大人なのに…うまく対応できない自分に腹が立つ日々。
発達障害は、本当に奥が深い。
障害だからといって、全ての言動をそこに結びつけてもいいのだろうか?と疑問が生じることは正直多々ある。だが、言動に対して障害を無視することはできない。
ゲームはタイマーを掛けさせて遊ばせているとのボンの言葉に従い、遊ぶ時にはタイマーを掛けさせる。だが、「間違って指で押して止まっちゃったよ~。」との言葉を信じて再度掛けさせるが、また同じ言動をとる長男。これが毎回のように続くもんだから、間違えて止まってしまうのなら届かない場所にタイマーを置きなさいと話をする。
外にお菓子を持っていってもいい?との言葉に承諾したが、ゴミは持って帰ってくるように告げても「ゴミ?風で飛んで行っちゃった~。」との軽はずみな言動。結果、外にお菓子は持っていくのは禁止となった。
”できる”部分と”できない”部分、そして”できるけどやらない”部分の見極めがすこぶる難しいと感じる毎日。できるけどやらないもまた障害の1つかもしれない。だが彼の中で使い分けている面もある。それが分かるだけに納得できなくなる自分がいる。
これって全て障害からくるものだろうか?発達障害の子供は皆こうなのだろうか?やはり…、どうしても疑問が残ってしまう。「◯◯だから△なんだよ。」いくら理由を述べながら説明をしたって聞いてはいない。話し終わった瞬間からマリオの話だ。
会話してもまともに聞いてはいない。自分の話したいことを話せば満足するらしい。だが大抵は私に対して疑問形で投げかけている。だから返答するが、聞いちゃいない…。そこにテレビがついていれば、面白いぐらいにテレビを観てる。
話をスルーされるのは、大人だって心が傷つくんだよ…。
一方的な会話な上に、既に嘘が身についていた長男に対して振り回される。私は発達障害の子供に悩みを抱える1人の母親となった。
日々あった出来事は帰宅したボンに話をするが、他人事のように聞く。「こうしたらいいんじゃない?」との返答もくるが、カヤの外からのアドバイスに聞こてしまう。
いやいやいやいや…そういうことではなくって…。根本的な部分を分かってくれよと思うが、愚痴にしか捉えてくれない。次第に長男の話はマイナスの会話として、夫婦互いに口数少ないものとなっていった。
それでも常に私はリアルタイムに子供に携わる最前線にいる立場。子供に対して怒りの感情を持ったり、自身を責めるものであったりと、毎日の夜が1人反省会となる。
長男は小さき頃から専門の施設に通ってはいるものの、私は3度目で一緒に行くのを止めた。私の悩みを相談できる余地はないと判断したからだ。施設について行っても私の声を発信できぬままなら、そこに対してもフラストレーションが溜まってしまう。
その判断は正解だったのかは…、7年経った今でも分からない。