さて、再びオーストラリアへの地へと舞い戻った経緯は前回でお話したが、永住計画も早々に我々は早くも第一の関門へと突き当たってしまった。
それはなにかといえば、そもそもオーストラリアの永住権取得にはいくつかの選択肢というか、それこそ膨大な数の申請可能なビザの種類があるのであるが、我が家が視野に入れていたのは中でも「技術独立永住ビザ(Skilled Independent Migration Visa)」と呼ばれるカテゴリーで、要はオーストラリア政府が必要としている(つまり国内で不足している)専門職業リストに乗っている職業保持者で(そのほか英語力や年齢などポイント制からなる)申請条件を満たしている者、あるいはその職種に該当する専門教育をオーストラリアの教育機関において修了し、同じく他の申請条件も満たしている者、という条件で永住権の申請が可能なビザであり、永住権取得を目指してオーストラリア国内の教育機関で勉強している多くの留学生、あるいは永住権取得を目指している多くの人にとっては非常にポピュラーというか、よく知られたビザカテゴリーなのである。
・・・と、なんだかやや専門的というか興味のない人にとっては「へ~・・・・・(だから何?)」
としか返答のしようのない話題になってしまい申し訳ないが、幸いなことに夫婦二人そろって清く正しく善良な市民である我が家は、
“オーストラリアに入国さえ拒否される極悪人ブラックリスト”には載っていないものの、“オーストラリア政府が必要とする職種リスト”に該当する専門技能も持ち合わせていなかったため、永住権申請の際に年齢ポイントで有利となるであろう、そしてまぁ勉強するにしてもまだ脳味噌の吸収率が高いであろう若妻(つまり私)がシドニーで大学かTAFEと呼ばれる専門学校に通い、永住権申請条件である“オーストラリア政府が必要とする専門職種(技能)”をとってしまおう!!
という計画で、さっそく現地の専門学校あるいは大学などの教育機関に入学する際に必要となる、英語力証明テスト(International Language English Test System=略してIELTSと呼ばれるテストで、オーストラリアでは永住権などのビザ申請の際にも必ず必要となる通称“第二の関門”)に備えて、イタリアからインターネットでシドニーの語学学校の入学手続きをする夫。
・・・・・そんな時、遅すぎるタイミングで妻は何かに気づき、おそるおそる夫に尋ねたのである。
私「あ、あのさぁ・・・・・たとえ海外でも、大学(あるいは専門学校)に行くのって、高校の卒業資格とかいるよね・・・・?」
夫「・・・・・あ、当たり前だろーーーー!!!!!?」
・・・・・・ガチョーーーーン!!!!
・・・まさか、そのまさかである。
いくらやや(いや、かなり?)世間ズレした家庭に育ち、自ら“一般常識に欠けた人間”を大いに自称する私でも、気づくの遅すぎである。
・・・・・・アタシ、高校卒業してない(つまり中退)やん!!!(汗)
思わず、顔面蒼白になる妻。
ムンクの叫びのような顔になる夫(・・・無駄に顔の彫りが深いだけに、コワい)。
そう、よくよく考えてみればこの方、本来は将来の進路にとって大切であろう高校卒業の時期に、家庭の諸事情+精神衛生上の問題で(誤解を恐れずに言えば、現在こんなにのほほんと普通に生活してるのがある意味“奇跡”と呼べるほど、当時は“そのまま精神病院、あるいは墓場コース”まっしぐらなブっ壊れぶりだった”、とは身近な証人の言)、やむなくというかあえなく当時在籍していた高校をドロップアウトしていたので、それについてはいつもどこかである意味コンプレックスというか、自分の中で未解決な問題として“封印”していた気があり、今の今まで頭に浮かぶことすらなかったんである。
てゆーかぶっちゃけ、私は2歳上の姉とともに当時はまだ今ほど一般的ではなかった”不登校”とか”ホームスクーリング”の走りな子供だったので、実質”学校”というモノ自体、小学校3年生までしかまともに通ったことがなかったりするのだ(笑)
・・・まぁこのへんの話も、詳しく書き出すとかなり長くなりそうなので機会があればまた今度。つくづく、どんな人の人生にも独自のストーリーがあるものだなぁ思うが、私の場合は生きてる本人も思わずツッコミどころ満載の、支離滅裂さはまぁご勘弁して頂きたい。
そんなわけで、である。
もはや、永住権の夢やここまで・・・・・・
と絶望的な気分に陥ったその時、ついでに早くも一本の白髪の存在にまで気づいてしまった妻の頭にひとつの光明が差し伸べられたのである。
それは、当時在籍していた高校が、従来の通学型と違い“通信制”の在宅型学習だったこと(つまり学習教科も単位制で、出席日数などと関係なく必要な単位をすべて履修した時点で卒業になる)、また中退といっても退学届けは出しておらず、正確には当時の事情もあってやむなく“休学(という名の放置プレイ)”という形で今日まで至っていたこと・・・・。
つまり逆に言えば、たとえすでに数年が経過しているとはいえ、そこはなんとか学校側に頼み込んで今から“復学”させてもらい、残っている単位を取得して卒業させてもらう、という苦肉の策を思いつき、大至急日本の学校側および面識のあった学長本人に連絡をとり、正直に事情を説明し、なんとか頼み込んでいくつかの条件のもと(つまり卒業まで残っていた全単位の取得、学習レポート他卒業に必要なすべての記録および書類の提出、学費の支払いなど)“特例”として復学を認めてもらい、日本国内と海外からのやりとりになるため必要な連絡などはすべてeメールや郵送などで行うことになったのだが、正直この時ほどインターネットの普及と通信制高校を選んでいたことを感謝したことはない。
正直、もしこの時学校側から「そんなの無理」と冷たくひと蹴りされていたならば、日本で大学経営に携わっていてそのあたりの事情に詳しい父に悪知恵を乞うて、本気で卒業証書の偽造まで考えるほど鬼気迫っていた私・・・(奥さん、それって立派な犯罪でっせ)。
果たしてここから、小学校低学年から不登校でもって高校中退という華々しいキャリアを持ち、かつ結婚・出産を経験してからは勉強などとは程遠い生活を送っていた私のまさかの猛勉強・受験生生活がスタートしたのである。