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- 高卒サービス業出身の人間がWEB系プログラマで独立するまで【社会人放浪編(1)】 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/10/2 高卒サービス業出身の人間がWEB系プログラマで独立するまで【社会人放浪編(1)】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 朝の5時、いつも見慣れた景色がまったく違った物に見えた 朝の5時、駅前に自分の乗ったバスが着いた。 そこから見た景色は今でも覚えているが、どこか幻想的でなぜか希望に満ちているような気がして、不安と希望とが混ざり合っているそんな混沌とした場所に写った。 なんて少し小説っぽく書いてみたが、本当に当時の自分は冒険に出たRPGの主人公のような気分に浸っていた。 すぐにそんなの幻想だと気が付くのだが。。。。 とにかく住むところ探さないと・・・ すぐにお世話になる予定だった友人に連絡を入れ、そこへ移動した。 その友人は、高校時代のバイト先で知り合った人間で同級生だったのだが、その当時でも頑張って同じバイトを続けていた。 こっちは、家なし・文無し。。。 友人宅は、実家だったのだがバイトしていた時代から何度か遊びに行っていたから比較的すんなりとお世話になった。まぁ、世話になっても数日程度、すぐに仕事探して巣立つつもりだったので、その辺も大きいと思う。 んで、結局1ヶ月以上世話になった・・・・・・。 と言うのも、とにかく住み込みで雇ってくれそうなところを探したのだが、これが本当に見つからなかった。そりゃ、家も無い・金も無いでとにかく仕事+生活基盤をGETすることが当面の目標だったのでとにかく【ハローワーク】に通い続けたが、まったく駄目。 数度通うと、あんまりちょくちょく行っても仕事情報なんて代わり映えしないと気付き特にやる事もなく、友人宅でゴロゴロ。ゲームしちゃ飯食って、友人家族の話相手して。 本当にどうすればいいのかまったく分からなかった。 そりゃそうだ。特に特筆すべき資格や経歴があるわけでもないのに家なし。 自分が雇う側でもそんな怪しい奴リスク背負って雇わないよ。。。。 ちなみに地方の住み込みと言う選択肢もあったのだが、地元から地方に移って働くのなら なんでわざわざ帰ってきたんだ?と言う事になると勝手に思っていたのでとにかく地元で就職先を探した。 とにかく腐ったが、腐りきらずようやく条件にあう職場が見つかった。 ここか!新天地は!! やっと見つかった職場!しかも寮つき!って事で、さっそく友人の家族 + 友人にお世話になった挨拶をして意気揚々と新しい職場へ! 頑張って働いて、金貯めて!自分の家を借りるんだ!と意欲満々で挑んだのだが。。。。。 そこは所謂土建屋の派遣会社で、派遣登録している自分みたいな人達が3DKの部屋に自分を含めて5人共同生活を営んでいる 当時の自分には何とも不思議な空間だった。 俗に言う「タコ部屋」って奴になるのかな? とにかく挨拶をして、会社の人からメンバーを紹介され現場が決まり次第仕事に入るとの談。 本来なら現場に出ているであろう日中に案内され、寮長以外みんな部屋にいる事 にさして疑問も感じず 「まぁ、数日はしょうがないかな?」なんて思っていました。 面子は、比較的歳の近い温和なA氏と人当たりのいいBさん。 偏屈なオーラを出しているCさん。あとは、寮長と言う構成。 自分は、Aさんと相部屋だったのだがほぼBさんも同じ部屋にいた。どうもCさんと馬が合わないらしい。 自分 「これから宜しくお願いします!」 Aさん 「宜しく。同じ部屋だから仲良くしようね!メガドライブあるよ!!」 Bさん 「僕は部屋は隣だけど、ほぼ毎日こっちの部屋に入り浸ってるから宜しく。」 Cさんとは、挨拶したがあまりまともな挨拶が返ってきた記憶がない。 んで、部屋でメガドライブしながら 「どれぐらい前からここにいるのか?」 「Bさんはちょっと前まで現場に出ていたが、最近終了して、今待機中」 「Aさんは、まだ現場を紹介してもらってない事」 「今現在、仕事に行っているのはこの部屋では寮長のみ」 「もしもお金を持っていたらCさんに気付かれないように。絶対に貸さないように」 とか色々聞いた。 そのうち寮長が現場から帰ってきて、寮の決まりを色々聞いたり、インスタントラーメン奢ってもらったり、色々聞いて初日終了。 その後、一週間程度メガドライブをする日々が続く。。 「何かおかしいぞ??」 と思いつつあまりにも現場の話がないので、会社の担当者へ連絡。 っていうか、徒歩30分ぐらい離れた本社?会社?へ直談判へ。 いわ 自分 「既に入社して一週間程度経過しますが、まだ仕事はないのでしょうか?自分よりもさっきに入社しているメンバーも現場がないようですが、その方たち含めて一斉に入れるような現場が早々出てくると思えないのですが。。」 会社 「まだ、紹介できる現場がないんですよ。。基本的に経験者を希望する現場が多いので少しハードルは高いですが、そういう現場もない事はないので出てくればすぐに入って頂きますよ」 自分 「近しい時期にそのような現場のあてはあるのでしょうか?」 会社 「・・・・・・・」 言わずもがな、不穏な空気を感じ取った。 しまいには、「会社の営業しないか?(テレアポ)」 とかまで言われだして、 ぶっちゃけ焦った。(当時は、営業職というものはノルマに追われ過酷な物であると思っていたので、絶対にやりたくないと思っていた) ただ、現場が無い限り仕事も始める事が出来ないわけで その場で、現場が無い限り支障のない範囲でバイトをする事の許可をもらい退散した。 なにより家がある事が最重要課題だったので、ぶっちゃけ家さえあれば何とかなると思っていたが、決定的にこの状況に無理がある事態が判明する。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 金融バブルの星屑 その1 バブルの足音 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/4/29 金融バブルの星屑 その1 バブルの足音 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 1987年10月19日、アメリカで起こったブラックマンデー。皮肉な事に海を渡った日本では株価の下落はあったものの不動産・絵画にお金が流れ込むバブルが頭を持ち上げ始めていた。息を潜めて膨らみ始めたバブル。それは恰も宇宙の超新星の爆発の様に多くの物を吹き飛ばしてしまった。その吹き飛ばされた人々の話。 大学を卒業したのは1983年。 円高不況の渦中であり私大トップ校の看板学部にあってもゼミ生20名の内数名はさっさと就職を諦めて大学院進学を決めていた。 親のコネがあったり、とてつもなく優秀な連中は上位都市銀行への就職を結構決めていたが、採用枠が絞られているためにそうでないものは幾つか都市銀行中位・下位等の中堅企業より内定を貰ってはいたが希望に合わないと挑戦を続けていた。 自身もゼミのOBから財閥系の損保、生保への誘いを受けていたが、どちらも転勤が多くの代理店や生保のおばちゃんの相手をするのかと思うと乗り気になれなかった。 それでも今でも新宿にある三角ビルの高層階にある生保の説明会に出席したが、眼下を見ると車が豆粒位にしか見えない。 グループ討議の様な事を10名位でやって、その内何人かが一人づつ別室に呼ばれた。 「国際的な仕事をしたいと思って商社を中心に回っています。生保は正直入社した後でどんな仕事をするのかとイメージしづらく。外債の売買とかやっているんですよね?」 大学の先輩であろうリクルターの社員、「あっ!外債とか興味あるんだ? だったらうち入ったらディーリング部門に配属になるように話をしてあげるよ。」 「転勤が多いのが・・・」と、こぼしていたのも効いていたようだ。 調子に乗って、「このビル相当高いですけど。地震とか火事の時どうやって脱出するんですか?」 と、とても面接に来ているとは思えないような質問も発していた。 もっともあれから30年以上経ってもビルはピンピンとしているので余計な心配だったことになるが。 本命の大手商社は旧帝大、旧商大を中心にに全国の国公立大学、また私大でも広範に採用をする為、この年の採用枠が絞られていることもあって、早々と採用者が決まってしまっていた。 専門商社も回ったがやはりスケールが違う。メーカーの物流部門という性格が大きかった。 そんな中で「国際性」繋がりで東証一部上場の財閥系の海運会社に入社するとこにした。 社員数、陸上社員という営業や事務を行う社員と海上社員、平たく言うと船員、合わせて500名。 その内、八重洲のブリジストン美術館の向かいにあった本社にいる社員数は100名程度。小ぶりな会社だった。新入社員は男子7名(早稲田政経2、早稲田法1、慶応法・商各1、法政1、筑波院1)、女子13名。規模の割りに人数が多かったのは景気が悪く大手が採用を絞った為、良い人材が集まったからとのこと。男子中3名は何らかの「コネ」有り。 一部上場と言っても一般の人で名前を知っている人はまずいない。 人に話す時も、「XXXXXX と言う会社に勤めています。」言わなければならない。 聞かれもしないのに、「株主は XX金属、XX化学、XX商事、XX銀行」と、財閥系を強調する。 もっともそうして入った海運業であったが、その後のプラザ合意による円高の進行により戦後、政府主導で作られた6中核体体制(日本郵便、商船三井、川崎汽船、山下新日本汽船、ジャパンライン、昭和海運)がもち耐えきれなくなり、山下新日本汽船とジャパンラインは定期船部門と不定期船部門に分離、定期船分野が日本ライナーシステム、不定期船分野がナビックスラインへ統合。 結局、これも長続きせず日本ライナーシステムズは日本郵船と統合、ナビックスは商船三井と統合。 更に、昭和海運は日本郵船に合併されて郵船、商船三井、川崎汽船の大手3社体制となった。半分である。 この様な劇的な状況ではあったが一般の方からすると驚くであろう事は業界が小さい事もあって、合併された会社の従業員であっても能力がある者は重用されたこと。 「日本海運」一家という意識が強かった査証でもある。 勤めていた会社でもリストラは避けられず500名の社員を200名弱へ。 船一隻当たりの年間船員費が日本人だと5億円。フィリピン人だと5千万円。 10倍の開きでは日本人船員は優秀といくら言っても経済合理性で負ける。 かつて最強を誇った全日本海員組合の組合員数も3万人を超えていたのが、あっという間に1万人を切っていた。 この様に海運業を取り巻く環境は厳しかったが、陸では違う風が吹き始めていた。 「バブル」である。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 奇跡体験アンビリーバボー マジシャンの魅せる家族の命のマジック。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 奇跡体験アンビリーバボー マジシャンの魅せる家族の命のマジック。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 気に入らないからといって、誰かを仲間外れにする人間が、いる。 私も小学校時代に経験があるし、大人になっても職場は女性だけが多く、見えないところでの意地悪など溢れかえっている。 このストーリーは、まず、命の誕生が奇跡=マジック(魔法)であると、日常にあるマジックに、魔法に気づいて感謝して生きることの大切さを、まさかのマジックでメッセージとして伝えるのだ。 ワンオペやママ友の世界で、自分個人のストレスを弱者にぶつけてしまう人もいる。 それが虐待に繋がってしまうとニュースのような出来事にもなる。 そういう恐ろしい事件や、命が失われるような自殺など、どうやってもなくならないかもしれないが、ひとりひとりもしも、このマジシャンのように意識が変わっていったとしたら、いつか止まることもあるのかも、しれないのだと。そいういう奇跡だったので、番組を見ながら不覚にも泣いてしまいました。 マジシャンの妻は 7歳からマジシャンになろうとした夫の夢を支え続け、夫は、そんな妻の命と妻の夢の子どもを持ちたいという両方を叶えさせようとし、最後は妻が夫の夢を叶えさせようとする。 家族の愛に溢れていて、思いやりと愛情に溢れていて、その周りに集まる人間も類は友を呼ぶ。素敵なひとたちが集まってくる。 みんな、こうして奇跡として産まれてきた。なぜか、生きているうちに、みんな忘れていく。自分自身も奇跡なことに。目の前にある苦手な人も嫌いな人も気に入らない人も、奇跡として産まれてきた人間だということも、忘れていく。 自分自身の不機嫌は、自分自身の責任。自分の感情の責任をとれない人が八つ当たりや逆ギレして、弱者にぶつけ、ぶつけられた人が仲間外れにされたり、赤ちゃんや幼児だと死んでしまうこともある、世界。 そう。 きっと、メッセージが野心のない、純粋なものだからこそ これだけの感動を起こしたのだろう。 最後に 挿入歌の Calum Scott – You Are The Reason BGM も、良かった。 この曲を聞くたびに、命の大切さを思い出したい。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 天才とは一般的に常識の外にいる者である。浪人時代の鹿児島の天才、赤崎という男 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/7/1 天才とは一般的に常識の外にいる者である。浪人時代の鹿児島の天才、赤崎という男 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「二階から落ちたら怪我をする」、「裸でジョギングをすると捕まる」など。どれも事実である。これらの事実はいちいち確認などしなくても、私たちは理解をして生活をしている。二階から飛び降りたから、怪我をすることを学ぶのではない。私たちにはこれらを理解する知性があるのだ。赤ん坊でさえこの知性は多少なりとも身につけているだろう。でなければ、自由を得た好奇心旺盛な子供達はいっせいに「I can fly」のクスリをキメた窪塚チルドレンになってしまう。 赤崎という生き物がいる。鹿児島出身の鹿児島君に代ゼミで初めて友達になった鹿児島産の生き物だ。代ゼミの医学部コースに通っていた。いってしまえば、エリート予備軍だ。 しかし僕は赤崎(学名:ホモ.アカサキ.ピテクス)を見たときに笑わずにはいられなかった。ガンダムのようなカクカクと動くO脚の二本の歩行駆動部分、笑うセールスマンのように大きい口、「んなんなっだが」と不思議なぬめったい言語を発する声帯、言葉ではこの面白さを伝えられないところがなんとももどかしい。 どんだけ奇妙かというと、小学校の入学式でその面白い風貌から急遽、サクラクラスという自分のペースで勉強をすることができる必要以上に陽気なクラスにドラフト1位でスカウトされたのだ。(次の日に血相を変えた母親がなんとかそのスカウトを断ったらしい。そしてそんなかれは現在防衛医大生である。当時のスカウトマンがもっとがんばっていればなと今更ながらとても残念に思う) そんな赤崎という生き物はなんともまあどうしよもないやつで、鹿児島にいる親からの月の仕送りを入金されたその日に使い切っては後悔してをしっかり毎月繰り返したり、鹿児島君のパーマを見て、テンパのくせにパーマをあてたりしていた。ちなみにテンパ×パーマはしっかりと大惨事を生み、彼のあだ名は桃太郎電鉄の「ボンビー」になったりもした。そのくせ自信家で口癖が高校を卒業したくせに「俺が一番だから、天才だから」であった。 ボンビーは小学校時代のスカウトマンの腕を実証するかのようにしっかりと知性がなかった。考えればわかることではなく、考えなくてもわかることを平気でするバカ界のアベレージヒッターだった。浪人時代の夏、ボンビー(学名:ホモ.アカサキ.ピテクス)は英単語に好奇心を持ち夢中だった。ボンビーのしゃべる日本語の単語は「鹿児島弁」+「どくどくの滑舌の悪さ」+「んなんなっだが」というなんとも荒い三つのフィルターでろ過されるので人間には通じないことを彼はうすうす気づいていたみたいだ。 「非効率」 そしてそんなボンビーの英単語の勉強法はひたすら単語帳を見ることだった。寮の自分の部屋にこもり、予備校の授業にも出ず単語帳をみる。寮の友人の話によるとページをめくるとき以外全く動かないらしい。そしてそれを丸二日間不眠不休でし、丸二日間寝るという生活をしていたようだ。その姿は単語の鬼、いや修羅。受験生の鏡であるすごい集中力だ。と同時に僕のボンビーはもしかしたらやっぱりあれ系の人じゃないかという疑問が確信に変わってうれしく思ったりした。しかしボンビーが予備校に来ないのはいささか刺激にかけなと思ったり思わなかったりしている頃、彼は予備校に現れて、一周間続けた「二日集中、二日寝る勉強」についてこう語った。 「んなんなっだが、二日目は頭が痛い」彼は科学者が失敗した時のように頭をかきむしりながら、そういった。 「んなんなっだが、二日目は頭痛いから効率が悪いかも知んない」ブレイクタイムなしに彼の台詞が続き、僕たちの頭も痛くなった。「かも」なのである。こんだけして「かも知れない」。科学者は言うだろう「100回やって同じ結果だとしても、101回目は違う結果かもしれない。だから絶対なんて存在しない」。科学の実験の世界では許される、しかし実際の生活で100回も失敗を繰り返すやつはいない。だいたいやる前から失敗は避け、失敗したらもう繰り返さないようにするのだ。 「考えなくてもわかる」 そんな患者の症状はこのコロンブス級の発見と予備校講師の「トイレなどに単語表をはり、毎日英単語を少し眺める。少しなら負担にならない」というお言葉により収まった。そして患者はさっそく寮の自分の部屋中に英単語ターゲット1800をばらして一枚一枚貼ってた。のりで。 「なんでのりではちゃたんだよ。バカ」 「んなんなっだが、セロハンテープなかったからだ」 僕はいつもここでキャッチボールをやめてしまう。もともと僕は大暴投を取りにいくほど元気な方ではないし、もう患者があれの人だろうと納得してたからだ。できあがった部屋は寮の隣人の話によると心霊雑誌に出てくるお札だらけの部屋にそっくりな、なんとも受験戦争の戦士らしい勉強部屋に模様替えされていたらしい。そしてある日患者は気づいた。 「んなんなっだが、これじゃあ裏のページが見れない」できあがった部屋をみて患者は呟いた。 「うん、これじゃあ単語900しかないな」隣人が呟いた。 この時やっと患者はのりで貼ったことを後悔したらしい 僕たちはこの話を聞いてただ静かに、小学校時代にボンビーをスカウトした名も無きスカウトマンに、立派にメジャリーガーの片鱗を見せている彼の勇姿をみしたいとおもった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 就職活動中の学生と先輩社会人の話(10) | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/10/13 就職活動中の学生と先輩社会人の話(10) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 社会人 「さっき挙げた採用活動でセグメントされる側に自分が該当すればいいわけだよ。」 社会人 「特定大学の個別説明会、リクルーター活動、ターゲッティングされるような大学・学部に入学したらいい。」 社会人 「大学で体育会に入ったらいい。」 社会人 「就職活動前にインターンで就業経験を積んだらいい。」 社会人 「ネット上でやばそうな個人情報(SNS)を削除、会社に受けの良い内容を掲載しておけばいい。」 社会人 「そしてしっかりとした企業研究、試験・面接対策。」 学生 「(・・・ほ、ほ、ほとんどがこの大学4年の段階では手遅れ・・・む、無念(´;ω;`)ブワッ)」 社会人 「今、ほとんど手遅れだって思ったりしてないかい?まあ、すべてが該当してるような人材なんてほんの一握りだから気にしないでいい。」 社会人 「逆に自分のポジションを客観的にとらえた上でどんなアクションができるかをこれから考えようじゃないか。」 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 幼稚園の思い出 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/7/30 幼稚園の思い出 Facebook X (Twitter) リンクをコピー ひょうきんで気が弱くやさしい少年 幼稚園はバスで通園だった。 幼稚園のころの写真を見るとひょうきんでよくドリフの志村けんのモノマネをしながら写ってるのが多い。 幼稚園は晴れの日は外で遊んでたと思うがその記憶はあまりない 雨の日に教室で粘土遊びをするのだがそれが好きだった。 幼稚園の通信簿を見ると、先生の一言に困っている子に「どうしたの?」と声をかけるやさしい少年だったらしい。 折り紙が苦手で最後まで仕上げることができず、画用紙に未完成のかたつむりをはりつけたり、自分の不器用さは子供のころからだった。 同じクラスの女の子にいじめられて幼稚園から抜け出して家まで帰った記憶がある。 気の弱さもこのころからのものなんだなあ 同じ団地で幼稚園も同じの子とよく遊んだ。この子とはよく喧嘩もした爪でよくひっかかれた X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 3ヵ月試用期間後に即解雇され今に至るまでの話 episode:2 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/12/24 3ヵ月試用期間後に即解雇され今に至るまでの話 episode:2 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 前回のあらすじ 学生のうちから働いてスキルアップ! 今からみんなとの実力差を広げれば来年の5月頃には同級生を後輩扱い! インターン中に教わったことを教えれば上司の評価も上がって 最高のスタートダッシュだZE☆ と、粋がっては見たものの各種洗礼を受け職場全体からの評価は激下がり、 派遣先の仕事も打ち切りに、さらに追い打ちをかけるように転勤先の仕事もなくなりタイトル通り3ヵ月試用期間でニートになってしまったのでした♪ 再スタートはスタートラインにすら立てなかった インターンが始まったのが10月、解雇になったのが6月の4週目、 単純計算すると約8ヶ月の職歴になると思いきやインターン期間中の明細を確認するとそこには驚愕の真実が! なんと、卒業前までアルバイト扱いでした・・・。 よって職歴上は学校にも行かず10月から卒業までアルバイトをし、 その後3ヵ月で退職してしまった堪え性0の問題児君の出来上がり♪ となる訳で、 どこの会社に行っても頭に聞かれるのはこの事ばかり 詳しい話をしても最後にたどりつくのは 3ヵ月退社の件・・・。 正直言って訳が分かりませんでした。 確かに私には大した資格も職歴もありません。 それでも、少しだけでも使ってくれてもいいじゃないですか!! ということは心の中で叫ぶしかなかったのでした。 世の中はッ!世知辛いぃぃぃぃぃ! それでもIT業界がいい、けど・・・。 ハローワークに通い、就活サイトを活用し、説明会に行き、etc...。 とにかく数をこなしました。 けれども結果は全て惨敗! 途方に暮れながらもIT業界に入ってやろう! そんな毎日を過ごしてました。 しかし! そんなIT大好きスピリッツを打ち砕く重大な事が既に起きていたのでした。 ズバリ【金】が無くなったのです。 ∑(゚∇゚|||)はぁうっ! そう、地獄の沙汰さえも決めてしまうあの「金」が底をついていたのです。これは一大事だと思い燃え盛るIT大好きスピリッツをあっさりと冷却し、お金を稼ぐだけの仕事を探すことにしました。 やはりこの世は金なのか・・・? 自分の履歴とこれからやろうをする仕事内容を見比べて溜息をつくのは10月の日照時間の減少に伴うセロトニン不足による症状が原因だと自分に言い聞かせ私はIT業界を一時諦める事にしました。 いつかやってやる! 意気込みだけではやっていけないこの世界。 希望を持てば同じ量の絶望を生み出すここは知っていた。 けれども私は抱いてしまった希望を合理的に捨てられるほど大人じゃない。 なんて格好付けをいつまですることができるのか? 最後に このストーリーは今の段階(2013/12/24)ではもう続きがありません。 何故ならこの話の続きは今まさに作っている途中だからです。 今はまだしがない警備員でしかありませんが、色々なことに挑戦し 最終的には自分の意思で仕事を作れる人間になりたいと考えています。 この様な拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 それでは、ストーリーができるまで暫しのお別れです。 またお会いしましょう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 本を出版してから起こった3つのこと | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/2/12 本を出版してから起こった3つのこと Facebook X (Twitter) リンクをコピー 2017年1月、「今日から病気も友達 」という本を出版した。 本というのは、出版したら自動的に売れるものではない。出版したことを人に伝えたり、プロモーションをおこなったりして、買ってもらえるように努力しなければならない。他の商品やサービスを売る場合と同じような努力が必要なのだけれど、なぜか本だけは「出すことがゴール」と考えている人が多いように思う。 さて、私の書いた本は、アマゾンで購入できるようになったのが今年1月20日を過ぎた頃。まだ私自身にも本の現物が届いていなかった時期に、早速ご購入くださった方がいて、とてもありがたいと思った。 私が考える「出版した本が売れるポイント」 ・本を書いた段階で狙ったターゲットに広告宣伝が行き届くこと ・著者そのものが有名人で、その人の言動に注目しているファン層が多いこと ・これまでにないような本、企画であること ・付録や読者特典が充実していること さて、私が本を出版して「よかった」と心から思った3つの出来事を紹介しようと思う。 その1 本に登場する人が喜んでくれたこと 本を書くにあたって、関係者の皆さんに了解を得た部分もあるし、個人名が特定されないように工夫しながら書いた部分もある。 私が本当に嬉しかったのは、「本に書いていいですか?」とご相談 したとき、 「もちろんですよ! 河野さんなら事実と違うようなことは書かないだろうから、何の心配もしていません。どんどん書いてください」 とご快諾いただいたこと。 そして、書きあがった本の中身を読んで、とても喜んでいただいた こと。 その2 「身近にいる○○さんに読んで欲しい」と言ってくれたこと 私が扱ったテーマは「これから、病気とともに歩む新しい人生を、どう生きるか」 ということ。感情論や精神論だけでなく、今日の夕ご飯はどうするか、明日から掃除洗濯をどうするか、そして利用できる制度はどこにあるか、といった具体的な内容 を取り上げるようにした。 その甲斐があって 「僕の身近に、病気や介護で悩んでいる○○さんという人がいます。ぜひ○○さんに見せたい」 という言葉をいただけるようになったのは、とても嬉しいことだった。 その3 「次の本を書きたい」と思えるようになったこと 今回、出版した本は、10年以上におよぶ 「インターネットを通して、同じ病気の患者さんの相談に乗る」という活動があって、ようやく1冊分のボリュームになったものだ。だからこそ、完成したときには満足感、達成感があったし、「これで、本を出したいという情熱はいったん収まるだろう」と思った。 でも「100%満足な本を出す」というのは、なかなかできない ため「8割、9割の理想がかなったら、そこでよしとする」という割り切りが必要になる。私も、取り上げられなかった話題もあるし、時間配分や労力の配分などで「こうすればよかった」という思いもある。 こういう思いを「次の企画につなげたい」という気持ちが、自分の中にまだ残っている ことは、すごく驚いた。 フリーランスという働き方を選んだからこそ、自分で「これだけのことを、積み重ねてきた」と確認できるタイミングが、時々は必要だと思う。私の場合は、「本を出す」ことによって、これまでの自分を振り返ることができた。 「あー、よかった」で終わるのではなく、この経験を今後の人生にどう活かすか、考えるべきときなのだろう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 入院騒動から、トラウマに陥った日々 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/7/3 入院騒動から、トラウマに陥った日々 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 入院騒動からトラウマに陥った日々 私は大学入試の5日前に、自分の部屋で数学を勉強していたら、突然手足が痙攣し始めてイスからずり落ちた。そして、そのまま近所の病院に担ぎ込まれて入院させられた。病名は「勉強しすぎのノイローゼ」。 It was 5 days before the entrance exam to the University of Nagoya. When I was studying in my room, suddenly my hands and legs started trembling. Then slipped down from the chair. My father took me to the nearest hospital and I was hospitalized. The doctor said it was neurosis caused by too much studying. そのため、私は 「こんなに勉強しても数学が身につかない」 と、深い絶望に陥ってトラウマになってしまった。それから、数学には手を出さずに英語講師として生きてきた。 So I believed that it was almost impossible for me to master math. This got me down and it became trauma. I've stayed away from math for a long time since then and worked as an English teacher. ところが、But 昨日、高校の数学の指導をしていたら、生徒が先日の模試の結果を持ってきて 「数学は9番でした」 と言った。私は 「スゴイじゃん。頑張ったね」 と、講師らしいセリフを吐いていたが、本当は深い感慨に襲われていたんだね。それは、四日市高校の9番というと東大や京大を受験する子のレベルだからなんだよ。 Yesterday when I was teaching math, a boy said showing the result of a trial exam “I was No.9 in math test in my school.” I said “Wow! That's great!” At that time, I was overcome by deep emotion because such number tells us that he is good enough to take te entrance exama to the University of Kyoto. 私はアメリカから帰国したとき、 「会話に不自由しないのだから、英検1級など軽いのでは」 と思い、受けてみたんです。落ちました。それで、 「やっぱり、英検の1級なんて自分には無理なのかなぁ」 と、ガッカリした。それで、30歳になって合格したとき、 「これは、現実か?ボクの英語って、そんなレベルなの?」 と、ビックリしたことを覚えている。 When I came home from the U.S.A., I though “I can speak English. It must be easy to pass the 1st grade of Step test” However it was wrong. I failed in it and it got me down. When I passed it at the age of 30, “Wow! Is this real?” それで、京大の二次試験を受けて成績開示をしたら、正解率が8割を越えていて、 「これは、京大医学部の合格レベルではないか」 と自分の英語力を知り、高校時代のトラウマを思い出した次第だ。 絶対に追いつけないと絶望していた、四日市高校の1番のレベルにたどり着いていることに本当に驚いた。喜びではなかった気がする。 When I was in my early fifties, I sat for the entrance exam to the University of Kyoto with high school students. This changed my viewpoint of life. The feeling that I reached the top level of Yokkaichi High School was strange. Not pleasure but amazing. 数学についても、50代のときに京大二次を受けて7割の正解率を確認したので、指導が大丈夫だと確認していたけれど、本当に四日市高校のトップクラスの子たちを指導するのに問題がないことを実感すると、感慨にふけってしまうんだよ。 In the case of math,, I made sure that my level was over the border to pass the entrance exam to the University of Kyoto, taking the exam with senior high school students at the age of 50. どうやって英語や数学を身につけたか興味がある方は、下にあるエッセイをご覧ください。 If you are interested in how I mastered English and math, check the site below. それにしても、高校生クラスの半数が四日市高校の生徒で、その生徒の方たちは四日市高校でも本当に上位にいて驚いてしまう。私なんかより、はるかに才能があるんですよ。 Every single teacher wants to teach good students as I have. My students are so smart. They are much more talented than I am. 高校時代に、 「自分の人生の中で英語ペラペラ、数式スラスラなんてありそうにないなぁ」 と思っていたのが、ウソみたい。もし、才能のある塾生の子たちから求められなかったら、生徒たちの喜ぶ顔がなかったら、私は勉強を続けられなかったと思う。 とても、感謝しているのですよ。 I believed that it was impossible for me to master English and math in my life when I was young. Now I know it is possible. Without good students in my schoo, I could not keep studying. Thank you, good boys and girls. X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 言葉の扉 45 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/6/4 言葉の扉 45 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 045 唯心論Ⅱ 不平・不満・愚痴・不安は 今の状況の改善に何の役に立 た ず それば か り か あなたの感情を自己嫌悪に あなたの身体を病気に導 く 根底的な原因である 人は平気でそれを思考し、口に出して言う 自分で険しい道を創造している それら思考がいったん物質的な形(病 気) をとれば、 程度の差があるが 逆転は難し い 自分の思考を改める程度ではどうにもならず 確固たる信念に基づく行動が必要 自分の今の状況を受け入れ 内なる自分を信頼し 身体の自己治癒能力を信頼し 感謝をする X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 文章で推す。文章の魔術師&奇術師。館花琴音@Storys.jp(たちばな ことね)の話。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 文章で推す。文章の魔術師&奇術師。館花琴音@Storys.jp(たちばな ことね)の話。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 文章のマジシャンといえば。 館花 琴音(たちばな ことね) また、検索【Spoon ことねぇ】の話は このSTORYの記事の過去記事一番最初に戻って読み始めよう。 演劇や文章の投稿を一旦休止して、育児をしながら、綴り始めた。 それが、ここ【STORYS.JP】 1人の編集者さんが、熱心にコツコツと私の記事を読んでくれた。【無名】に近いここでの私を。 当時のハンドルネームは 【いちか】 なので、Spoonに合わせて【館花琴音】に改名をした。 名前は、その時代ごとにハンドルネームがあって、名前が変わっても、読者は、私の文章の癖で、気づいてしまうので 【名前を変えて転生するのを、やめた】 私の文章は、癖が、ある。文体のリズム、句読点を打つところ、そして【感情を揺さぶる文章を書きやすい】というところ。 そして私の文章を好きになったひとは、わかるらしい。私だと。 つまり何度も何度も転生しても 輪廻で繰り返し生まれ変わっても 【読者と私は巡り会える運命】なのです。 それは、恋のようです。 ロミオとジュリエットのようです。 生まれ変わっても どこにいても 私たちは文章で繋がることが、出来る。 私の【願い】が、込められています。 【推しを沢山のひとに認知させる】 戦国武将の総大将を慕う、忠誠心のある家臣のように、私は【文章で貴方を護り続けます】 【使命感】がある、からこそ 私は生きていける。 ありがとう、神推し、推し。 そして私の【読者、リスナー】へ 愛しています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 母を憎み子供の頃から自殺未遂を繰り返す鬱病の私が赦しの機会を得、一生モノと思った鬱病を克服。母を愛し尊敬できるようになるまでの話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/8/20 母を憎み子供の頃から自殺未遂を繰り返す鬱病の私が赦しの機会を得、一生モノと思った鬱病を克服。母を愛し尊敬できるようになるまでの話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー もしあなたの中に誰かを憎む心があるなら 多分に一生本物の幸せを得ることは無理かもしれない そう思ったりします。 これは半世紀近く母親を憎み続けて 孤独感の中で生きてきた私が 奇跡的に幸福感に満たされる人生を取り戻した話です。 目次: 自殺を繰り返した子供時代 突然に起こった赦し まずは私の一歩から 幸せは猫が運んできてくれた 一生に一度の手紙 不幸は一生続くわけではない 自殺を繰り返した子供時代 20代も初めの頃、どう思い出そうとしても 自分の人生で楽しい事なんて思い出すことができませんでした。 多分に小学校2年生のクリスマスが最後の幸せの思い出。 転向し、いじめに遭い、わずか10歳で自殺を企てました。 幼い子供のトライでは死に切れず 再度15歳でリストカットをしますが これは1ヶ月もの入院という結果で終わります。 学校に戻ればクラスメイトが私を怖がって離れていきましたので さらに孤立。それからの方がもっと辛かったです。 親と絶縁をした20歳でも絶望で睡眠薬を飲み干したのに それでも死に切れない私はもう自殺は無理なのだと悟りました。 親から、日本社会から逃げるように海外に出て 結婚して生活のサバイバルがなくなって安心した途端 今までの人生の母親に対する恨みつらみが爆発 そのぶつけようのない怒りは鬱という形でまた私を支配しました。 逃げても逃げても母親の言葉に支配されている自分。 「自分が本当の意味で幸せになれるのは 母親が死んだその時でしかない」 と、当時は本気で思っていたし 鬱時代にそれを本人に電話で告げてしまったこともあります。 私は海外で結婚したことも母に黙っていましたし 7年間、日本の実家に戻ることもありませんでした。 母は物事の良し悪しを教えてくれるより 『人からどう思われるかを気にして生きる』 ということを繰り返し私に植え付けました。 ですから、日本社会も怖かったのです。 突然に起こった赦し 母と日本社会から逃げて癒えるまでに 7年という月日が必要でした。 それで手始めに実家ではない場所を訪れる帰国旅行をし 大丈夫だという感覚を得てから翌年実家を訪れたのです。 相変わらず自分のことしか考えていない母に腹が立ちましたが 私以上に実家で母親の面倒を見ている姉やその子供達の方が辛く 逃げられた自分はまだ恵まれているのだということを知ります。 もういい加減母を許してやってもいいかな、とさえ思えました。 一体あれは何がキッカケだったのでしょう? 友達に勧められた興味半分で受けたお寺での ディクシャというセッションの効果でしょうか 次回の冬の帰省で、母が昼間干しておいてくれた ふっくらとした布団の中で 「許してやる、じゃない。 許されるべきなのは、私の方だったのだ!」 というひらめきとともに号泣した私がいました。 まずは私の一歩から 後ほど姪が結婚式を挙げることになり その時結婚10年目にして初めて夫を家族に引き合せました。 その機会に夫と私と母とで温泉旅行に出かけたのですが 母はずっと無口のままで日本語を話さない夫とは 全く交流を持ちませんでした。 後ほどアメリカに戻って電話で話した時、母は 母 「なんだか、あの時はしゃべんなくてすみませんでしたね...」 そう、いつもの暗い声で言っていましたが 私 「え、あの旅行、楽しかったじゃない。楽しかったよねぇ?」 そう私があっけらかんと言うと 電話の向こうの母はハッとしたような雰囲気でした。 またいつだったか、電話で何気なく彼女のことを褒めた時 母 「やだぁ! わたしばかだからそんなこと言われたら信じてしまうよぉ!」 と、母は少女のように声をあげて喜んでいました。 今でもその時のことを思うと喉の奥にこみ上げるものを覚えます。 誰だって、褒められたい。 私が母に褒められなくて悲しかったように もしかして母もおばあちゃんから 褒められることはなかったかもしれない。 まずは相手を認めること それが始まりだったように思えます。 それから、母に優しい言葉をかけ 彼女のさりげないことを褒めたりすることが 自然とできるようになりました。 我が家族は優しい言葉をかける習慣がないので 最初はそうすることにかなりの勇気がいったのですが 一度してしまうと、あとはつかえが取れたように スムースに言える自分であったのにも驚かされました。 幸せは猫が運んできてくれた 私と母の確執はそれで終わったのですが 今度は同居している母と仲の悪い姉の問題が残りました。 彼女は本当に長い間更年期鬱で 母に対するドロドロとした思いを メールで垂れ流しで送ってきていました。 それに対して上から目線でもっともなことを言い 彼女や甥と姪を諭してきた私でしたが やっと気づくことができたのです。 まずは相手を認めること。ねぎらうこと。褒めること。 その効果が少しずつ出てきたかの頃 私に直感の声が降りました。 〜〜〜 母に猫を買い与えよ 〜〜〜 姉は機嫌が悪くいつもしかめっ面をしている母を 『鬼瓦』と陰で呼んでいました。 その母に笑顔をもたらすものは残念ながら私でも姉でもなく 多分に無垢な子猫ではないかとそう伝えたのです。 自分がアメリカに来て夫と結婚し 大きなイエローラブと寝起きを共にすることで 私たち夫婦が次第に癒されてきたことからのヒントでした。 動物嫌いな姉は最初は躊躇していましたが、やがて意を決し 母を除いた家族が一団となって猫探しが始まりました。 そして姉が恋に落ちた運命の子猫をゲット 次の母の誕生日に子猫をプレゼントしたのです。 ところが奇跡は母にだけではなく姉にも義兄にも しらけた家族全員に起きました。 なんと各自がそれぞれの部屋に閉じこもっていた仲の悪い家族が 猫がいるおかげでみんなリビングに集まったのです。 全てのメンバーが皆笑顔で猫を見守ったのです。 猫が実家に現れたその日から 姉のタールのようにドロドロとしたメールは 嘘のように明るい猫メールに変化したのでした。 一生に一度の手紙 姉に母へ猫を飼い与えるよう頼んだ頃 年老いた母親が突然死した時に 海外にいる自分が彼女に会えないことがあるかもしれないことを ふと思いました。 それで母の誕生日に合わせて手紙を書くことにしました。 年老いた母が読みやすいように 大きな文字で書いた方がよいだろう、と 日本町の文房具店で太い縦線のついた和紙の便せんと封筒 そして細書きの筆ペンを購入しました。 母親に対しての手紙を 大きな文字で一字一字ゆっくり丁寧に書いているとき 年明けからなんとなく気休めでやっていた 『鉛筆習字』の時間は 今このときの為に準備されていたものだったのだ ということに気づきさえしました。 もちろん、始めたときには まさか母親にこのような手紙を書くことなど 予定していませんでしたが。 『Kさん、お婆ちゃん、お母さん、 このような歳になりますと、貴女をどうお呼びしようか 少々戸惑いを思えますね。 お誕生日おめでとうございます。 元気に81歳をお迎えしたことを、大変喜ばしく思います。 貴女の末娘も、今年48歳になりました。 48歳ともなりますと、さすがに50の数字が見えて 人生いろいろと振り返ってしまいます。 確かに辛いことや悲しいことが沢山あったのだけれど 今が幸せならいいかな、とやっと思えるようになりました。 お母さん 私たち家族の在り方は、決して自分が望み憧れた形では ありませんでしたけれど もう過ぎてしまったことなのだな、と腹で理解しました。 貴女のすべてを許します 。 ですから、貴方もどうぞ至らない娘の存在を 今まで淋しい悲しい思いをさせ続けてきましたこと ごめんなさい 。 本当に、本当にごめんなさい。 そして、私たち、娘達を一生懸命育ててくれてありがとう 。 いつの間にか家からは温かいものが消え去って 笑顔のない寒々しい家族になってしまいましたけれど もう私たちが貴女に笑顔を作ってもらうようなことは できなくなってしまったけれど でも、私は心から本心で、貴女のそう残り少ない人生に 優しさと温かさと笑顔を取り戻して 過ごしてもらいたいと思っています。 そしてお姉ちゃんに 貴女に猫をプレゼントするようお願いすることが 私たちにできる最高の親孝行なのではないかと 試みてみました。 お姉ちゃんのメールで、家に子猫が加わり 皆が笑顔でリビングに集まっているというニュースを聞いて 大変嬉しく思っています。 私もとても幸せな気分です。 お正月には帰ります。 家族と迎えるお正月なんて、本当に久しぶりなので とても楽しみにしています。 貴女の余生が健康で楽しい日々に溢れることを 心からお祈りいたしております。 2009年10月 まこ』 大変に静かな気持ちでした。 このような手紙を書いている自分が ちょっと信じられないようにも思えました。 5年前の私だったらまったくあり得ない行為でした。 母親の返事はありませんでしたが 暮れの帰省時には玄関先で満面の笑顔で向かい入れてくれた母と 照れなくしっかりと抱き合うことができたのです。 そして翌朝、なんと私は 家族の笑い声で目が覚めるという奇跡も経験しました。 みんなが子猫を見て笑っている! 私は辛い寒い朝にもかかわらず布団から飛び起きて その笑いの輪に加わったのでした。 不幸は一生続くわけではない 人生のある時、夫の事でどんな辛いことがあっても 「私には帰る家はない」と絶望を感じ 死に切れないことは承知で死ねるなら死にたいと思った日もあります。 それが私がいつでも帰れる実家を持つことになった。 母親にとって「出来が悪い娘」だった私が離婚をしたら きっと叱られるだろう、嘆かれるだろうと懸念したにもかかわらず 彼女は私が幸せであるかどうかを確認しただけでした。 私が変わることができたように 母も私が長い間信じていた彼女ではもうなかったのでした。 子宝に恵まれず不妊治療で神経を逆立てていた姪も 猫が家に来てからあっさりと妊娠 新しい家族を迎え実家は更に笑顔に満たされます。 互いに思いやり家族が一体になって平和に暮らしている。 海外に住む私が長い間滞在することも遠慮なくできる。 帰る家があるというその安堵は 私のそれまでずっと抱えていた孤独感と鬱々した気持ちを 拭い去ってくれました。 そして、母はいつの間にかすっかりポジティヴで明るい 聡明なチャレンジ精神の高い輝く老人になりました。 それはいちいち様子を伝えてくる姉の目から見てもそうなのです。 私も姉も母に似ています。 ということは、彼女のように死ぬその間際まで しっかりと自立して明るく晩年を生きられるという 見本を見せてもらいその保証をしてもらっているようなものです。 人生はどこでどう展開するか 本当にわかったものではありませんね。 直感に従う勇気 それが大きな人生の分かれ目だったかもしれません。 長いストーリーを 最後まで読んでくださってありがとうございました。 親子関係で苦しんでいる方がこれを読んで 前向きになるきっかけを持ってくれたらと思い このストーリーを掲載することにしました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 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