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大学中退を決めた日の思い出 [番外編] 取材していただいた話

Image by Olia Gozha

大学中退を決めた日の思い出という、自分のstoryを書いているのですが、第三話を書こうというところで手が止まってしまいました。「詳しく聞きたい」を押して頂いた方には大変申し訳なく思います。二話目を書いてから、もう1年が経つかもしれません。

およそ20年前、当時は当時なりの考えがあって、大学中退を選択しました。一般的にはオトナというか、オジサンといった年齢になって、振り返りをシェアするつもりで書き出しました。

当時の自分と同じように、日本の学校教育の中に居ながら悩んでいたり、キャンパスライフに違和感を持っている方が居たとしたら、一つの事例として参考になったらいいなという想いでした。

近況と起業と入籍と、マラソンと

休筆していたこの一年は法人を設立したり、入籍をしたりなど多忙な一年でした。また折を見て、本編を書きたいと思います。

本編を書きながら、大学を卒業するということはなんだったのかを考えるようになりました。色々な捉え方があるだろうと思います。自分にとっては、社会人生活をマラソンに例えたとしたら、スタートのポジション取りだったかもしれません。

例えば、マラソン大会などで、外国の招待選手や、実績のある選手は、スタート位置が前方です。もちろん、前方に居た方がレースには有利です。

大学を中退した私は、社会人生活というレースにおいて、中盤からやや後方からスタートしたようなものかもしれません。ハンディキャップを持って、スタートしたということです。

社会人生活の折り返しに立って

大学を中退した後、しばらくはフリーター生活をしていたのですが、あることをきっかけに就職をしました。初めての就職はかなり適当なもので、夜中にいきなり数十万円の借金をこさえてしまったので、翌朝にコンビニでフロムエーを買って、面接に行きました。

20代は働きながらもうろうろして、30代になって経済的な危機感を感じてキャリアを意識して働くようになりました。

40歳を目前にして、ようやく人並みの給与水準になってきました。いろいろ苦しかったというか、大変だったこともありますが、過ぎてしまえば全て良い思い出で、それもいつか自分史としてこのstorys.jpで書きたいなと思っています。

レースで例えると、後方からスタートして、20代は全く走る気がなくて、30代になって慌てて走り出したといった具合です。ただ、懸命に走り出して、人並みになったかなぁと思った頃に、飽和感を感じるようになりました。

なんとか飯は食えるようになった。Web関連の技術者で、それなりに技術と経験を積んだので、仕事に困るということはなくなりました。けれど、何か物足りない。

物足りなさを埋める為に、右往左往を始めて、いつの間にかやりたいことが見つかりました。そこからまた色々な経緯があって起業するのですが、起業したら起業したで課題が山ほど出て来ました。

やりたいことが見つかった後に一番の課題となったのは仲間探しでした。一人では出来る事には限界がありますし、不得意なことも多々有ります。仲間探しはstorys,jpでstoryを書き始めたきっかけでもあります。

外に対して発信しなければという想いでした。一緒に仕事をしていた方なら、自分の仕事ぶりを知っているし、それなりに評価してもくれる。けれど、一歩職場を離れてしまえば「あんだ誰?」ってなものです。

自己発信と他己発信

ソーシャルメディアを活用したり、blogを利用して自己発信する方も多いと思います。仲間を探すために、「あんた誰?」という状況を脱することが必要で、自分の実績を発信していくということが重要に思えました。

とはいえ、キャリアを積む為に転々と就業場所を変えて来た自分は、具体的な実績を公にしていくことがなかなか出来ません。秘密保持契約がありますので、「あのシステムを設計したのは自分だ」とか、「あのシステムのインフラを構築したのは自分だ」といったことを発信できません。

有名企業に所属していたことがあるなら、それを実績としてアピールできるかもしれませんが、そうでもありません。そもそも、自己発信にはどこか胡散臭さみたいなものが拭えない気もします。

そんなことを考えながら悶々としている中で、取材していただいたのが、「[GEEK図鑑]遅咲きのフルスタックエンジニア」という記事です。

世の中には自分以上のエンジニアなど山ほど居ますし、ギークにしろ、フルスタックエンジニアにしろ、言い過ぎだよなとか、フルスタックという形容を付ける事で自分の首を絞めることになるのではないかなど、様々ありますが、結論、他己発信できたことは今のところ営業的にはプラスになっています。

新たな出会いにも良い効果が出ている気もします。

ボツになったテーマ



読み物としての面白みを考えて、3つほどテーマを挙げさせてもらっていました。

A. アーバンライフエンジニア(笑)

B. デザイナー夫婦

C. 遅咲きのエンジニア

この中で自分で一番発信したかったのは、Bのデザイナー夫婦でした。

私は機能設計が一番好きで、自分ではシステムエンジニアではなく、システムデザイナーだと勝手に思っています。妻は衣裳や服飾のデザイナーで、お互いモノ作りに対する姿勢で共感したり議論したりする事が多くて、二人を結びつけた要因の一つです。自分が欲しいと思うWebシステムの仲間を探すという目的では、自身の設計力というものを訴求していきたかのです。でもボツになりました。

Aは、与○翼

余裕のある暮らしをしている訳でもないのですが、起業するにあたって、セルフブランディングの意味を込めて、多少の無理をしてでも、


このstoryのまとめ

まとめなんてありません。だらだら書いただけで、大した内容でもありません。本編をまた書くぞという自分に向けた宣言と、どういう人物が、大学中退という事象を語っているのか知ってもらおうという程度のものです。

興味が湧いたという方が居たら、「[GEEK図鑑]遅咲きのフルスタックエンジニア」を読んでいただけたら嬉しく思います。前述にあるとおり、同じゴールを目指して走れる仲間を探しておりますので。

というか、まとめって読者の思考する時間を奪ってしまう気がします。「自らの頭を使って思考する」ことを常に心掛け、自分で答えを出さなければ、社会人としてどうかと思いますし。

大学を中退したいなと思っているような方が、まとめを読んで満足してしまうような性分なら、「中退なんかしないほうがいいですよ」というのが率直なメッセージです。

ハンディキャップを背負って社会人生活というレースに出場しながら、自分で考える事をせず、誰もが入手できる人並みな情報だけでとは・・・ね。

自分のレースはどこにあるのか

けれど、また別の想像をしてみてください。あなたがこれから、走るレース、そのゴールはどこにあるのでしょうか?


フルマラソンを走りきって、そのゴールを過ぎた時、その場所はあなたが本当に求めた


私はその思い違いのゴールに向けて走り出すのが嫌で、大学を中退したのだと思います。


続きは、本編で。



大学中退を決めたことも、20代にうろうろしていたことも、自分がなんのレースに出場したいのか?を考える時期だったように思います。



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