自分という存在の意義が分からない。そこら辺を常に模索する人生。
「人生楽ありゃ苦もあるさ。なんて言葉があるが、自分の人生苦ばかりなような…。」そんなふうに感じることが多々ある中で、どこをどうしたら良かったのか?
これは自身を振り返るために書き綴る、自分視点からみた記録文書である。
高校卒業と同時に念願だった親からの自立を果たした。1人暮らしを許されなかったために、3つ上の姉と住み始めたスタート。多少の窮屈さはあったものの、それはそれで楽しい生活として満足していた。しかし間もなく姉が妊娠する運びとなる。結局そこからも出ることになり、1人で暮らす住まいを探すこととなった。
元々1人で暮らしたかったのだから嬉しいはずなのだが、何故かこの頃から”1人は寂しい”という孤独を感じ始めていた。
私は、姉と弟に挟まれた真ん中の次女である。勝ち気で自由奔放な性格、そして綺麗好き。綺麗好きなのは、親を反面教師としてみてきた結果なのだが…。
”生活の基礎がだらしない”母親を尊敬できずにいた。彼女の散らかした新聞を私が片付ける。彼女の吸ったタバコで黄ばんだ建具を私が定期的に拭く。彼女が干しっぱなしにしている洗濯物は私が畳む。タバコの匂いが付くのが嫌で、中学生の頃から自分の洗濯物は自分で洗い自室に干していた。
目の前で食事をしているのに…真上に洗濯物だって干してあるじゃないか…、それなのにタバコを2本も3本も続けざまにふかすのは止めてくれ。心でそう叫び、段々とそれが露骨に嫌な表情として出るようになった。
そして毎晩のようにアルコールを嗜む母親だったが、そこに関しても嫌な面をみることが多かった。
人間は、アルコールが入ると尿意を感じることが早いだろう。眠りについた後もその状態は続くもの。
毎晩、私は恐怖だった。夜中に尿意を感じて起きる母親。しかし決まってトイレと間違い、私の部屋を開けようとするのだ。引き戸だったことが不幸中の幸いだったのかもしれない。ドアにつっかけ棒をすることが幼い自分が出来る、精いっぱいの対処法であった。
私が中学生だった頃の話だ。とある晩、皆が寝静まったあと私はリビングで勉強をしていた。いつものように、寝ぼけ眼でフラフラな状態で起きてきた母親。トイレに行くためにはリビングを通らなければならない。勉強している私の目の前を通る訳だ。
しかしこの時に、見てはいけないものを見てしまう破目になる。
アルコールが入ってるからこそ寝ぼけた状態なのだが、その日はトイレまで辿り着かなかった。私の目の前で着ていたものを脱いでしゃがんでしまった彼女。あまり露骨に書きたくもない、重たい愚を犯した事実。
この出来事は中学生だった私には強烈過ぎた。その情景はいつどんな時にでもフラッシュバックとなり、今でも苦しんでいる。
酒は飲んでも飲まれるな。心からそう言いたい。
親元から早く離れたいという自立心はあったものの、何もかもが新しい生活に1人で対応するには、正直戸惑いがあったし苦労も感じた。学費こそは親に出して貰っていたが、専門学校に通いながら生活費を稼いだ。時間とお金が無かった私は、比較的時給の良い夜間のアルバイトを見つける。はじめに結婚することとなった元旦那とはそこで知り合った。私がまだ10代の頃である。
小さい頃から親に『甘える』ということが出来なかった私は、10歳も年上だった元旦那は至極大人に見え、頼りになる存在として映っていた。家に行き来するようになり、気が付くと一緒に暮らし始めていた。
男としての魅力は特に感じられない男、でも女の私にだってそんなものは無い。それで別にいいんじゃないか?
刺激のない暮らしではあったが、穏やかな生活に満足していた。