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15/1/8

女性聖者に抱きしめられに、人々の優しさに気付かされるために南インドに呼ばれた話

Image by Olia Gozha

もう、これが4回目のインド。今回はインド人女性聖者のアシュラムに行って来た話。これも、インドに呼ばれたってこと。

APR.25,2008

夜10:30頃COCHIN到着。
SASIとGOPIKAと一足先にインド入りしていた友人のSちゃんが迎えに来てくれていた。
お腹が空いているからだろうとチャパティとジャムを持ってきてくれてた。
お腹はすいていなかったが、全部平らげる。

APR.26,2008

今日はSASI家族とSちゃんと車で1時間以上走らせたところにある
滝を見に言った。
観光地らしく、周りには沢山の人と出店が。
家族連れが多かった。


出店でサイラジャがポップコーンを買ってくれた。

やはり、カレー風味のポップコーンだった。。。

インド人って、どこまでカレー好きなんだ!!!


APR.27,2008 ~アシュラムに着くまで

今日私が目的としていたアマチというインド人女性聖者のアシュラムに行く日。朝早く起床して早い時間に行く、って言っていたにかかわらず、、、、。
 7:30に駅ついたのだが、そこ行きの電車は9:00ということで。
レストランで朝食食べたり、女性専用待合室で待つこと1時間半。
やっと電車がきた。
沢山の人が乗るので、正直座れるのかな??と不安に思うも、車両を渡り歩き、なんとか空いている席をゲット!
休暇で実家に帰省している看護女学生達と合席だった。

最初彼女たちに ”あなたマリプリ?ネパール人”と聞かれ”???”と思っていたらどうやらインドの東のはずれにある都市で、マリプリの人たちはまるで日本人や韓国人たち東洋人の顔そっくりのれきっとしたインド人。
インドって広い!!
彼女たちにビンディーつけてもらったり、音楽を聞かせてもらったり(今時カセットテープ!)、写真見せてもらったり、一緒に写真撮ったり、マラヤラム語教えてもらったり。
SASIたちも合席していた女学生やおじさんたちと仲良く話してた。インドってコミュニケーションが頻繁にされている!日本とはまるで違う。

あとから乗ってきたインド人の女の子たちも私たちのことをちらちらみていたので、笑顔で会話。

3時間半の電車は長かったけど、こういうコミュニケーションがあるから楽しい。

駅からオートリクシャで40分。

ついに、アマチのアシュラム到着 !


  APR.27,2008 ~アシュラムにて

お昼すぎにアシュラム到着。
HPでみている限り質素な小さい場所かな、とおもっていたら橋からは巨大な建物が。どうやら宿泊施設のよう。
沢山の人が宿泊するんだね。

外国人用受付が3時からだったので、それまでアシュラムで用意されているご飯を食べる。

ちょうどその日はアマチがダルシャン(抱擁)を行っており、ものすごい人で施設内がお祭りでにぎわっていた。

外国人受付で受付をしていると、かれこれ出家して5年くらいたつという日本人女性が話しかけてきた。アマチから出家の名前をもらったとても物腰のやわらかい方。何人か日本人も滞在しているわよ、といった矢先、同じように受け付けに同じくらいの年の日本人男性がやってきた。

 3人一部屋、シャワー(お湯なし)、トイレ、簡単なシンクのある、8畳くらいの質素かつシンプルな部屋で、10年近くアマチを知っている40代の日本人女性Mさんと一緒だった。
友達Sちゃんはとても嫌そう。
私はこれでもとても綺麗な方だと思った。

 
 荷物を置いたらホールに出向いてダルシャンを受けに行く。
外国人はすぐ並べたのに、インド人はなんと4時間以上まちとのこと。
SASIとサイラジャも本当はダルシャンを受けたかっただろうに、次の日仕事があるからもどらなきゃいけないから、と夕方、帰って行った。

並ぶこと1時間半。徐々にアマチの姿が近くに見えてきた。
周りには帰依者たちやダルシャンを受けた後の人たちが至福の目でアマチを見ている。なかには泣きくずれている人も。

 さて、いよいよアマチにダルシャン(抱擁)してもらった。
帰依者の一人が私の後頭をアマチの胸に埋め(あるいみ強制)、周りの帰依者が”japanese!”とアマチに伝えるとアマチが耳元でごにょごにょとマントラ?を囁き。ほんの一秒で離される。
感慨に浸っている余韻もなく、終わってしまった。。。
ぼけっとしていると、帰依者の一人が”ここに座りなさい”とアマチの近くを指定。どうやら、初めての人(どうやって初めてって知るのかわからないけど)や、苦しい人、ヒーリングが必要な人に対してはアマチが指定して近くに座らせるらしい。
アマチはひとりひとりの状態がわかるらしいのだ。
しばらくアマチを見ながら座っていた
隣ではインド人女性が泣きながらアマチを見ていた。

 こうしてアマチをみていたら、まずSASIとサイラジャのことが頭に浮かんできた。ここまで来るのに往復8時間以上時間と労力とお金を使って、いろいろ世話をしてくれて。。あとで聞いたら家に着いたのは22:30だったとのこと。自分を家族のように接してくれて。嫌な顔も何ひとつせず。

 これって無償の愛以外の何物でもない。

 そしたら日本の家族や親せきや友達や出会った人たちのことが走馬灯のように思い出されて。
 
 私がかかわってきた人々によって今の私がいるし、生かされている。
 たくさんの愛をもらって生かされている。

 そして人との出会いもすべて繋がっており、この場所にきたのも 必然だったからで。
 去年アマチを知って、一年後にここ本拠地で彼女に会えるのがとてもフシギ。
 想えば実現するんだなあ、って。

  

  ”すべては愛”ってアマチが教えてくれた。

  直接つたえてくれたわけじゃないんだけど、わかる。

  私はこれを学ぶためにここにきたんだ。

APR.27,2008 ~夜

ダルシャン終わって部屋についたらMさんが部屋や施設内の説明をしてくれた。
部屋からみた夕日は最高に綺麗!
ちかくにビーチがあるとのことで、行くことに。
ここのビーチでは、しかし瞑想するための場所だから静かに、とのこと。

アシュラムに滞在するインド人家族もビーチに来ていて、9歳のインド人の男の子が人懐っこく話しかけてきた。

前に座っていたアイルランド人の子にもちょっかいをだしていた。本当に可愛いの。

夜ごはんは他の日本人滞在者、54歳だけどどうみても30代にしかみえないSさんと、たまたま同じ地元だった2個下のS君と食べた。
その後、施設外にある小さなお店でおしゃべり。途中ビーチで出会ったアイルランド人の子が来て、一緒に会話。アイルランド人の子、人懐っこくてとってもかわいい!



APR.28,2008 

アシュラムでは毎日日課がある。
朝4:50から6:00まではアルチャナ(千の御名詠唱。お経みたいなもの)があるのでがんばって早起き。
その日は朝から雷雨と強風で、まだ雨季でないのに珍しいとのこと。
 講堂には女性数十人がいた。(男性は別の講堂)
ふつうは講堂がいっぱいになるくらい集まるらしい。
信仰心の強い信者は毎日アルチャナをしているのが伺える。
とにかく、私は眠くて死にそうだった。

 アルチャナが終わるとチャイが無料で配られる。
そのチャイが最高においしい!
 遅れてくるけど、毎日アルチャナに参加するMさんと会い、しばらくチャイを飲みながらおしゃべり。
学校卒業後、喫茶店を開いたり、服飾関係の事業をたちあげたり、NYでも展開したり、となかなかやり手ウーマンだったらしい。
アマチのことや自分とアマチとのかかわりを色々聞かせてくれる。
 ”アマチ、すごい波動高いでしょ” というところ、Mさんもスピリチュアルな人だ!

 10時から昼間では奉仕活動があり、滞在者はなにかしら施設での仕事をする。私たちに下された仕事はwestern kitchenでの皿洗い。
皿洗い、といっても大きな鍋やらそんなものばかりで3人で2時間働きぐったり。。。

ランチ後、仲良くなった日本人滞在者5人で街へ散策。
途中インド人おじちゃんが話しかけてきた。
どうせ、ガイドして金取るんでしょ~、と適当にあしらったり無視してもついてくる根性、ある意味見習うべきものあり!
写真を撮ってくれるのはいいものの、勝手に自分も入って最高の笑顔とポーズとるのはどんなものかな、、。


APR.28,2008 夜


18:30から約一時間バジャン(歌)があった。
滞在者がすべてみんな大講堂に集まり、歌を歌う。
最後の方は最高潮で、みんな手をたたきながら歌を唄うのだ。
みんなが一体になった瞬間だった。すごい!
バジャンが終わるとみんなアマチを一目見ようとアマチの通り道がたくさんの人でいっぱいになった。まるで有名人を一目みようとする ミーハーファンのよう。
アマチを好きなAちゃん曰く、”アマチを一目みるだけで、ハートが解放されて、癒されるんです”。

夜ごはんを食べて皿を洗っていたらひょんなことから隣の外国人と会話をすることに。大学を卒業して、就職するまでいろいろ世界を見たいんだ、と長期の旅に来たスウェーデン人の男の子。

ここのアシュラムではアマチの信者はもちろん、アシュラムにあるアーユルベーダの施術を受けるために来た人々や、何かを求めてきた人が大勢くる。インド人だけでなく、外国人滞在者もざっと100人はいるのではないだろうか。
やはり多いのは欧米人。ヨーロッパではどうやらフランスや北欧の人が多いらしい。小さい子供ならず新生児を連れてくる家族もいれば、親子三代で滞在している人も!


スウェーデン人ののトニーは今日アシュラムについたばかりで、数か月はインドを旅し、アジア、アフリカをはじめ世界中を旅する予定とのこと。
宗教でこれが一番というのはない。色々な宗教のいいところを取り入れて生きたい、人種は違っても奥深いところはみんな一緒なのじゃないのかな、、など自分がまさに思っていることを表現する人がこんな所にいた!! この人に出会うためにここに来たと思えた瞬間だった。

いっしょに話をしていたAちゃん(最初他のアジア人と思った)と”素敵な人だよね~~”とうっとり。
そんなAちゃんも昔は宗教とかスピリチュアルなことには否定的な人で、大学で哲学を学んでから受け入れるようになったらしい。
食事の前にはお祈り。”お祈りをすると心が休まるんです”
トニーがアフリカにいく、、という話から、Aちゃんに”チサトさんは
アフリカや大地ってかんじ。アフリカでボランティアをしていそう。”


夜も遅くなったので部屋に戻ろうとしたらフランス人の男の子(7くらい)が、砂でお城やハートを作っていた。
周りにはほかの外国人滞在者数人が温かく見守っていた。
そして出来上がるとみんな話しかけ彼を抱っこしそしてキスの嵐。まるで家族みたい。みんながエガオになってキモチが一体になって。至福のひと時だった。Aちゃん”天使みたいでしょ”。うん、本当に天使みたいな顔だよ。
その子はAちゃんが大好きで、手をつないで部屋へ帰って行ったよ。

子供の時から色々な人種の人と触れ合い、様々な体験をしているこの子は幸せだなあ、と心から思う。


APR.29,2008 

今日も早起きしてアルチャナに参加。
今日は雨が降らなかったので沢山の人が参加していた。
チャイを飲んで、一人ぶらぶら。

火曜日は午前中は瞑想の日。
小さな講堂に沢山の弟子や帰依者やビジターがひしめきあって座り、瞑想したり、本を読んだり。
私たちは2階に陣とった。
床に座っていたらほかの帰依者が座りなさい、と椅子に座らせてくれた。やさしい。
途中からアマチが来て、一緒に瞑想し説法がはじまる。

discrimination(識別力) という言葉をよく使ってた。

最後の方ではアマチが歌を歌い、みんながそれに続く。
声の倍音がとても美しい。
ここでも私がかかわってきた人々の顔がぱーっとでてきて思わずうるむ。
そういうことを思い出させるアマチ、本当すごい!

説法が終わると、ランチタイムになり、アマチが直接皆にカレーを手渡し。
まずは男性が受取り、そして女性。
並んでいると、仲良くなったシンガポール人の子と出会い挨拶をかわす。ほんと、この子笑顔がすごい素敵なの。
アイルランド人の子にもすれ違い。帰る日にみんなと出会えるなんてうれしいなあ。
お昼を食べて食器を片づけていたら近くにいたトニーと目があってちょっと会話を交わす。
インスピレーションがこなかったのか、此処を数日したら発つ、と。
これから先彼にどんなインスピレーションが起こるのか私も楽しみ。

  さて、いよいよアーシュラムとお別れ。
 私たちが乗るタクシーの側ではSさん、S君、Aちゃん、Mさんが待ってくれていた。
Aちゃんが、お土産に、ってアマチのバジャンCDをプレゼントしてくれた。私たちだけでなく、SASI家族にもって。なんて心優しい子なの!
Aちゃん、

”3日間だけじゃアマチのことわからないまま帰ってしまうんですね。長くいればいるほど、アマチの魅力がわかります。ツアーに行くとアマチのことが大好きになります。ぜひまたいらして下さい”
 みんなに見送られ、アシュラム出発。
こんな人たちとの出会いがあるとは思わなかった。
タクシーに揺られながら、センチな気持ちに。

アマチは一年の半分以上をインド国内、海外(アメリカ、ヨーロッパ、シンガポール、オーストラリア、日本 etc)のダルシャンツアーで過ごす。実は4月半ばまではオーストラリアツアーに出ており、アマチがアシュラムにいたのは4/23から4/30までで、またそのあと北ケララ州のツアー、5月末には日本、6月から7月までアメリカ、カナダのツアーに行かれる、多忙な方。
日本人の出家者の方がアマチのことを”家族以上の存在。アマチは家族以上に愛をくださるんです” といっていたっけ。
出家をすると、アシュラムで霊的修行を行う。
瞑想、奉仕、規則正しい生活。
禁欲。(だから男性、女性別々)ベジタリアンの食事。
ここインドのはずれで不便な生活をあえて選んでアマチに仕える多くの人々。3日間の滞在だけじゃまだまだアマチのことなんてわからない。わかったなんていえば、それは傲慢になる。

私がここ本拠地のアシュラムでダルシャンをしてもらえたのはある意味奇跡。

本当に行ってよかった。
こんどは家族で行きたい!

駅でSASIが迎えに来てくれた。 


May.2,2008

SASIの家族とSちゃんとのんびり家で過ごす。さて、明日がいよいよ帰国。
サイラジャ、ゴピカ、スルティとは今日でお別れ。

悲しくなんてなかった。

 お互い、"See you next year "と実にさらり。
本当にさらり。


MAY.3,2008


朝ママが朝食用のチャパティーを作っていて、ついでに作り方を教えてもらう。まるで餃子の皮と一緒。

そして日本の家族にも食べさせなさい、とどっさりバナナ、マンゴー、ココナッツを持たせてくれました。(バナナは空港で完食。マンゴーはあえなく日本の空港で没収。ココナッツは持ち込みできた)

しばらくしたらお手伝いさんと子供たちがお寺にお参りするから一緒にきなさい、と呼ばれる。
近所の人たちがたくさん集まっていた。
一人、アマチの信者が。アマチのペンダントしている!
二人でにこにこ。
おばさんが、”私たち友達よー”と私の腕を組む。積極的~。 
お参りが終わって、家に帰宅。
家の前でお手伝いさんたちとはお別れ。
彼女泣いていた。”いつくるの?待ってるからね”って。

夜9時過ぎ、家をでる。
アンマ(お母さん)も”一緒に日本へ行くわ”、と冗談を言いながら車にのって見送り。
その間ずっと手を握っていた。アンマは私のインドのお母さんだよ~~!!
空港では姿が見えなくなるまで見送ってくれた

センチになり、ひとり飛行機の中で号泣。
みんなみんな、私の家族 ! また、帰ってくるからね!!!!


帰国後、22歳の時に一緒にインドを旅行した戦友に旅の報告。

彼女からは、こんな感想が。


今回もかなり攻めてきたねぇ~
あんた、最高だよ
なかなかできない経験。
そのチサトの感覚、その旅の趣旨、その今回のインド行きの意味。
でも、旅を共にしたSちゃんが羨ましいぐらい、なかなか出来ない経験をしてきたね、本当に。


いつかは、戦友と一緒にまたインド行きたい。これが私の夢であり、二人の本当のリベンジでもあるのだ。


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