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【母へ贈る魂の作品】

Image by Olia Gozha

質問です。


あなたは今、両親に面と向かって

「産んでくれてありがとう」と言えますか?




自分はなかなか言えません。

タイミングも環境もあり、恥ずかしい気持ちもあり、

言葉の重みもあって、ハードルが高いんです。



でももし、

明日あなたの両親がこの世からいなくなってしまう

としたら・・・?




一度目を閉じて、想像してみてください。

あなたなら、どんな行動を起こしますか…?







自分だったら、真っ先に実家に戻ります。

できるだけたくさんの時間を共にして、たくさんの感謝を伝えようと努力するはず。

いなくなってしまった後に後悔しないために。

そしてその時に

「俺を産んでくれて本当にありがとう。」

「愛してます。」

こんな言葉も自然と出てくるんじゃないかなって思います。





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初めまして、ダンサーのJENESです。

4人兄妹の2番目で、兄妹の中でも比較的厳しめの教育を受けてきました。

両親は二人とも英語教師で、父は高校、母は中学の教員。

こうしている今も、家族のために大変なスケジュールをこなしながら働いてくれています。



うちは4人兄妹なので、両親は共働きで休みはほとんどなし。

正直とても裕福とは言えない家庭でした。

両親の仕事で大変なのは授業やテストの採点だけじゃなくて

部活の顧問だって本気でやって、生徒の親との関わりも、職員同士の関係も

しっかり大事にしていかないといけない。

「授業なんて全部の仕事のうちの2割だよ」と母が言ってました。

父・母ともに朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくるのは当たり前。

家でも仕事をしないと追いつかないほど。



そんな中、両親は家事もこなしてました。

父は洗濯、母は料理と掃除。

子供たちが代わりばんこでお風呂掃除でした。




そんな忙しい毎日を過ごしているにもかかわらず、

両親は俺たち兄妹にたくさんの愛をくれました。

習い事をたくさんさせてくれたり、

俺が一生懸命になっていることはすべて応援してくれました。

子供が学びたいことに関しては一切妥協せず、お金を出してくれました。

(その分ゲーム類はほとんど買ってもらえなかったけど笑)

今思うと、最高の愛の形です。



その上母の作る料理は絶品で、どのメニューもおいしいんです。

忙しさを極めているのにもかかわらず、栄養バランスを毎日考えて作ってくれて

外食はほとんどなし。たまーに食べるマックがご馳走みたいな感じ。笑

仕事だけで大変な毎日なのに、たくさんのストレスを抱えながらも

毎日毎日おいしい手料理を作ってくれました。

中でもなめこ汁が大好きで、一人暮らしになった今でも週に3回は食べます笑


進路に関しても本人よりも必死に考えてくれて。

将来に関して無関心な俺に資料をたくさん持ってきてくれたり、

たくさんの提案を一所懸命にしてくれました。




父もいつも俺のことを気にかけてくれて、たくさん話を聞いてくれました。

大きな心の支えになってくれました。

10年間バスケ部だった俺は、試合会場まで車で送ってもらうことが多く、

会場について車から降りるときに父がたまに言う

「やるなら全力でがんばれよ」「いってこい」という言葉が

今でも鮮明に蘇ります。あれがあると気合い入るんだよなー本当に。

なぜか重く強く突き刺さるんです、お父さんの言葉って。ほんと魔法みたいに。




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今ちょっと思い出すだけでこんなにたくさんの感謝が溢れてきて、

当時の映像が頭の中で蘇ると涙がこらえきれなくなったりします。

そんな恵まれた家庭で育つことができた俺は、大学からダンスを本格的に始めました。



ここでは割愛しますが、たくさんの出来事と強い思いが重なり、

大学生の全国大会に4年間連続で出場することができました。



そして今、ダンサーという立場でなんとかご飯を食べさせていただいてます。

大学4年間でたくさんの出会いがあり、たくさんの学びを得たおかげです。

お父さん、お母さんが東京に出してくれたおかげです。

「ダンサーで食べていきたい」というお願いを受け入れてくれた父のおかげです。

そのとき父が言った「ただ、やるなら本気でやれよ。俺はお前に期待してる。」

の一言が、いまでもモチベーションになってます。





こうやって過去を思い返していたら、

ダンスという形で恩返しがしたいと思うようになりました。



もちろんコンセプトは、

「愛と感謝を大切な人に。」

大切な人をお客さんに呼んで、これまでの感謝をダンスで伝えよう、というものです。


シンプルだけど、ダンスってクラブとかでやるもんだから

実際なかなか見てもらえないんです。



だからこその企画。




それには俺一人の力じゃ成し得ないと感じ、

一緒にやってくれる仲間を探しました。


そこで見つけたのが、木戸達也という男。

通称キッド。




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