東大OBプログラマーが過去にヤクザに連れ去られそうになったことへの労いのお話。
予め承知していただきたいことがございます。こちらのストーリーのモデルは、私自身ではなく、私の知人が体験したことを、脚色を加えて再現しようとしたものです。
~序章~
昔々あるところに、花男という男の子がいました。
花男が生まれた時代はどのような時代かと申しますと、それこそ、テレビひとつとっても、私たちの今の生活からはかけ離れた、いかにも愚直で素直で正直な姿をしたテレビです。画面は、ガラスなのか知りませんが、光ればいいほうで、ギザギザの波が毎日のように勝手にこんにちはをしてくる、とんでもない仕様です。丸くて、おもちゃのようにいじることのできるスイッチが、赤ちゃん時代の物心をくすぐり、ただケラケラと笑っていられる、ある意味幸せな時代でした。
おとうさまは、油綱でプラント施工のプロジェクトマネジメントに関わり、おかあさまは、ひたすらおとうさまの体を気にかけ、黙って家の中で体を動かしてばかりの人なのでした。姉がいたようなのですが、花男が物心が着く頃には、癲癇(てんかん)を発症したことが原因で死亡し、実質的に花男の一人っ子となってしまいました。
なぜ癲癇が発症したのかと申しますと、当時おとうさまは、砂のベッドと黒いプールでいっぱいの、神秘的で非常に眩しく、体が焼け焦げそうなくらいのところに出張してヒゲを生やしていたのですが、ただでさえ苦しいところにいるためにおとうさまの体の身を案じていたところ、出張先からもしかしたら帰って来られなくなる、という恐ろしいニュースを聞くこととなったからなのです。
「おとうさま、神様になってしまうの?私を置いていくの?ならば、私が代わりに神様になるから、おとうさま、無事に帰ってきてくださいね。おとうさま。おとうさま。おとうさま。」
仏壇に飾られている遺書から、宗派を超える並々ならないエネルギーが感じられます。空に戦車が舞うか舞わないかという瀬戸際で、おとうさまをイエスキリストと重ね合わせてしまったのでしょう。というのも、空に戦車が舞う前に、目には目を、歯には歯を、よりもえげつないやり方で、現地のお偉いさんに飾りのお人形のようにされていたからです。当時の花男の国は、その恐ろしいやり方に顔面蒼白し、手も足も出ず、おろおろと誰かの指示を待ちわびているばかりで、幹部たちは、自分がいかに輝き、美しく着飾ることができるか、ということに最大の喜びを感じていたようなのです。
当時のヤクザも、自分の利益のことばかり考え、外国語も話せないため、救出することはまずありえなかったのですが、一人の類人猿風の先生が立ち上がりました。
おとうさまはその男のファンであり、あまり時間は取れませんでしたが、その巨漢の晴れ舞台を見ることが出来た暁には、一日中彼の話題しかせず、家で毎日晴れ舞台を経験しているおかあさまを困らせてばかりいたものでした。その男は、過去、異業種のプロの選手を泥試合に引きずり込み、観客のブーイングを誘いながらも、その選手の選手生命を縮めたこともあるくらい、パワーに溢れていました。特徴的な顎をし、そのせいで、リングの上にいた選手を次々と苦しめていったものです。とはいえ、そんな先生でも、ヤクザにホテルの一室に監禁されることもあります。
強さというのはなんなのか、本当に分かりませんね。手だけ出していればいいのか、足を使えばいいのか、関節技を使えばいいのか、胆力を鍛えたほうがいいのか、バットや刃物などの武器を使ったほうがいいのか、はじきを使ったほうがいいのか、お金に任せるのか、手榴弾を使うのか、薬物を使うのか。強くなるための修行はキリがありません。
そのようなことを考えさせられるような外見をした先生は、自分の仕事を通じて世の中を変えたいと思っていたらしく、先生とリングという、二足のわらじを履いていたのですね当時は。先生にも先生のグループがあり、当時、国の幹部と寝食を共にする仲であった最大のグループ