はかなりの年代物のようで、角がすり減っている。
図柄はミグ戦闘機や戦車、レーニン像など、およそ一般的な観光地とは趣を異にするシロモノだが、かえってこういう物の方がドニエストルらしくていい。
私が郵便局で絵葉書を書いている間も、彼女は辛抱強く待っていてくれた。
彼女がいなければ、切手を買うことさえひと苦労だっただろう。
勝手のわからない異国の地では、ほんの小さな親切でさえ心にしみる。
この女性の名はイリャーナというらしい。
ここティラスポリで生まれ育ったのだが、現在はアメリカで暮らしている。
今日はたまたま休暇で帰省中だということだった。
得体の知れない国で、英語の通じる親切な人間に出会えた。
今日の私はツイてるのかもしれない。
イリャーナはどこかへ行く途中だったらしく、私が絵葉書を書いている間もずっとそわそわしていた。
無事に絵葉書を投函するのを見届けたら、急いで自分の仕事に戻るつもりだったに違いない。
彼女はひととおりこの街の歩き方を説明した後、
「じゃああとは自分で歩ける?」
と聞いてきた。
あまり自信はなかったのだが、これ以上彼女を拘束するのも悪い。
「うん。大丈夫だと思う」
とは言ってみたものの、やはり不安は残る。
そんな私の心中を察したのだろう。
困っている人間をほっておけない性格なのだろう。
イリャーナは
「じゃあ、あと少しだけ付き合ってあげる。少しだけよ。」
と案内役をかってでてくれた。
ちらちらと時計を気にしている彼女を引き止めるのは心苦しかったが、やはり知らない国に一人でいるのは心細い。
それが「普通ではない国」ならなおさらだ。
沿ドニエストルではあちこちに「東側」の影が色濃く残る。
世界中のほとんどの国からその存在を認められていない沿ドニエストル共和国。
だが、一か国だけ例外がある。
ロシアだ。
ロシアは軍事顧問団を派遣して、この国を強力にサポートしている。
なのでこの国ではロシア人はモテモテ。
プロパガンダらしいポスターにはこう書いてある。
「ロシアのおじちゃん、ありがとう!」
第二次世界大戦を彷彿とさせる古めかしい軍服を着た男や、砲弾を愛おしそうに抱きしめる女性兵士のポスターもある。
なんともシュールな光景だ。
そこにはこう書かれてある。
「私たちは負けない! 最後まで戦う!」
イリャーナと一緒に歩くようになって、いろんな人から声をかけられるようになった。
一人で歩いていた時の、あの孤独な状況がうそのようだ。
冷たく思えたティラスポリの人々も、実際に話してみると実に陽気だった。
「その刀をちょっと見せてくれよ」
と近づいてくる。
どうやらみんな、私の持っている刀が本物だと思っているらしい。
本物の日本刀を持って歩けるわけがないだろう、と思うのだが、武器であふれているこの国では、日本刀を腰に差して歩いている人間がいても不思議ではないのかもしれない。
人類初の有人宇宙飛行士、ガガーリンの像やオペラ劇場など、イリャーナは精力的にティラスポリの街を案内してくれた。
もともとなんの予備知識も持たずにこの国に飛び込んできた私。
彼女がいなければ、これほどあちこち歩き回ることは不可能だっただろう。
国会議事堂のような場所にでた。
絵葉書にもこの場所は何枚も写っていたから、きっと沿ドニエストルを代表する場所なのだろう。
ぜひとも写真に収めておきたい。
だが、こんな重要な場所を写真に撮ってもいいのだろうか。
ティラスポリの駅前で兵士に写真撮影を制止された記憶がよみがえる。
当然、この建物の周辺にも兵士の姿があちこちに見える。
私がためらっていると、イリャーナは
「平気、平気。写真を撮っても大丈夫よ。
なんなら私も一緒に撮ってあげようか?」
と、こともなげに言う。
国会議事堂の正面はレーニン像が据えられている。
なんだかジロリと睨まれているような気がした。
レーニン像の周りをウロウロしていると、ティラスポリ市民に写真撮影を申し込まれた。
一人に応じると、我も我もと大勢の人が寄ってくる。
なんと、いつのまにか、私と写真撮影をするために順番待ちをする人の長蛇の列ができているではないか。
まるで自分が有名人にでもなってしまったかのような錯覚に陥る。
いつの間にかイリャーナは私のマネージャーのような存在になっていて、記念撮影希望者を仕切っている。
「はいはーい、サムライと一緒に写真を撮りたい人はこちらに並んでねー」
それだけではない。なぜか彼女も私と並んで、一緒に写真に写っているではないか。
カメラに向かって笑顔を振りまいている。
あれ? あれ?
すっかりモデル気分で機嫌がよくなったイリャーナ。
もしかしたら今日一日、彼女は私のガイド役を引き受けてくれるかも?
その後もティラスポリを歩いていると、大勢の人に声をかけられた。
とっつきにくそうに思えた沿ドニエストル共和国民も、ふたを開けてみればなかなか人懐っこい。
一人の男性に呼び止められて、なにやら話し込むイリャーナ。
知り合いなのだろうか。
男性からもらった名刺をよく見ると、そこには
「 School of Kung-Fu 」
と書かれている。
どうやら彼はカンフーの道場を開いているらしく、私にそこへ来いと言っているようだ。
「1時間でいいから、俺と手合せをしてくれ」
カンフーには前から興味があったので、一度本物を見てみたかったのだが、この男はかなり強そう。
私のことを日本の武道の達人と勘違いしているようなので、手加減なしで戦わされそうな予感がする。
それに、日が暮れるまでにはモルドバに帰りたいので、ティラスポリでの残り時間はあとわずかしかない。
カンフーの達人と手合せする機会などめったにない。
だが、沿ドニエストル共和国をもっと見たい。
どちらを取るべきか。
ここでもし私がカンフーを選んだら、イリャーナはそれを機会に私から去ってしまうかもしれない。
それはいやだ。
彼女ともっと一緒にいたい。
結論はでた。
彼の申し出は丁重にお断りすることにした。
カンフーの達人は名残惜しそうに私の顔を見つめている。
帽子をかぶった彼のひげもじゃの顔はどこか、キューバーの革命家、チェ・ゲバラを彷彿とさせる。
「用事を済ませてくるから、ここでちょっと待ってて」
イリャーナはそう言い残して建物の中へと入っていった。
残されたのは私とカンフーの達人のみ。
まだいたのか?
いったいどこまでついてくるつもりなんだ、このチェ・ゲバラは。
彼は英語がまったくできないのだが、しきりと私に話しかけてくる。
だが、なんて言っているのかはわからない。
話しかけてくるだけでは物足りず、そのうち彼は私に向かって拳を突き出してくるようになった。
もちろん本気ではないのだが、よけなければ顔に当たる。
わっ! わっ!
カンフー映画は何度か見たことがある。
だが、本物のカンフーの使い手と戦うのはこれが初めての経験。
私には空手の心得があるのだが、カンフーの攻撃に対してどう対処していいのかわからない。
彼の繰り出してくる攻撃をさばくのが精いっぱいで、防戦一方に追いやられる。
ところが、私のよけかたが男には意外だったようで、チェ・ゲバラはおもしろがってなおも拳を繰り出してくる。
しかも、だんだんとそのスピードが速くなってきているではないか。
その男は拳を突き出すたびに、
「これはどうよける?」
というふうに目で私に語りかけてくる。
なかなか研究熱心な男のようだ。
もしかして、彼も空手家と対戦するのは初めてだったのだろうか。
私の流派は他の空手とは少し異なるので、余計に興味がわいたのかもしれない。
だが、実験台にされているこちらはたまったもんじゃない。
よけなければ確実に彼の拳は私の顔面にヒットするのだ。
しかもこの男、強いっ!
明らかに相手の方が格上だ。
私の空手はたいしたことないが、相手がどの程度の実力の持ち主かくらいは判断できる。
今はまだ手加減してくれているが、チェ・ゲバラの攻撃はだんだんと激しさを増してきている。
もうこれ以上は持ちこたえられそうにない。
どうしよう。
このまま走って逃げてしまおうか。
いや、でも、この男の方が足も速そうだ。
それに、イリャーナはどうする?
彼女とはもっと一緒にいたい。
まいったな。
「もうそろそろ限界」
というところで、タイミングよくイリャーナが建物から出てきてた。
助かった。
これで戦いを止めるきっかけができた。
チェ・ゲバラはまだ物足りなさそうで、イリャーナになにか言っている。
「彼がどうしても道場に来てくれって言ってるけど、どうする、マサト?」
もうけっこうです!
これ以上やったらほんとに殺されちゃうよ。
しかし、なかなかおもしろい体験をさせてもらった。
まるで自分が、ジェット・リーやドニー・イェンと戦っているかのような気分になれたのだから。
まさか沿ドニエストル共和国でカンフーの達人と手合せをすることになろうとは、夢にも思わなかった。
なにがおこるかわからない。
だから旅はおもしろい。
カンフーの使い手から命からがら逃げだし、イリャーナはなにかの博物館に私を連れていってくれた。
老婦人が一人で番をしているその博物館は、こぢんまりとしていて、私たちの他に閲覧者はいない。
イリャーナは私の分も入場料を払ってくれた。
お金を差し出しても、
「いや、いいから」
と言って受け取ってくれない。
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろう?
20数年前、沿ドニエストル共和国は独立を宣言し、戦争にまで発展した。
その混乱を避けるため、イリャーナの家族はこの国から脱出し、アメリカへと渡った。
英語もろくに話せないのに、いきなり異国の地に放り出されることになった彼女は、相当な苦労を強いられたことだろう。
そんな大変な経験をしてきた彼女は、他の人が困っているのを見過ごすことができないのかもしれない。
普段イリャーナはアメリカで暮らしている。
ティラスポリに帰ってきたのはたまたまだ。
私が彼女と出会えたのは、まさに奇跡的と言うしかない。
見知らぬ土地でセンチになっていた私は、彼女との偶然の出会いに運命的なものを感じた。
もちろん、私の一方的な思い込みなのだが。
いずれにせよ、彼女とめぐり合えた私はツイてる。
彼女がいなければ、他の旅行者と同じように沿ドニエストル共和国に対してネガティブな感想を持ったまま出国していたことだろう。
博物館自体はまったく面白くなかったのだが、もうそんなことはどうでもよかった。
イリャーナがいなければ、私はこの国を一人で旅行していたはずだ。
きっと味気ない旅となっていたことだろう。
でも今は違う。
イリャーナのおかげで、沿ドニエストル共和国は私にとって、刺激的で面白い場所となってしまった。
博物館を出た後も、たくさんの人と出会った。
人なつっこいおばちゃん。
沿ドニエストル人とロシア人のカップル
公園で昼間からビールを飲んでいた青年。
サムライ姿の私を見て大興奮の若者。
沿ドニエストル共和国に住む人たちはとてもフレンドリーで好奇心旺盛だった。
他のブログで言われているようなネガティブな印象はまったく受けない。
彼らのおかれている状況を鑑みれば、これは驚くべきことだと思う。
国連はおろか、世界中のどの国からも認めらていない「自称」独立国家。
この国が将来どうなってしまうのか、誰にも予測はつかない。
そんな不安定な状況下でも、彼らはとても明るく過ごしている。
侍の格好をしたへんてこな東洋人に、興味津々で近づいてくる。
イリャーナが一人の男と話し込んでいる。
知り合いなのだろうか?
私の買った絵葉書の中に、「空飛ぶ戦車」の写真があったので、イリャーナにそこへ連れていってくれるように頼んだ。
すると、この男も一緒についてきた。
彼はプロのカメラマンで、侍の衣装を着た私はまたとないいい被写体だから、ぜひ同行させてくれと言っているようだ。
プロのカメラマンに撮ってもらうのも悪くはないか。
イリャーナと出会ってからまだほんの数時間しか一緒に過ごしていないのに、なんだかもうずっと昔からの知り合いのような気がしてきた。
彼女はまだしばらくこの国に滞在しているらしい。
俺も何日かこの場所にとどまってみようかな。
そうすればまた彼女に会える。
ふと、そんな誘惑にかられた。
四面楚歌の状況で、この国の未来は明日をも知れない。
絶望的とも思えるこの国の置かれた立場に、安易なダンディズムをかきたてられる。
イスラム国に参加するために死地へと赴く若者も、ひょっとしたらこんな感覚を味わっているのかもしれない。
マントをはためかせるレーニン像の下で感慨にふけっているとき、イリャーナの最後の言葉が聞こえた。
それはあまりにも突然の別れだった。
「楽しかったわ、マサト。
また連絡ちょうだいね。
私はもう行かなくちゃならないの。
あとは彼があなたのことを面倒見てくれるから。
じゃあね!」
イリャーナはそれだけ言い残して、さっさと行ってしまった。
後に残されたのは英語のまったく話せないむさくるしいカメラマンの男のみ。
思わず苦笑いがこぼれた。
ま、俺の人生なんてこんなものか。
カメラマンは私と並んで歩き、ずっとシャッターを押している。
彼はポーズをとった写真が嫌いで、被写体の自然な表情を撮りたいのだそうだ。
そういえば彼はプロのカメラマンだと言った。
ということは、私の写真も仕事で使うのだろうか。
自分の写真がいったいどんなシチュエーションで使われることになるのかはわからないが、
世界中のほとんどの人がその存在すら知らない国の片すみで、侍の衣装を着た自分の写真が流通するというのもなんだか変な気分だ。
コニャックの店の前でカメラマンは立ち止まる。
彼は私に向かって、「酒は好きか?」と聞いてきた。
もちろんだとも。
沿ドニエストル共和国の名物だというコニャック。
せっかくこの地に来たからには試しておきたい。
カメラマンは私に向かって、「ちょっと待ってろ」と言い残し、店の中へと入っていった。
だが私はこの国のお金をほとんど持っていない。
この国の外では文字通り紙屑となってしまう沿ドニエストル共和国の通貨を、これ以上両替するつもりもない。
もうすぐ私はこの国を出国し、二度と訪れることはないのだろうから。
しかし、お金の心配は不要だった。
店の中から複数の目が、ガラス越しに私のことを見つめている。
きっと侍姿の日本人が珍しいのだろう。
店の主人と思しき男が、私を手招きして中へと招き入れてくれた。
彼がなんと言っているのかまったくわからない。
通訳してくれる人もいない。
だが、店の主人はうれしそうに私の肩に腕をまわし、何枚も一緒に写真を撮らされた。
きっと、後で店の宣伝にでも使うのだろう。
そして別れ際、一瓶のコニャックをくれた。
戦利品のコニャックを手に、私とカメラマンは公園へと向かう。
彼はさっきからしきりとあたりを気にしている。
「この国では外で酒を飲むことは禁止されているんだ。
警官に見つかったらやっかいだ。
俺は向こうの通りを見張ってるから、お前はあっちを見ていてくれ。
私服の警官もいるから気をつけろよ。
少しでも怪しい奴を見かけたら、すぐに酒を捨てて逃げろ」
なんだかおもしろくなってきたぞ。
この公園には樹木なんてほとんどないから、外からは丸見えだ。
もし本当に警官が取り締まりに来たら、簡単に見つかってしまう。
カメラマンはカバンでコニャックの瓶を隠しながら、私のコップに注いでくれた。
あたりを気にしながら飲む酒が旨いはずがない。
モルドバに帰ってからゆっくりと飲みなおしたい。
だが、コニャックの瓶はカメラマンのカバンに入ったままだ。
警官の目に触れないよう、彼がしっかりと隠している。
でもそれ、侍姿の俺にって店の主人がくれた物なんだけどなー。
カメラマンは英語がまったくしゃべれなかったが、不思議と意思の疎通はできている。
彼は自分のカバンを得意げに私に見せる。
自分で作った物のようだ。
よく見ると、そのカバンは柔道着でできていた
。
「柔道着は分厚いから、切ったり縫い合わせたりするのは骨が折れるんだぜ。
でもおかげで俺のカバンはとても丈夫な物に仕上がった。
かなり乱暴に扱ってもびくともしない。
市販のカバンじゃとてもこうはいかない」
お前、柔道をやってるのか?
「押忍!」
誰からも独立を認められていないこの国には、カンフーの達人や柔道を練習している男たちがいる。
モルドバには合気道の道場もあった。
アジアの格闘技が東欧でこんなにも人気があるとは予想外だ。
カメラマンに例のカンフー・マスターの写真を見せてみた。
彼はこの男のことを知っているらしい。
祖父の代から道場を開いていて、あの男は幼少のころから英才教育を施されてきた、正真正銘のカンフーの達人なのだそうだ。
やばかった。
あの男の道場にのこのこついていかなくて本当によかった。
でなきゃ今頃俺はボコボコにされていたことだろう。
沿ドニエストル共和国はほんとに危ない国だったのだな。
いろんな意味で。
まったく言葉が通じないというのに、カメラマンは私のことが気に入ったようだった。
「俺の部屋に寄ってけよ。 駅の近くだから列車の発車時刻ギリギリまでうちにいればいい」
彼の提案は願ってもないものだった。
未承認国家・沿ドニエストル共和国の住人の家に招かれるチャンスなんてそうそうあるもんじゃない。
「晩飯になにか作ってやるよ。
スーパーに寄って買い物していこう」
そう言って男が立ち寄った店の前には
「 BANZAI 」
と書かれた看板があった。
世界中のほとんど誰もがその存在すら知らない国の片すみに、ひっそりと日本語の広告が掲げられている。
外国でこういうのを目にするたびに、いつも再認識させられる。
これほど影響力のある国って、他にはないんじゃないだろうか。
日本にいる時はなにも感じないが、実は俺たちの国ってすごいんじゃないだろうか。
感慨にふけっていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どうやらパトカーのようだ。
意味もなく不安な気持ちになる。
まさかパトカーは我々に向かってきているわけではないだろうが、なんなんだろうこの焦燥感は。
カメラマンも同じ気持ちのようだ。
話すのをやめ、じっと音のする方を見つめている。
猛スピードで走ってきたパトカーは、我々の行く手を阻むように停止する。
どういうことだ?
「ちっ」
カメラマンの方を見ると、彼は舌打ちをして目を伏せている。
なんだ?
もしかしてヤバい状況なのか?
パトカーから降りてきた警官は二人。
一人はカメラマンの方へ。
もう一人は私の方へまっすぐにやってきた。
いったいどういうことだ?
もしかして、さっき公園で酒を飲んだことと関係があるのだろうか。
まさかそんなことくらいでパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけてくるとはとても思えない。
じゃあなぜ?
警官にパスポートを見せるように要求される。
彼は英語が話せないようなので、私への尋問はなかった。
しかし、カメラマンは執拗に何か聞かれている。
私のことを時々見ながら話しているから、きっと私のことについて質問されているのだろう。
「だからこんな奴知らないって言ってるだろ。
さっき会ったばっかりで、こいつが誰なのか俺はまったく知らないんだってば!」
そう言っているように聞こえた。
警官の興味の対象が私なのは明らかだ。
だとしたら私は今、とてもマズい状況に陥っているのだろうか。
外務省の危険情報の文言が脳裏によみがえる。
「沿ドニエストル地域には、モルドバ政府の施政権が及んでおらず、仮に日本人渡航者が同地域での事件・事故等に巻き込まれた場合、モルドバ政府が十分な救済措置を講じることができない状況にあります。」
「モルドバには、日本の大使館が設置されていません。
このため、緊急事態や事件・事故に遭遇した場合には、日本国大使館等による迅速な対応を得ることができず、事実上身動きがとれない状態に陥ることとなります」
やましいことはなにもしていない(酒を飲んだだけだ)。
警官に私の刀が本物ではないことを証明し、荷物検査にも積極的に協力した。
それでも警官たちはねちねちとカメラマンに対して何か言い続けている。
しばらく押し問答が続いた後、ようやく取り調べから解放された。
パトカーに乗り込む際にも警官はカメラマンに対してなにか言っていた。
「へんな外国人なんかに関わり合いにならない方がお前の身のためだぞ」
そう念押ししているようにも聞こえた
。
パトカーが走り去った後も、カメラマンはすっかり萎縮したままだ。
私からは距離を置いている。
私の存在を持て余している様子がはっきりと見て取れる。
どうやら彼の家に招待されるという話はなかったことになったようだ。
残念だが仕方がない。
準戦時下にあるこの国では、国家権力の統制はかなり厳しいのだろう。
警官に目をつけられでもしたら、いろいろと面倒なことになるのかもしれない。
まだ日没までには時間があったが、ここらが潮時だ。
次のバスでキシナウに帰ることにした。
モルドバは美人の宝庫だ、という話を聞いたことがある。
でも、目がさめるような美女はあまり見かけなかったような気がする。
真偽のほどはわからないが、ヨーロッパの娼婦の3割はモルドバ出身だ、という話も聞いたことがある。
そういえばトランスニストリアではあまり女の子の姿を見かけなかったような気もする。
若い娘はみな、西ヨーロッパへ出稼ぎにでも出かけているのだろうか。
帰りのバスでは窓際に座れたので、沿ドニエストル共和国の街並みをじっくりと見ることができた。
伝統的なモルドバ風の家屋が点在している。
世界中の国から独立を認められていない国家。
この国はいったいいつまでこんな不安定な状態を続けるつもりなのだろう。
今は戦乱が収束しているようだが、問題が解決したわけではない。
ウクライナ情勢をうけて、再び紛争が勃発する兆しが見え始めているともいう。
沿ドニエストル共和国。
つい数日前まで私は、この国の存在すら知らなかった。
だが、今では忘れることのできない国となってしまった。
一見とっつきにくそうに見えるが、人々はとても明るく、人なつっこい。
侍姿の私を見つけると、大喜びで肩を組んで一緒に写真を撮るような人たちだ。
たくさんの人たちとメールアドレスの交換をし、フェイスブックの友達になった。
「絵葉書を送るから」と、住所を教えあった人もいる。
日本のマスコミにこの国の名が登場することはほとんどない。
だが私にとってはもうこの国は「得体の知れない遠い世界の話」ではなくなってしまった。
次にこの国の名をニュースで聞くときは、それがいい話題であることを願うばかりだ。
もしもまた戦争が起こったら、こんなに狭い国のことだ、きっと全土が戦場と化すことだろう。
彼らにはどこにも逃げ場はない。
などと感傷に浸っている場合ではなかった。
気づくとバスは国境の検問所に差し掛かっている。
すっかり忘れていた。
ここは旅行者泣かせの、「あの」悪名高き沿ドニエストル共和国なのだ。
これまでに数多くの旅人たちが別室の賄賂部屋に呼ばれ、屈辱的な目に遭っている。
他人のことを心配している場合ではない。
まずは自分が無事にこの国から脱出することを考えねば。
多少の賄賂を支払うことには目をつぶろう。
でも、なんとしてでも写真だけは守りたい。
カメラからSDカードを抜き出し、別のカードとすり替える。
隠すところなどどこにもないが、軽い身体検査くらいには耐えられるようにSDカードを隠し持つ。
来るときには簡単に国境を超えることができたが、出る時も同じとは限らない。
用心しすぎるということはないだろう。
バスは検問所に停まり、係官が乗り込んできた。
一人ひとりパスポートをチェックしていく。
出国する時にはバスから降りなくてもいいのだろうか。
係官はパスポートをさっと一瞥しただけで、すぐにバスから降りていってしまった。
再びバスは何事もなかったかのように走り出す。
国境ゲートを通過した。
拍子抜けするくらいにあっさりと出国できてしまった。
他のブログに書いてあったことはいったいなんだったのだろう。
賄賂なんて要求されなかったし、荷物検査すらなかった。
きっとこれはいいことなのだろう。
でも、なにか物足りない。
他の人のブログであれほど悪しざまに書かれていた沿ドニエストル共和国の国境越え。
一度体験してみたかった。
バックパッカー旅行は、驚くほど快適になってきている。
「深夜特急」時代にはインターネットなんてものはなかったから、すべてが手さぐりだった。
もちろん苦労も多かっただろうが、その分得るものも多かったはずだ。
しかし、今はなんでも事前に準備できてしまう。
情報は瞬時にして世界中を駆け巡り、リアルタイムで情勢を知ることができる。
写真や動画付きで。
悪名高き沿ドニエストル共和国の国境はもう存在しない。
この惑星はどんどん均質化し、平和で豊かになっている。
きっとよろこばしいことなのだろう。
だが、なんなのだろう、この焦燥感は。
私は経験値を徐々に上げていき、ゆっくりと旅の難易度も上げていくつもりだった。
しかし、もっと急いだ方がいいのかもしれない。
この惑星からすべてのロマンが消え去ってしまう前に、訪れておきたい場所がいくつもあるのだから。
ティラスポリで親切にしてくれた女性、イリャーナとは、今でも交流が続いている。
日本に帰国後、絵葉書のやり取りもした。
彼女のフェイスブックからは、息子を溺愛している様子が痛いくらいに伝わってくる。
もちろん彼女は祖国である沿ドニエストル共和国を愛してはいるが、
息子にはアメリカで教育を受けさせるつもりだ。
内務省特殊部隊大佐~ミンスク、ベラルーシ
1
リトアニア~ベラルーシの国境を電車で越える。
通常、陸路での国境越えは簡単な手続きで住む場合が多いのだが、さすがは共産国家ベラルーシ。
そうすんなりとは通してくれない。
イミグレーションカードを書かされ、パスポートも入念にチェックされた。
まるで飛行機の搭乗手続きのようだ。
乗り込んできた係官も軍服のようなものを着ていて、いやがおうにも緊張感が高まる。
だが、堅苦しい国境越えの中にも楽しみはある。
なぜか係官はみんな女性なのだ。
東欧女性のレベルは高い。
みんななかなかの美人揃いだった。
ただ一人、私の担当官をのぞいては。
自分のくじ運の悪さを呪わずにはいられなかった。
それでも問題なくベラルーシ国境を通過できたので、ここでタイマーをセットすることにした。
私の持つトランジットビザでは、ベラルーシには48時間しか滞在できない。
iPhoneには48時間のタイマーはないので、とりあえず24時間に設定。
カウントダウンの開始だ。
共産圏の国に入ったことも相まって、なんだか気が引き締まってくる。
と思っていたら、となりから大きないびきが聞こえてきた。
まるまる太った年配の女性が、でっぷりとしたおしりをこちらに向けて横になっていた。
おいおい、なんてことをしてくれるんだよ。
テンションだだ下がりじゃないか。
2.
ミンスクの駅についたら、サンダルイクが息子と一緒に迎えに来てくれていた。
いきなりのディープ・ハグの後、怒濤の接待攻勢が始まった。
サンダルイクはペットボトルの水をくれたし、息子のアレクセイは私の荷物を運んでくれた。
バスの中では私のために席を確保してくれるという徹底したサービスっぷり。
「さあマサト、この席に座れ」
そう言う彼らは立ったままだ。
悪役風の顔をしたサンダルイクは、その外見からは想像もつかないほど細やかな気配りをしてくれたし、彼のハンサムな息子、アレクセイはチャーミングな笑顔を絶やさない。
あまりの彼らの親切さに、
「こいつら、なにか企んでるんじゃないだろうな?」
と疑ってしまったほどだ。
サンダルイクの家に着いたら、今度は奥さんのアンジェラが私を出迎えてくれた。
彼女は英語が話せないが、それでも精一杯もてなそうとしてくれているのが痛いほどわかる。
軽く食事をいただいた後、サンダルイクとその息子、アレクセイと一緒にミンスク観光に出かけることになった。
彼らが最初に連れて行ってくれたのは、聖シモン・聖エレーナ教会。
彼らは入り口でいきなり片膝をつき、うつむいて十字をきる。
マリア像のたもとにある聖水で指を清めてから、また十字をきる。
正面にあるキリスト像にむかって、再び十字をきる。
わけのわからないうちに、私も同じことを強要された。
見よう見まねで聖水を指につけ、十字をきる仕草をした。
少し照れくさかったが、自分が教会に受け入れられたような気がした。
どうやら彼らは敬虔な信徒らしい。
あまりの厳かな雰囲気に、写真を撮ることさえはばかられる。
しかし、教会を出たらすぐにまた陽気な彼らに戻った。
私が侍の衣装を着ると、大喜びで一緒に写真を撮る。
ネザレージナスツイ通りでサンダルイクがアイスクリームを買ってくれた。
息子のアレクセイがこっそり私に耳打ちする。
「父は自分では言わないが、実は彼はかなりの金持ちなんだ。
だからマサト、あんたはお金のことは気にしなくていい。
全部父が払うから心配するな。」
ミンスクに到着した時、私はベラルーシのお金を持っていなかった。
だからサンダルイクにATMか両替所に連れて行ってくれと頼んだのだが、彼は「わかった、わかった」と言うのみで、結局連れていってはくれなかったのだ。
そういうわけなので、いまだに私はベラルーシの通貨を持っていない。
だからというわけではないが、バス代や飲食代はすべて彼らが払ってくれた。
最初のうちこそ、なんだか申し訳ない気がしていたのだが、だんだんと薄気味悪くなってきた。
初対面の俺に、どうしてそこまで親切にしてくれるんだ?
やはり彼らは何か企んでいるのだろうか。
後で高額な請求書がまわってきそうでこわくなってきた。
彼らと話をしているうちに、サンダルイクの実態がだんだんとわかってきた。
彼は軍人。
しかも内務省管轄の特殊部隊に所属し、階級は大佐だという。
アレクセイがまた私に耳うちする。
「父はこの国では英雄なんだ。
この国の軍人で父のことを知らない人間はいない」
事実、街中で出会う軍人は、サンダルイクの姿を見ると直立不動の姿勢をとった。
広場でアーチェリーをさせてもらったのだが、そこの支払いは無料だった。
おそらくアーチェリー屋の主人は元軍人なのだろう。
彼の写真を見せてもらったが、重たそうな勲章をズラリとぶら下げた、軍服姿のサンダルイクがいた。
ただでさえ悪代官風の顔なのに、軍服と勲章の組み合わせはもう悪の帝国の支配者そのものだ。
その他の写真も、Mig29戦闘機のコクピットに座っていたり、背景に戦車部隊が写っていたりと、ミリタリーテイスト満載の内容となっている。
「マサト、これを知ってるか? 世界最大の輸送機だ。この世に三機しか存在しない貴重なシロモノだぞ」
そう言って彼が見せてくれた写真の中では、彼はアントノフ輸送機のコクピットに座っていた。
どうやら彼が軍の大物だという話は本当らしい。
だが、私の頭の中でなにかがひっかかる。
リトアニアやラトヴィアを旅したとき、ソヴィエト時代にいかに圧政を強いられていたか、という話をたくさん聞いた。
ソ連に反抗することはすなわち死を意味する。
多くの人たちが連行され、拷問され、そして処刑された。
当時、ソ連の施政下にあった人たちがもっとも恐れていたのはKGB。
民主化を望む人たちが政府に抵抗しようとするたびにその試みを打ち砕いたのが、内務省の特殊部隊だった。
東側陣営ではエリート部隊と位置付けられるのだろうが、一般市民や西側の人間からすれば、恐怖の対象でしかない。
サンダルイクはその内務省に所属する。
彼がその地位に昇りつめるために、いったいどんな功績をあげてきたのだろうか。
とてもフレンドリーな表情のなかに、ときおり見せる残酷なまでに冷たい目。
もしかして私は、とんでもない人の家にお世話になっているのではないだろうか。
いや、きっと考えすぎだろう。
だって彼は私にとてもよくしてくれるのだから。
サンダルイクが連れていってくれた広場では、祭りが催されていた。
民族衣装で着飾った女性たちがいる。
そのあまりの美しさに息を飲む。
剣と盾で武装した男たちが、戦いを繰り広げている。
ガシャンッ、ガシャン!
金属と金属がぶつかる音に、思わず足がすくんだ。
サンダルイクたちが今度は精霊大聖堂に連れていってくれた。
私はクリスチャンではないし、建築物にも興味はない。
本来なら立て続けに似たような教会に連れていかれたところで、辟易とするだけなのだが、この厳かな雰囲気がすっかり気に入ってしまった。
片膝をついて十字をきるサンダルイク父子。
マリア像に向かって一心不乱に祈りをささげる女性。
普段私は宗教とは無縁の生活を送っていたので、敬虔な信者たちを見ると畏敬の念をおぼえずにはいられない。
その後もサンダルイクたちはミンスク市内をくまなく案内してくれた。
ダイヤモンドのような形をした図書館では屋上まで登ってミンスク市内の眺望を見せてくれたし、英雄都市記念碑ではベラルーシの歴史について教えてもらった。
広場ではインド祭りまで見せてもらった。
インド?
せっかくベラルーシにいるのだから、どうせならベラルーシの祭典を見たかったのだが、インドの踊りもなかなかあなどれない。
くせのあるインド音楽のリズムはその後、頭にこびりついてずっと離れなかった。
なぜかサンダルイクたちは遊園地の観覧車にも乗せてくれた。
男三人で観覧車というのもどうかと思うが、ずっと歩き詰めだったこともあり、ちょうどいい休憩だ。
共産主義国家ベラルーシにだって、マクドナルドはある。
サンダルイクの息子、アレクセイは大のマクドナルド・ファンなのだそうだ。
「こいつは毎日ハンバーガーばかり食ってるんだ」
サンダルイクがあきれたように言うと、アレクセイが「へへへ」と笑う。
ミンスク市民にとって、もうアメリカは仮想敵国ではないのだろう。
時代は変わったのだ。
「マサト、ベラルーシのビールを試してみるか?」
そう言って、彼が連れていってくれたのは高そうなレストランだった。
メニューを見ると、ベラルーシの名物、ドラニキがズラリと並んでいる。
レパートリーがたくさんありすぎて、自分ではとても選べそうにない。
サンダルイクはきっと、その中からとびっきりのドラニキを私のために、選んでくれたのだろう。
ベラルーシのビールはあまりおいしくなかったが、ここのドラニキは絶品だった。
私はベラルーシのお金を持ってなかったので、クレジットカードで彼らの分も払おうとしたのだが、サンダルイクがそうはさせてくれない。
うーむ、ここまでされるとなんだかほんとに気持ち悪い。
家に戻る前に、ちょっとスーパーに寄って行こうとサンダルイクは言う。
買い物カゴをぶら下げた大佐。
なんだか現実味がない。
彼が私をスーパーに連れてきたのにはもちろんわけがある。
寿司コーナーに行って、
「マサト、この寿司はお前の目から見て本物か?」
と聞かれた。
ふーむ、そんなこと言われても答えようがないよ。
いちおう見た目は寿司に見えるが、なんとなく違和感を感じる。
でも、食べてみないことにはなにもわからない。
息子のアレクセイは寿司が嫌いだが、奥さんのアンジェラは大好きだという。
ひととおり買って帰ることになった。
寿司以外にも、日本食の素材コーナーにも連れていかれ、一つ一つ
「これは本物か?」
と聞かれた。
しょう油やワサビ、海苔などが並んでいる。
それらの品は、いちおうもっともらしい外見はしているが、日本人の目から見れば、やはりどことなく胡散臭い。
「どの醤油を買えばいい?」
と聞かれ、唯一私の知っているブランド、「キッコーマン」を推薦したら、その場にいた他のベラルーシ人たちも一斉にキッコーマン醤油を買っていった。
サンダルイクはその他のコーナーにも私を連れて行き、
「これは日本と比べて高いか?」
といちいち聞いてくる。
そんなこと言われても、ブランドやランクによって値段なんて変わってくるから、その商品が高いかどうかなんていちがいには言えない。
サンダルイクの家に帰ったら、また食事が待っていた。
奥さんのアンジェラが腕によりをかけてベラルーシ料理を作ってくれたらしい。
もうお腹いっぱいだったが、無下に断るわけにもいかない。
「観光は終わりだ。今からはウィスキータイム。」
そう言って彼が持ってきたのはバランタイン。
普段アルコールを飲まない私にはかなりきつい。
酔いがまわってきた頃に、
「マサト、お前は約束したよな、日本の歌を聞かせてくれるって。」
そうサンダルイクに念を押された。
彼は日本の古い歌が聞きたいらしい。
そんなの小学校以来歌ってないから、もう忘れちゃったよ。
インターネットで歌詞を探し、彼らの前で「さくら」とか「かごめ」などの歌を披露した。
恥ずかしかったが、どうせ彼らは本物の歌を知らない。
そう開き直って調子に乗って歌っていたら、その様子をビデオに撮られていた。
きっと後で友人たちに見せるのだろう。
ああ恥ずかしい。
彼らはかなり日本のことを知っていた。
AKB48のことも知っていたし、彼らの娘は初音ミクのことが大好きらしい。
ベラルーシというと閉鎖的なイメージがあるが、そんなことはない。
人々は明るく、外国のこともよく知っている。
サンダルイクは私の侍の衣装に興味を示していたので、「着てみるか?」と勧めてみた。
だが、彼はこの国の大物軍人。
そうやすやすとサムライのコスプレなんてするわけにはいかない。
「いや、俺はいいよ」
と口では言うものの、明らかに着たがっている。
「そう言わずに試してみろよ。きっと似合うぜ」
「そうかなあ。似合うかなあ。じゃあちょっとだけ」
侍の誘惑にはあらがえず、ついにサンダルイクは折れた。
こうしてベラルーシ1日目の夜は、なんともいえないあたたかい雰囲気の中でふけていった。
3.
今日はサンダルイクたちがミール城に連れていってくれるという。
玄関を出たところで、一台の車が待っていた。
中から男が飛び出してくる。
サンダルイクの部下で、階級は中尉だという。
英語で簡単なあいさつをしたのだが、通じない。
どうやら彼は英語ができないらしい。
サンダルイクの部下ということは、彼もまた内務省の所管する特殊部隊の兵士ということだ。
その眼光は鋭く、動作がものすごく素早い。
間違いなく彼は人を殺したことがある。それも何人も。
直感的にそう感じた。
握手を交わす力は強く、握られた箇所が痛い。
その後何時間もその感触が残っていた。
中尉の車でミール城まで向かう。
車の中で私は萎縮していた。
バックミラー越しに彼と視線があわないように気をつかった。
ミール城で侍のコスチュームを着て写真を撮っていると、いつのまにか私のまわりに人だかりができていた。
「おいマサト、みんなお前の切腹ショーがいつ始まるかと待っているぞ」
そう言ってサンダルイクは私をからかった。
え?そうなの? みんな私にそんなことを期待していたのか。
「マサト、「ハラキリッ!」と叫べ」
できるかアホ。
ミール城の湖畔で、アンジェラの持参したアップルパイをみんなで食べる。
城と湖と青空。
目の前にはたくさんの鴨が泳いでいる。
とても平和な光景だ。
「中尉、お前もサムライの衣装を着てみろ」
はじめは嫌がっていた中尉だが、大佐殿の命令とあらばしかたがない。
ミール城の前でコスプレショーをさせられるはめになった。
中尉とは冗談を言い合うほど打ち解けてはいたが、いまだに私は緊張している。
お腹がでっぷりと出ているサンダルイクとは違い、中尉は明らかに現役の兵士だ。
しかもベラルーシ軍の精鋭部隊所属。
彼らの同僚たちの多くはすでにこの世を去っている。
逆を言えば、彼らも大勢の人間の命を奪ってきたということだ。
そんな人たちと、温かい日差しのもと、一緒にアップルパイを食べながらコーヒーを飲む。
なんともヘンな気分だ。
ミール城からの帰り道、小さな村に立ち寄った。
ミンスクとは異なり、まだ昔のベラルーシの面影を残している。
聞けば、この村は中尉の生まれ故郷だという。
村のはずれには朽ち果てた教会があった。
共産主義時代、多くの教会は打ち壊され、大勢の僧侶が殺された。
そう説明する中尉の口ぶりは、共産主義にあまり好意的でないようにも聞こえる。
それなのになぜ彼は政府のために命を賭けて戦うのだろう。
20年ほど前まで、このあたりにはミサイル基地があったらしい。
今でも兵舎などは残っている。
「マサト、20年前ならお前はこの地区には近寄れなかったんだぞ」
サンダルイクがそうからかう。
ベラルーシ軍の最重要機密であるはずのミサイル基地跡を、内務省の特殊部隊兵士たちの車で通り過ぎる。
彼らは時々、私のために車を止めてくれる。写真を撮るためだ。
「ほれマサト、じゃんじゃん写真を撮れよ。
かつては、この地区の情報を得ようとして数多くの西側のスパイが潜入し、命を落としていったんだ。
でもお前は安全だ。なんてったって俺たちと一緒にいるんだからな。わははは。」
そう言って大笑いするサンダルイク大佐のTシャツにはこう書いてある。
「ブロードウェイ NYC」
アメリカ大好きのベラルーシ軍大佐。
この世界はきっと、いい方向に向かっているのだろう。
4.
正直言ってベラルーシにはそれほど期待していなかった。
東側陣営に属する社会主義国。
大使館員の対応も冷たかった。
滞在時間もわずか48時間。
サンダルイクは悪人面だし・・・
それなのに、今まででもっとも立ち去り難かったのがこのベラルーシだ。
サンダルイク一家は本当によくしてくれた。
私がミンスクに滞在している間、片時も私を独りにしなかった。
「どうしたらこの日本人を喜ばせることができるだろう?」
彼らは常にその事だけを考えていたように見えた。
彼らがずっと私の身の回りの世話をしてくれていたせいで、ついに私はATMからお金を引き出すことはなかった。
ベラルーシに滞在中、この国のお金を触る機会は一度もなかったのだ。
こんなことは初めてだ。
どうしてこんなに親切にしてくれるんだ?
「外国人にベラルーシのことを好きになってもらいたい」
サンダルイクはしみじみと言う。
彼はアメリカを始めとする西側の文化が大好きだ。
エルトン・ジョンやレニー・クラヴィッツを聞き、タランティーノの映画をこよなく愛す。
だが、それと同時に、彼はベラルーシ軍の幹部でもある。
外からはうかがい知ることのできない、彼なりの煩悶があるのだろう。
はたして、私は彼の期待に応えうるゲストだっただろうか。
ずっと彼らの好意に甘えっぱなしだったような気がする。
でもまだ失点を挽回するチャンスはある。
「マサト、俺が日本に行ったら、今度はお前が案内してくれるか?」
もちろんだとも。当然だろ。
別れ際、アンジェラはベラルーシの帽子をくれ、弁当まで用意してくれた。
サンダルイクとアレクセイは駅まで一緒に来てくれた。
絵葉書を買う場所を探すのも手伝ってもらった。
ミンスクを訪れる観光客はそれほど多くないのか、絵葉書を見つけるのにかなり手こずった。
やっと見つけた絵葉書も、まったくセンスがない。
「どうしてこんな写真を採用したんだ?」
と首をかしげたくなるほど貧弱な絵葉書。
この絵葉書を受け取った友人から
「これはどこの絵葉書?」
と聞かれるほど、お粗末なものだ。
それでも、私にとってミンスクは他のどんな観光地よりも魅力的な場所となった。
サンダルイクたちは夜行列車の車内まで来てくれた。
アレクセイはベッドメイクまでしてくれたし、サンダルイクは私の出入国書類に記入してくれた。
ベラルーシを訪れた外国人は滞在登録をしなければならないようだが、私はしていない。
他の人のブログを見ても、している人は見かけなかった。
滞在登録そのものの存在すら知らない人もいた。
それでも出国時に問題になったという話は聞いたことがない。
それに、私にはサンダルイクがついている。
内務省特殊部隊の大佐の家に泊まったのだ。
これ以上確かな身元引受人が他にいるだろうか。
列車の発車時刻が近づいてきた。
ほんとうに彼らともこれでお別れだ。
なんだか胸がグッと詰まる。
「泣くなよ、マサト」
そう言っているサンダルイクの方が悲しそうな顔をしている。
よせよ、サンダルイク。
悪代官に涙は似合わないぜ。
アレックスは肩を震わせている。
たった一泊しただけなのに、どうしてこんなに別れがつらいのだろう。
彼らの家に泊めてもらって、ほんとによかったと思う。
もしもただ単にホテルに泊まって旅行していただけだとしたら、この国の印象はまったく違ったものになっていたに違いない。
ただの東側の国。
だが、私にとってベラルーシは特別な存在となった。
こんなに暖かい人たちを他には知らない。
彼らと過ごしたのはほんの短い間だったけど、心が通い合えたような気がする。
駅の待合室で列車を待っている時、テレビでウクライナ情勢のニュースが流れていた。
サンダルイクたちは食い入るように画面を見つめている。
「もしも事態が緊迫化したら、ベラルーシ軍は介入するのか?」
「そういうことになるだろうな。だが、あの地域は私の管轄外だ。私の部隊が直接関与することはないだろう」
アレクセイが息を荒くして話に割り込んでくる。
「ウクライナは大切な隣国だ。なにかあったらいつでも助けに行くさ。当然だろ」
なにか変だ。
彼らとこの話題について話していると、どうも違和感をおぼえる。
いったいベラルーシ軍はどちら側につくつもりなんだ?
「そんなの決まってるだろ。ロシア軍とともに戦って、ウクライナを助けるのさ」
きっぱりとそう言い切ったアレクセイのさわやかな笑顔が忘れられない。
アレックス、わかってるのか?
ロシア側につくということは、お前の大好きなマクドナルドはもう食べれなくなるかもしれないんだぞ。
すっかりわかりあえたと思っていた彼らの存在が、「すっ」と遠くに行ってしまったような気がした。
世界中の人々がお互いに理解し合える日など、きっと永遠に来ないのだろう。
この世から戦争がなくなることはないのだ。