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戦争体験者の祖父母から継いだ命の宿命が未だ分からない

Image by Olia Gozha

私の祖父母は第二次世界大戦経験者です。

祖父は戦争末期に歩兵として徴兵され、満州からロシア国境の警備にあたっていたらしい。

終戦後はロシアの捕虜となり、2年間の抑留生活。シベリア鉄道の建設に従事したそうだ。

極寒のロシアでは、アルコール度数80℃のウォッカでも酔わないのだと話してくれた。

日本軍歌は歌わないけれど、現地の人に教わったロシア民謡的なものを歌ってくれたことがあった。

抑留末期、肺炎で高熱を出し、2ヶ月寝込んだ。捕虜をちゃんと診察してくれるわけもない。死の境目にいた時、日本の実家では曾祖父母が鳳凰を見た。曾祖父母は祖父の死を確信したそうだ。

15年前に脳梗塞で倒れて半身不随だけれど、今年90歳を迎える。

祖母は東北の実家から東京の軍需工場に徴用されていた。

東京大空襲にも遭遇。防空壕で、自分のすぐ間隣の人(から先)が生き埋めになった。

戦争末期に無事帰宅出来、空襲に遭ったこともない自宅周辺の人が、B29の姿を憧れとともに眺める様を、何とも言えない気持ちで見ていたと。

死の寸前にいた祖父母は復員し、結婚し、3人の子を生し育てた。

祖父は地域の伝統芸能の伝承者としても活動し、脳梗塞で倒れる半年前に、父にその全てを伝え終えた。

父は仕事が忙しく、また好きでもあったので、祖父に伝統芸能を教わる機会を設ける時間がなかった。

だが、「巡り会わせ」と言うべきだろうか、否応なく継承する機会を得た。

何十年もやってきた祖父とはもちろん違う、たどたどしい動きではあったけれど、あの日の父の誇らしい顔、そして祖父の安堵したような笑顔を、忘れない。

その半年後、祖父は倒れた。

彼の宿命は、彼が受け継いだ芸能を伝えることだったのでは、と思う。

そしてその使命を終えたとき、いろいろな枷から、彼は解き放たれたのであろう。

この芸能は、女性は受け継ぐことが出来ないので、3姉妹の私の代では、誰も受け継ぐことは出来ない。

その代わり、家を継いだ妹の息子が、既に父の真似事をしている。

いつか反抗するときも来るだろう。「やらない」と言い出すときも来るだろう。

でも、やはりあの家の血は、

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