15/1/21
24歳、社会人2年目の僕が心が折れそうになった時に、3億円企業の起業家先輩からの「仕事は○○のために行くんだ」という言葉で「仕事をしよう」とスタートラインに立った話

「仕事はな、○○のために行くんだよ。」
あなたは、何のために仕事をしていますか?
はじめまして!心のコトを仕事をにしている西勝ユズルと申します。
これは、僕が社会人2年目に、仕事にも人生にも疲れてしまい、心が折れてしまった時、3億円企業の起業家先輩からの一言で仕事への気力を再度もらった、ストーリーです。
この先輩を本当に僕は尊敬していて、その方とのお話を共有したくて書きました。
あなたは、何のために仕事をしていますか?もし分からなかったり、今の状態から抜け出したいという方は、続きを読んでもらえたら嬉しいです。
2010年1月、良く晴れた青空の平日のど真ん中、僕はスーツ姿で山にいた
お山さん「なにがあったん?あんたここ、スーツ姿で来るとこじゃなかとよ」
山よ、なぜ博多弁なんだ。まぁ山から総ツッコミを食らってもおかしくない状況ではある。
笑えるけど笑えない。そんな2010年の1月だった。
世間は正月も明けて、さぁ仕事すっかー的な雰囲気になっていた。リーマンショックの波を取り戻しつつ、だんだんと活気が戻っていた頃である。
しかし、僕は山にいる。平日に、スーツで。コトの流れを見て行きたい。
2009年4月、僕は新入社員として、入社をした。しかしスタートダッシュから失敗した。
社内の先輩や上司とどうやって会話したらいいか、分からない。子供の頃から、人と話したりするのは、表面的に繕うのは上手だったけど、家に帰って、どっと疲れるような子供だった。
しかも、年上というのは苦手中の苦手。とにかく全部従わないと、自分が認めてもらえないんじゃないか?という恐怖が日常の僕の精神状態だった。
そんなこんなでコミュニケーションに失敗した僕は、ステキな先輩や上司だったにも関わらず、自分でフェードアウトしていくかのように、勝手に悩んでしまっていった。
・・・・あなたは、こんな僕のことをどう思うだろうか?共感してくれたら、本当に嬉しい。
さて、確か先輩と会ったのは、1度目にうつになった2010年の1月だったんだと思う。
僕がうつになった時、40代のおばさまカウンセラーの、カウンセリングを受けながら休職をしていた。僕と先輩は、とあるファミレスにて、おばさまが紹介してくれた仲である。
先輩は、おばさまのお友達だったらしく、ひょうひょうとした感じの出で立ちの人で“アニキ”って感じの人だった。
個人で仕事をしているらしくて、年齢を聞いてみると30歳と僕の職場の上司くらいの人だ。
僕「こここ、こんにちは(どぎまぎ)」
先輩「おー、色々話は聞いた!大変だったね、少し休めば大丈夫さ!」
とまぁ、当たり障りのない会話からスタート。するとカウンセラーのおばさんは
おばさま「あ、ワタシ用があるから、これで!」
と、そそくさと行ってしまった。まぁ今日はお仕事でお会いしたわけじゃないですしね、会わせてくれただけでも本当に感謝というところなんです。ありがとうございま。。す。。んが、
気まずい。実に気まずい。
いやー初対面です。そして僕はまだ治りかけのうつ状態。どうすりゃいいのよ、これ…と思考をフル回転するも、はっきり言ってこの時は回転する気力もなく、流されるままにしようと思った。
僕「先輩は、僕くらいの時は、何をされていたんですか?」
うん、我ながらいい感じの発言をした。これだったら、先輩の昔のハナシを聞きながら時間を保ち、そしてデュエルはきっと終わる。この守備表示で、ターンエンドだ!
先輩「俺?西勝は確か23歳だよな。」
僕「はい!そ、そうです。」
先輩「お、ちょうど起業して軌道に乗り出した時だわ!」
いや、社会人だけどさ。パイセン、マジすか?あーそういう方でしたか。スゴいとは聞いていたんですが。。。
僕はそれを聞いてスゴいというよりは、正直ジェラシーをした。僕と同じ時期に、先輩は起業してスゴく実績も出しているし、きっと買えないものなどなかったのかもしれない。
逆に自分は今“社会不適合者”と言ってもいいくらいの状態だ。
あなたは、うつになったことがあるだろうか?僕が思うに、うつの人もそうじゃない人でも、一番キツいことは「自分が社会から外れてしまうのではないか?」という恐怖なんだと思う。
しかし、その恐怖にしがみついている人が大半だ。でも、それにしがみつける人は、スゴいんだと僕は思っている。
さて、しがみつけなかった僕は、家に帰れば心配そうに母さんは自分を見てくる。それは母さんが悪いわけじゃない。本当に心配してくれて嬉しい。
でも、申し訳なさでいっぱいなんだ。心が痛い。
だから、自分ですらコントロールの効かないこの状態を何とかしたいから、こうして会ったわけなんだ。
僕「あ、そうなんですね。羨ましいです。すっごく。」
正直あんまり覚えていないけれども、きっとこう伝えたんだと思う。あーまた悪いこと言っちゃった。どうせ気を使ってくれるか、あんまり触れないように上手に会話を交わすんだろうな〜と感じながら、自分の心の中も沈んでしまっていた。
先輩「でもな、オレ、行ってないんだよ。大学。」
「あ、というコトは高卒で働いたんですね?」
そっか、社会に出て苦労されて、起業したんだな。
先輩「いやー、実は3浪しているんだわ!」
「(・・・・絶句)」
先輩「医者を目指しててね。でもさー馬鹿だよな。野球少年の俺がそんなこと出来るはずないのに。あはは〜!」
「あ・・そうなんですね。」
先輩「そう、だから崖っぷちだったんだよ。」
だから、崖っぷちだったんだよ。
先輩の言葉が、僕の心に直撃した。
詳しく聞いていくと、先輩は甲子園常連校の選手だったのだが、膝を故障してしまい、野球生命が断たれてしまったという。
その後、自分はドクターとして野球に携わろうとした。しかし、とんでもなく偏差値の高い医学部を目指してしまったわけだ。そして3浪になったところで、さすがに親のスネをかじることもできず、営業の仕事を始めたという。
そこから起業をし、どんどんと年商は上がって一時は3億円の企業になったと言っていた。けれども、先輩のまたその後のハナシもガンと来た。
先輩「俺さ、言われたんだよ。西勝と同じくらいの年に、師匠が居てさ!「お前は医者にもスポーツ選手にもなれなかった。次成功しなかったらクズだぞ!」って。」
ハッキリ言ってショックもいい所だった。
僕は本当に逃げるように、会社から去って、ある意味うつという「免罪符」的なモノをもらった。でも先輩は、その恐怖に立ち向かうように、事業を起こし、成功を成し遂げたんだ。。。
先輩とはその日、お礼を行って、別れた。
どうして、僕はこうなってしまったんだろう?
僕は、大学では「意識高い系」と言われるような色々な学生団体だったり、企業のセミナーに行くある意味、社会勉強熱心な大学生だった。そこはとても楽しかった、と思う。
だからこそデキる“フリ”をしていた。
僕「本当に自分はこのままでいいのだろうか・・?」
普通にサークルに行って飲んでるような皆とは違う、自分は出来ている。そうやって仮面を被らないと、自分が自分として、いられなかったんだ。ようは、不安にまみれていた。
そして、ひとたび社会人1年目になったらどうだろう?
何も社会のコトは分からず、色々なコトを聞く毎日。しかもベンチャー企業だから先輩たちも忙しい中、聞くタイミングを逃してしまう自分…それでも「出来ない自分なんて絶対嫌だ」と思い、自分がどんどん孤立していく、自分の状態を自分で救えなかったのだ。
人間関係ベタ。しゃべっても、面白くもない。目立ちもしない。暗い。
こんな新入社員だったら、あなたも、あんまり関わりたくはないだろう。まさに僕はそうなっていたんだ。
そんな状態が半年間は続いていたんだと思う。睡眠時間は3時間。ふらふらの状態だった。
そして、僕はいつも通り、家から車で地元の駅まで行き、車を降り駅に向かおうとした…
僕「あれ、なんか前か霞んで、にじむ・・」
とうとう僕は、体が動かなくなり、涙が勝手に溢れてしまった。
自分が耐えきれなくて、壊れたんだ…
そう思った。もう、どうしようもなかった。心が折れるってこういうことなのか。その日は、休みの連絡を会社に入れて車の中で少しだけ眠るようにした。
・・・
しばらく寝てしまったようだ。確か10時くらいだったと思う。しかし、家に伝えることはできない。親の反対を押し切って、自分が行きたいと言ったまでの会社なんだから。
だから、どうしても今日は、帰るまでの時間を過ごすしか方法がなかったんだ。
ぼーっとしたまま、車を走らせて山に行った。
僕「あ、ここおじいちゃんの実家だ。」
そう、そこは、おじいちゃんの実家の近くの山。神社だった。なぜそこに行ったのかは分からない。僕のことだけど、僕は分からない。でも、それくらい混乱していたんだ。
そして、お参りをした。ゆっくり深呼吸をしながら、青空を見た。
僕「あー、もう戻れない所に来たのかもしれない。。」
ぐるぐると、アタマの中を巡らせながら、でも山のエネルギーによってスッキリしたのか。僕は自分の状態を見て、これは仕事に行っても意味がないと思った。そして、メンタルクリニックに行き、うつの診断書をもらった。
そして、家に帰り、色々とやり取りあって、親の前で23歳にもなって、わんわんと泣きわめき、親の愛を存分に受け取らせてもらった。
そして、うつの診断書をもらって、今になる。
先輩の意外な一言
話を元に戻す。だから先輩の「崖っぷち」のハナシ、響いたんだ。
どん底から這い上がった先輩。さぞかし、痛みも味わったんだろう。だからこそ、僕は先輩に対して敬意もあるし、恐れもあった。
だって、相手は3億円企業の元社長。それこそ歯をくいしばって、社会に立ち向かって生きてきた人なんだから。僕なんてヒヨッコでプライドが邪魔したようなヤツは、しっかりと叱るべき対象だろうな〜と、自分の甘さに辟易していた。
その甘さを振り切るように、僕は頑張って、復職をした。そして社会人2年目、24歳になった。
しかし3ヶ月後、また休職を余儀なくされる。
カウンセリングを受けながら、段々と自分が安定していることは分かった。だからこそ、ゆっくり休み次に備えるための休職でもあった。
でも・・・
僕「“次”ってなんだ!!俺に次はあるのか。こんなにもくたばってしまった、僕が、どうすればいいんだ。。」
僕は怖かったんだ。社会に出ることに、僕は恐怖を抱えていた。
また同じようなことが起きてしまい、つまはじきにされ、自分の居場所がなくなったら、自分は何を糧に生きればいいんだろう?と。
どうしようもなかったんだが、先輩に連絡をした。先輩は快くOKしてくれた。
場所はとあるビルのイートインスペースだった。先輩は近くで仕事を仕事をしているらしく、急ぎ足で駆けつけてくれた。
先輩「お〜西勝、久しぶり!だいぶ顔色は良くなったじゃんか。」
僕「あ、お久しぶりです。先輩。」
先輩「なんだよーどうした?」
僕「先輩、ぼく、会社をやめようと思います。。」
先輩も忙しそうだったので、僕は早く切り出すことをした。
先輩「おお、そうなんだ。それで、次は、どうすんの?」
僕「それが、正直良く分からないんです。」
働く、という意味を知りたい。
正直、分からない。
偽りもない僕の本音だった。別に仕事をまたしに、行ってもいい。もしかしたら公務員の勉強をして公務員になることもいいのかもしれない。
だけど、僕は怖かった。再び同じように人間関係に迷うこと。そして、毎日毎日、電車に揺られて仕事にいって、疲れて帰ってきて、また明日におびえることが。
僕は、何を糧に生きればいいのか?僕は何のために働くのか?
嘘でもいい。納得のいく答えが、誰かから欲しかったんだ。
そんなことを延々とつらつらと、先輩に話した。周りから見れば、マシンガンのように語る僕は、きもちわるかったんだと思う。それでも先輩は、目を逸らさず、時に目に涙を浮かべながら懸命に聞いてくれた。
そして、先輩は口を開いた。
先輩「西勝、俺は、多くの人には、成功したと言われる。それでも、人間関係に絶望したんだよ。」
意外な言葉が返ってきた。欲しいものは手に入った。確かに値段を見ずに、商品を買うことだってしてみた。だけど、寂しさは募るんだ・・・と。
あなたはこの言葉に、どう思っただろうか?
本当に大切なものを、先輩は語ってくれた。
僕としては本当に意外だった。いくらお金を稼いでも、手に入らないものがある。そうやって、トップの本音が聞こえてくるようだ。
ちなみに今、先輩はそういった“関係性”を大切にした企業組織のリーダーをやっていて、僕も時々お手伝いが出来るときはしている。とても楽しそうでイキイキしているステキな先輩だ。
僕「(そんな先輩でも人間関係に絶望したのか。。)」
ますます仕事に行く理由が分からなくなった。働くということはただ自分を消耗するに過ぎない。思いっきりお金を稼ぐことも、人間関係の問題も出てくる。
だったら自分で何かやった方がマシだ。だけれども、僕はまだそんな実力も勇気もない。結局ダメダメな野郎なんだ。。
そして。
先輩は、静かにこう伝えてくれた。
先輩「西勝、仕事は、お金を稼ぐために行くんじゃない。心を育てるために行くんだ。」
僕は、しみじみとその言葉を噛み締めた。
辛いことや厳しいコトに当たるたび、また泣きそうな時も、先輩の言葉がふとよみがえってくる。何のために働くのか、それは心を育て、自分がより人間らしくより良い人になるために磨くものなんだと気付けた、きっかけだった。
それをすれば、自然と結果はついてきた。僕はお金と心の順番を誤っていたんだ。だけれども、多くの人がこの順番を誤ってしまうから、悩んで苦しんでしまうことにも気付いた。
僕「ありがとうございましたっ!」
先輩「おう、気張ってがんばり!」
あれから。
「何かをしたい。夢を実現させたい」そうやってある意味、自分の現状から逃げてしまって、夢という空想にいたコトに気付き、もう一度社会復帰をした。
先輩のあの一言がなかったら、僕は相変わらず薄っぺらく、社会にしがみつくようにワケも分からず過ごしていたんだと思う。
心を育てるというコトは、並大抵のコトじゃない。それは自分と向き合うこと、つまり相手と向き合っていくからこそ、成長するものなんだと気付いた。
それがベースにあって、あなたも着実に人間関係を改善させながら、夢を描き、理想のライフスタイルの実現に向けた“心”を育てることが出来るんだと、僕は確信している。
だからこそ、先輩のような人になりたいと思い「夢と自立を実現する3ヶ月間プログラム」と称し、「逃げたい毎日から、挑戦し、感動し続ける毎日」を作る20代専門コーチとして活動している。
この活動を続けて感じたことは、多くの人が当時の僕のように、迷っている人がたくさん居るということだ。その仕事は全国に及ぶ。
だからこそ、僕は“人の心を自由に飛び回りながら旅を続ける「ハートトラベラー」というライフスタイルを自分で職業化し、毎日を進んでいる。
人の出逢いは無限だ。だけれどもその言葉から何を思い、何を選択するコトも無限だ。あなたはどうだろう?明日の仕事に対して、どんな心構えで向かうのだろうか?
「仕事は、お金を稼ぐために行くんじゃない。心を育てるために行くんだ。」
あなたは、毎日の仕事の中で、心を育てていますか?
最後まで、お読みいただきありがとうございました!
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僕が社会人1年目の時にとある萌え声お姉さんの一言で、生きる力をもらえたストーリーです。今週の読んで良かった!ランキングで3位を頂きました。
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