さて、前回のプロローグにて
ふと覗いた自転車屋さんで手に入れたクロスバイク。
今回はその乗り心地に気をよくしたちょっとメタボ気味の三十路サラリーマンが
初めて走り出したときの旅の話です。
しばらく運動らしい運動もせず
メタボ気味の体に
これでは自転車の長旅は無理だと
ひと月ほど、近所を乗り回したものの
さして効果をあげることもなく
迎えた2006年の夏の盆休みのとある1日。
ただ走るだけではつまらないのと
走るモチベーションをキープする目的で
どこまで走れるかのクイズを仲間内に出していました。
初めての旅なので
泊まりはなく午後5時にたどり着けるところまで
というのを条件に。
私の住まいは大阪と京都のちょうど真ん中の高槻市。
ここを起点に西へ向かうというのが前提でした。
目安として
50kmが神戸市の三宮あたり
100kmが姫路 ということで、
せいぜいそれ以上を予測してくる人はいないだろうと踏んでいたのです。
事実、ほとんどの方がそのあたりで
他に芦屋とか淡路島なんて予想も出てきました。
でも、実はこれ回答を絞るための誘導尋問でして
個人的には岡山市までは走れるぞという根拠のない自信がありました。
なんで走りもしないのに自信があったかは自分でも謎ですが、
走るからには関西圏よりも西まで届くのは必定と決めていたんです。
病は気から、無理が通れば道理が引っ込むが信条。
もう気持ちだけは走る前から岡山市まで吹っ飛んでいました。
さてさて、話を本題に戻しまして。
いざ、旅立ちの当日。
朝はあまり強い方ではないのですが、
その日は目覚ましより早く目が覚めて
朝の5時までには準備を済ませてスタートしました。
関東よりは日の出の遅い関西ですが、
早起きの夏の太陽はあたりをすでに照らし出していました。
これは日中は暑くなるとの予感に
早めに仕掛けてオーバーペース気味にぐんぐん進んで
朝の7時頃にはすでに三宮あたり。
国道2号線と神戸新港とを結ぶ日本一短い国道の174号線を過ぎました。
思えばこの旅での爽快感はこのあたりが最高潮だったのです。
やがて神戸を過ぎ明石海峡大橋の下を過ぎたのが八時あたりでしたでしょうか。
ここまで距離にしておよそ65km。
風を切って走っているうちはいいのですが休むのに自転車を漕ぐのを止めた途端
暑さで汗が止まらなくなるほどに気温は高くなっていました。
そんな中、惨事は突然にやってきます。
そろそろキツさがやる気を勝ってきた頃合、
気持ちだけはまだ岡山に飛んでいたのですが、
むしろそのせいからか、たどり着く夢を見たような気がした刹那です。
目の前の信号の変わり端、車道に残るか歩道に入るかの判断が鈍りました。
ほんの一瞬でした。
同じように後方から車道を急いできた車に気づき
歩道に逃れようとしたのですが、
ブレーキが間に合わずハンドルの先が車道と歩道を隔てるガードレールに弾かれ、自転車の制御を失いました。
その後も隣家の壁とガードレールの間をピンボールよろしく数回弾けて、
止まったときには肘と膝など一通り擦りむいてる始末。
夢見心地は覚め、一気に現実に引き戻された訳ですが、
これが加古川市から高砂市の境あたりで
みちのり100kmとなる姫路まではあと少しというところでした。
初めての旅でいきなりオオコケをするという失態に半ば岡山を諦め、
とりあえず姫路までは到達してから、どうしたもんかを考えようと気持ちを切り替え、再スタート。
しばし走った先の薬局で絆創膏を買い、
ようやくにたどり着いた姫路で昼ご飯を食べ出したのが11時。
そこで事件が起こります。
実はクイズはSNSでも出してまして
途中経過の報告がてら書き込もうとログインしたところ、
新着コメントのお知らせが目に付きました。
そのコメントも旅先の予想だったわけですが、
その答えがなんと岡山だったのです。
負けず嫌いも性分でして、
このコメントにて、一度どっかに飛んでったやる気の虫が再度岡山を目指せと、心の中で声高に背中を押してきました。
ゴールと決めた午後5時までは、行けるとこまで頑張ってみましょうか。
そんなこんなで、太子町、たつの市、相生市、赤穂市、上郡町と走ってくわけですが、
私、実は生まれが 関東の茨城県なもので
地名が一つ一つ自分にとって真新しくて
太子町には鵤(いかるが)なんて交差点があって聖徳太子のゆかりの地だったり
たつの市は童謡の赤とんぼのいわれがあるとこだったり、
赤穂市といえば、四十七士でしょ
なんて感じで、暑さもさながらだったわけですが、ロングツーリングを堪能しながら走ってました。
言ってみれは、これが全国の市町村を巡ってみようって思った原点だったんでしょうね。
越えた後の下り坂を楽しみに気持ちを保っていくつか峠を過ぎ
岡山県の備前市にたどり着いたのは午後2時過ぎでした。
さて、ここまで来たら岡山までは40kmほどです。
昼休憩を抜いたら8時間で160kmの時速20kmペース。
岡山市にたどり着けるのは確信に近づきました。
そうなると欲は出てきて、岡山の一つ先の倉敷を目標に差し替えました。
そんな矢先です。
ポツリ、ポツリ、ザー!
あんなに天気が良かったのに突然の雨!
ただ、この頃は滑ったら嫌だとか思うより
火照った体をちょうど冷やしてくれる恵みの雨に思えるほど、
気持ちは前向きでした。
やがて雨も小降りになり、ついに岡山市に入った頃
道端に黒い革製の四角い落とし物を発見します。
振り返れば、道中、さまざまな落とし物がありました。
軍手、サンダル、片っぽだけの長靴、怪しげなビデオテープに、果ては風で洗濯物が飛んできたのか白のブリーフまで。
拾うまでもないものが大半だったのですが、
そこに落ちてたのは、見紛うことなく、財布でした。
これは着服のチャンス!
いやいや交番に届けなくては、とリュックに詰めて先を急ぐのでした。
さきほどふと悪行を思ったのがたたったのか、
東岡山の駅に着いた頃、再びの豪雨。
ただでさえ土地勘の無いところに、視界は悪いわ、体は冷えるわでして。
倉敷に届くほどの距離を走ったはずなのですが、
とっくに通り過ぎるはずの岡山の駅にすら
なぜかたどり着きません。
持ち前の意地だけで走り続けていたわけですが、
こんなクライマックスのタイミングにて、今までなんとかたえていた持病が発症したのです。
やがてたどり着いた先は、東岡山駅。
随分前に通り過ぎてはずの東岡山駅。
東岡山駅から西に向かっていたはずなのに、ここは東岡山駅……。
そうです。
持病というのは、自転車で旅するのには致命傷とも言うべき方向音痴!
ここまで、わかりやすい道を極力選び迷ったと思ったらすぐに携帯アプリのGPSでやり過ごしてきたのですが、
雨の中、携帯をリュックの深くにしまい込み、そのあげくが、この体たらくです。
時刻はすでに午後の4時半。
刻限まではあと30分。
ともかくも道しるべや携帯にて、西をしっかりと見極め、倉敷を目指して最後の猛ダッシュをかけた訳ですが、
頑張り虚しく、岡山市内から出ることは叶いませんでした。
ふと午後5時を迎えたとき、たどり着いたのは山陽典礼会館。
後で調べたところ、倉敷市までは10km弱でしたが、
岡山市の隣の早島町まではあと3kmの地点でした。
さて、自転車による初めてのロングライド、この時点で終わりではありません。
まずは先ほど拾ったお財布を交番に届けないといけません。
岡山の駅の方へ来た道を引き返すと、ほどなく交番は見つかりました。
ただ、なんとも言いづらいことに、財布を拾ったのは間違って上がってしまった2号線バイパスの車専用道のとこで、
交番に届けたら、拾った場所を告げなきゃならないわけでして。
そこで事情を話すととともに、拾得物の届けも偽りなく、無事に済ませると
そこそこ訛りのきつかったお巡りさんから
『兄ちゃん、酸っぱいなあ』との指摘がありました。
???と顔に書いてあったのか
もう一回、『兄ちゃん、汗臭いなあ』と。
第一印象はホームドラマに出てきそうなおじいさん手前のおじさんといった体のお巡りさん。
次の『うちで風呂でも入ってくか』との提案に思わず乗ってしまっても怒られなさそうな人好きのする方でした。
さすがにそこは丁重にお断りしつつ、交番に来たもう一つの目的
実はこちらこそが本題だったわけですが、
それを果たすことに。
それは自転車屋さんの場所を教えてもらうことです。
ここまで、帰り道を心配くださった方、もしいらしたら、ありがとうございます。
自転車でなれないロングツーリングにて体はもうへとへと、
ビジネスホテルやネットカフェなど、岡山市なら急な旅でも泊まるところは確保できそうですが、
また明日も漕ぐ元気はさすがに起きそうもありません。
実は帰り道は自転車を専用の袋に詰めて運ぶ輪行に頼ろうと最初から決めていたのです。
そして、岡山市内にその専用の袋、輪行バッグを扱ってそうな自転車屋さんがあることも、調査済み。
途中で輪行バッグを見つけたら、買おうと思いつつ、
最後のダッシュにて、岡山市で手に入れたらいいやと先を急ぐのを優先してしまいました。
この行き当たりばったりのプランニングには今後も何度となく苦労するのですが、方向音痴と同じくらいの持病でして、治りようは無さそうです。
ともかくも、自転車屋さんを見つけ、
後輪を外すのを自転車屋さんに手伝ってもらいながら、
なんとか自転車を輪行バッグに詰め、
岡山からの電車でのとんぼ返りで初めての自転車旅は幕を閉じます。
宿を探すのが面倒だったのもありましたが、
帰って自宅でゆっくりしたかったのと
帰ってみんなに成果を伝えたかったのと
いろんな思いと共に電車に揺られました。
新幹線でびゅっと帰る気にはならず、在来線。
普段ならゆっくり感じる在来線。
途中走ってきた道を窓外に見やりながらいつの間にか、乗換駅までは夢の中。
自転車を漕いでの往路に対して、復路は舟を漕いでいたとは洒落すぎでしょうか。
自転車で走ったのと比べたら、乗っているだけで目的地にたどり着けることの素晴らしさも感じれた復路でした。
帰り途中、すでに次の旅に気持ちは飛びつつ。