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食中毒で三度死にかけた話。

Image by Olia Gozha



はたしてこれを今読んでおられる方の中には、どれだけ一度はこのスリルと苦痛を味わった方がおられるだろうか?・・・人の一生とは、長いようでいて意外と短いもんである。


ゆえ何事も一度は経験しておきたいところだが、こればかりはご遠慮願いたいというか、できることならば一生死ぬまで関わらないほうが、はるかに幸運なシロモノではないか。


食中毒”・・・普段私たちに日々生きる活力と恵みを与え、また同時に五感からの刺激によって喜びをももたらす「食べ物」という良き友が、突如、反乱を起こして我々に襲い掛かってくる、なんとも恐ろしい体内版「本能寺の変」






むろん、私もこのクーデターの被害者というか、経験者である。しかも一度といわず、三度も・・・・しかも三度目を起こしたのはつい最近の話である。いや~・・ありゃぁ思わず死ぬかと思った。つくづく己の学習能力の低さ(というか、経験から学ぶという能力の欠如)を呪いたくなる瞬間ではないか。


しかし中には「そんなモン、今までなったこともねぇよ」というラっキーな方も世の中にはいらっしゃられるだろうと思い、今回はそんな私の「実録・食中毒の悪夢」体験を、皆様にお届けしたいと思う。


(え?別に興味ない?いやいや今回は珍しくPG(Parental Guidance=保護者指導)満載な内容なので、お下品ネタに免疫のない方あるいはお食事中の方はご遠慮あそばりませ☆)




さて、月日をさかのぼること10年以上も前のこと・・・・そう、あれはまだ私が花も恥らう16歳の頃に起きた惨事であった。当時、私は高校入学と同時にド田舎の実家を離れ、仙台市内のマンションにて2歳上の姉と2人で同居生活を始めたばかり。


さっそくアルバイトも始め、念願の彼氏もでき、勉強に趣味のバンド活動にと忙しくも充実した青春の青臭い日々を過ごしていた、ある日。

たしかその日はたまたま実家から妹と母親が遊びに来ており、ともに4人で夕食をとってしばらくした頃だったと記憶している。


妹と母はその後近くに住む叔母の家へと出かけ、残った姉と2人でそれぞれテレビを見たり、パソコンをしたりして過ごしていると、突然下腹部に感じる強い違和感。と同時に、猛烈な腹痛と吐き気に襲われ思わずトイレに駆け込む私。



日本語には、飲みすぎた翌日にはお約束の“絵”というか、“便器に顔をうずめて吐く”という非常に汚いかつリアルな表現?があるが、食中毒の場合さらに始末が悪いのは上と下(つまり口とおしり)同時進行で攻めてくるため、便器がふたつないと非常に不衛生なポジションおよび事態を余儀なくされるというところ。


案の定、その時の私も迫りくる腹痛と吐き気に、ひとり家のトイレに篭城して孤独な闘いを繰り広げているそのさなか・・・・・ドンドンドン!「ちょっとっ、いつまで入ってんの!??早く開けてよマジでもれちゃうってば!!!(怒)」



・・・なんと、私だけでなく姉までも、額には脂汗を浮かべ、苦痛に顔をゆがませてすばやく私から便器を奪うやいなや、同じようにゲーゲー、ブーブーとやっているではないか。



その時、浮かんだ一抹の嫌な予感・・・。「まさか、これって食中毒????」なぜならその時の私には、唯一“思い当たるふし”があったのである。



それは・・・・・・なんと、夕食の後に食べた“カスピ海ヨーグルト”。もちろん、この思わず舌をかみそうな名前のヨーグルト自体はまったくもって体に有害なモンなどではなく、むしろ普通のヨーグルトよりも数倍多く善玉菌が含まれているということで、自他共に認める“超・健康おたく”である我が家の母によって、実家にいた頃から「一日に一度はカスピ海ヨーグルトを食すること」が、我が家の家訓のひとつだったのである。




しかして問題は、このカスピ海ヨーグルトという代物、市販のヨーグルトと違い、いちいちパック1つぶんの牛乳とヨーグルト菌を専用の容器に入れて混ぜ、それを“ヨーグルト製造機”なる容器に入れて一定時間放置し、手作りしなければならない、という点(*現在では画像のようにパック入りの物も市販されているようですが、なにせ何事も流行り先取りの我が母のこと、当時はせっせと自分で手作りしなけりゃ食べられないほどありがたい?シロモノだったのだ)。


そしてさらに不幸だった点は、そんなデリケートなヨーグルト製造(つまり菌の培養)作業を、生来のがさつな性格ゆえにベッドに染みを残したまま青カビを生やしたり、洋服だんすから時々ほのかなキノコの香りがしたり、部屋に置いておくだけでOKなはずのサボテンを3日で枯らしたり・・・といった数々の“汚女子伝説”を持つこの私が、たまたま行ってしまったという事実。


そーいえばいつも母や姉が、このカスピ海ヨーグルトを作る時は容器をよく乾かしてから使えとか、事前によく手を洗えとか、24時間以上放置せずに出来上がったらすぐ冷蔵庫に入れろとか、色々言っていたものの、案の定その日の私は手洗いをした記憶すら不確かである。



「ま、まずい・・・・」自分は一体、カスピ菌(ていうのか?)と一緒に何の菌の培養に成功してしまったんだろう!????


そしてこの“御免、99パーセントの確立で犯人は私~!”という事実を、隣ですでにゾンビのような形相になって、いまだに便器にはりついている哀れな被害者(姉)に正直に話すべきなのか!????


・・・まさに心は、故意にではないとしてその容疑がバレる寸前の重大犯罪人である。


その後、結局姉にはずぼらな妹による過失である事実がバレてしまいさんざん責められる桔果になったのだが(もちろんそれ以降、私によるカスピ海ヨーグルト製造の作業は「全面禁止令」が出たのは言うまでもない)、不幸中の幸いだったのは被害者が姉と私の2人だけで、その時一緒に食事をとった(しかも普段なら必ず食後にカスピ海ヨーグルトを食べる)母と妹が、あわやで被害を免れたという点である。でなければその後当分、姉だけでなく家族全員(父を除いては)から白い目で見られる肩身の狭い生活を余儀なくされるところであったとさ。









つづいて二度目の体験は、「本能寺の変」あらため「カスピ海の変」から2年も経過していない、ある夏の暑い日。当時、父が仕事の関係で訪れることも多く、色々とお世話になっていた「大島」という宮城県にある小さな島のとある旅館からご招待を頂き、せっかくだからと家族でそのご好意に甘え1泊2日の温泉旅行に出かけたときのこと。


夜になると宿のご主人からのスペシャルサービスで、島の名物である海の幸が所狭しと並び、なんとメインディっシュには巨大な本マグロの頭をまるまる使った“マグロの兜焼き”に、豪勢にも採れたての新鮮なアワビをそのまま目の前の網に乗せ、炭火で焼いた“アワビの踊り焼き”(ただしこれは生きたまま火のあたる網の上に乗せられて、文字通りあるいは“魔女裁判にかけられた魔女”のごとく断末魔の叫び?で身をよじらせて踊りまくるアワビの迫力にびびって、ほとんど食べれず・・)などなど、気分はまるで竜宮城を訪れた浦島太郎。家族全員、宴もたけなわになるとそれぞれはち切れんばかりに膨らんだ腹を抱えて、きれいに敷かれた部屋のふとんで夢の中へ・・・・・。






ところが、そうは問屋がおろさないのが食中毒の恐ろしさ。海の近くに面した旅館の部屋の外から聞こえるさざ波のごとく、その波はゆっくりと、しかし徐々に大きくなって能天気に爆睡していた私の腹を直撃した頃には、その勢いはもはら大津波


幸いその夜は旅館の浴衣を着て布団に入ったため、下着の着脱に手間取らずに済みあわやの惨事はまぬがれたものの、旅館のトイレは部屋から離れた場所にあったうえに和式でわりかし古い造りで、ビビりな小学生ならずとも夜中に一人で訪れるにはなかなか怖い雰囲気だったので一刻も早く用を終えて部屋に戻りたいのだけど、そんな本人の意思とはうらはらに上はシンガポールのマーライオン、下はナイアガラの滝以上の勢いでゲーゲー、ブーブー状態にまたも突入していたので、どうにもならず・・・。







そんな中、ついに黒髪に浴衣姿のオバケが・・・!と思ったら、なんとまたしても姉まで私と同じ状態に陥ってしまったらしく、隣の個室で同じくマーライオン&ナイアガラに苦しんでいる様子・・・。



結局、その夜はまんじりともせず一晩の間に2人で一体、部屋とトイレを何往復したんであろうか。しまいにはいちいち便所のサンダル(ピンクのゴム製)に履き替えるのも面倒くさく、素足でトイレに行っていた私。昨夜食べたご馳走はおろか、体中の水分という水分までくまなく排出されて、ようやく朝を迎えた頃にはもはやゾンビというより即身仏のような様相だったに違いない。




それなのに、母や父や妹などの残りのメンバーはというと、私と姉の2人とまったく同じ内容の食事を摂ったというのに、食中毒どころか昨晩もぐっすり眠って皆ピンピンしとるじゃないか。よっぽどこの2人の胃腸および体の機能が弱いのか?あるいはうっかり誰かに恨みをかって“ピーピーキャンディー”をひそかに仕込まれたか?(←これはおそらく、ドラゴンボール愛読者の方しかわかるまい。おのれブルマめ)



結局その原因は解明せず、おそらく一度に魚介類ばかり食べ過ぎたのがよくなかったか、あるいはマグロの頭に海からの汚染物質でも含まれていたのかも、なんて結論に至ったのであるが、私の中では今でもこの時の記憶は“アワビの呪い”として強く焼きついてしまい、それ以降アワビを目にするたびに、あの時の潮の香りと便所の床の冷たさを思い出すのである。






そして最後は、わりかし最近の話なんであるが、この時の最悪な点は前途の2つが完全な“事故”(つまり知らねえで食っちゃったが後が祭り)なのに対して、“確信犯”(というか、うすうすその可能性を疑いながらも結果として食ってしまった)という部分である。


過去に二度もこんなに痛い目に遭っておきながら、バカじゃん?と言われてはグゥの音も出ないのだが、まぁまぁそう言う前にひとつ、そうなったいきさつを聞いていただけないだろうか。




ちなみにその時は、夫と娘と私の家族ぐるみで付き合いのある友人宅に、夕飯に招待されて出かけたのが事の始まり。


その友人宅は我が家から通りをはさんだすぐ近所にあり、娘同士も同い年でとても仲がいいので今ではしょっちゅうお互いの家を行き来する仲なのだが、その時はまだ知り合って日も浅く、それでも楽しく夫婦同士で子供やら仕事やらお互いの国(日本とイタリアとブラジル)の話やらで盛り上がり、美味しい食事と会話を楽しんでいたところ、そういえばこの間開いたクリスマスパーティーのご馳走の残りがまだたくさん残ってるのよ、でも捨てるのも勿体ないし・・てな話になり(その数日前に、同じ友人宅で何人も人が集まりクリスマスを祝う持ち寄りパーティーがあって、我が家も手作りの巻き寿司だのラザニアだのティラミスだのを大量に持参して参加していたのだ)、だったらもったいないからデザートだけでも今食べちゃおうよ、てなわけで先日夫が作って持参したイタリアンデザートの“ティラミス(Tiramisu)”をいただく事に。






実は私もティラミスは昔からの大好物なのだが、先日のパーティーでは自分だけがっつくのも恥ずかしく、ちょびっとしか食べられずに終わってしまったので内心「お~!愛しのティラミスちゃ~ん(また会えたね~)!」とばかりに、今度は遠慮もせず大盛り取り分けてもらったのだが、その一口を口に運んでみて気づいた妙な違和感・・。



「・・ティラミスって、こんなにネバっとしてたっけ?」



・・・そう思い、改めて見てみると明らかに細い糸のようなものまで引いている!!!気のせいかほのかな酸味まで感じ取れるではないか。



もちろん、中には変り種で糸引き納豆&なれ寿司フレーバーのティラミスなんてのも存在するのかもしれないが、私の場合数日前に夫がマスカルポーネと砂糖を混ぜ合わせるところから見ているので、まさかそんなハズはない(しかもうちの夫は大の納豆嫌いである)。思わずごくんと唾を飲み、隣にいる夫の顔をのぞく私・・・・・・て、普通に食ってるやーーーーーん!!!!!(気づけよ!




うそやーんと向かいの友人夫婦を見ても、「私、ティラミスって作り方知らないから、今度教えてね」なんて言いながら、2人とも美味しそうに(納豆フレーバーのティラミスを)頬張っているではないか!!!!!!!




・・・・・・・・・・言うべきか??言わざるべきか??

まさにふたつの選択が私の中で交差する。


こんな時、自らの意見や本能よりも、どうしてもその場の空気や相手の立場などを先に考えてしまう日本人の性質というのは、不便なものである。その時の私もそうであった。




・・・・・・い、言えない。こんなに旨そうに自分の作ったティラミスを食べる夫と、まさかそのティラミスが半分腐ってるとも知らずに客人に出してしまった友人に、平然と


それ、半分腐ってますけどーー!!!!


などと、その場の雰囲気を一気にぶち壊すよーなこと、私、私、言えませーーーん!!!(すんませんビビりで・・)。




しかし一方でそれを言わないということは、かつて私が二度も味わったであろう食中毒地獄の危険に、知っていながらみすみす彼らをさらす行為にもなりかけないわけで・・・・・(ブツブツ)



そんな良心の呵責と正義感の狭間で苦悩すること数分、気がつけばテーブルの上のティラミスはきれいさっぱり無くなっていた。そして私の皿の上のティラミスも・・・・(もう、ここまでくるとヤケクソ)。



大腸菌だろうがサルモネラ菌だろうが、もう来るなら来やがれ!!トイレットペーパーも洗面器の用意もバッチリじゃい!二度あることは三度ある、あるいは三度目の正直って言うじゃねえか、今度こそ負けずに打ち勝ってやるぜ!


そしてその晩、案の定トイレに一泊することとなったのは夫でもなく友人夫婦でもなく、私一人だったのでした・・・。ちゃんちゃん☆






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